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2004年07月29日(木) From "negation" to "negotiation"

ある人が、研究テーマを選ぶときには「怒り」を感じるような立場があるものを選びなさいとおっしゃっていた。

いわく、「おもしろい」と思うテーマは、例えば「子どもの社会化」についてやりたいというような人は、子どもの社会化について、これまで言われているさまざまな立場を聞くとあらかた納得し、これでもう自分が知りたかったことはなくなったとそのテーマへの興味までなくしてしまう。まだまだ、わからないことが山程あるのに、である。

怒りを感じるテーマはちょっと違う。その立場の主張がなんとなく気に入らず、しゃくにさわり、なんとか否定してやりたいと臨むために、なかなかそのテーマへの興味が失われるということはない。そして、その中から「そうじゃなくて、○○なんだ」という、いまだ語られえぬ言葉がみつかった時、研究は着地点を見い出すのではないか、そんなことを思った。

考えてみるとこれは、子どもの社会化と同じだ。

子どもは中学生くらいになると、親の意見をなんとなく違和感をもってきくようになり、「お父さん嫌い」「お母さん嫌い」となっていく。いわゆる反抗期である。この反抗期をへて、子どもは親からはなれた独自の価値観を獲得し、親から精神的に自立した大人になっていく。

Judith Diamondstoneが言っているように、創造的な空間は、はじめは意見ともつかないような「否定(negation)」からはじまる。"negation"は"counter script"を構成する。それは、当初はただ単に「それは気にくわねえ」という、教師の言葉のラッダイト運動(不買運動)にすぎないが、次第に大人とのnegotiationを可能にするような、独立した"voice"となる。

ここで気をつけなければならないのは、"voice"を"negation"の終点としてはならないということだ。時間の流れはそうはなっていない。自立した大人から、子どもの発達をみてはいけないということだ。

それは、その都度、その都度、「もうだめかもしれない」という危機に瀕し、あの時のあの言葉がなかったらというタイトロープをわたって、励ましてくれる人の存在に助けられながらやっとたどりついた場所である。自分が誰に何を言いたかったのかということ(宛名)は、このようにして明らかになる。








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