非日記
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2014年04月03日(木) 先月から今月にかけて。

年末に家の前あたりで人が死んでたわけですが、警察はまだまだ捜査してたみたいです。あたりまえ?いや、地方の新聞やテレビニュースにも出て無かったみたいだし、心臓発作とかの病死で直ぐ不審死じゃなくなったろうと思ってたんだけど、まだ何か探してるのかしら。
「前日に帰宅した時、これはここにありましたか?」と聞かれて、「無かったと思いますけど」と答えたら、「あったかもしれないんですね?」と聞かれて、「あったかもしれないけど、でも無かった気がしますけど」と答えたら、「じゃあ、あったかもしれないですね」と言われて、「はあ、でも無かった気がします」としつこく答えた私のせいではないだろうな。でも無かった気がするもん。大したこっちゃ無いだろうと思ったので、正直に答えたんだけど、もー、そんなしつこく言われたらどんどん自信がなくなるだろ。まったくオサツは直ぐ誘導尋問するんだから!

ずっと前に大家さん家に泥棒が入った時もオサツが来たんですけど、後で思い返して考えたら質問の最中にさりげなく犯行時刻をずらしてたしな。私はその頃ばりばりのニートだったので、犯行時刻を数時間ずらされても気づかず「いや覚えてません」しか言えなくて、それよりドアのところから覗き見できる家の中の大惨事、散らかり放題のようすが気になって仕方なかったんだが、よくよく考えてみると犯行時刻は大家さんが隣室に居て物音を聞いて直ぐに気が付いたから、はっきりしていたのだ。二三時間もずれるはずがない。ガッツリ家の中でごろごろニートだった私は「外は明るい」「12時のサイレンが鳴った後なので今は午後」「暗いから今は夜中」ぐらいしか時間感覚が無かったので、何をどう聞かれても、はっきり言えずに似たような返事しかできなかったが、「あたし、オサツに質問されちゃった!」とテレビレポーターに街頭インタビューされたり、芸能人に道を聞かれたようにキャッキャ思い返して考えてみたら、「ン?あれ?あいつ、同じ質問を二度したけど、二度目の犯行時刻、一度目に聞いた時間とだいぶ違ってなかったか?犯行時刻は大家さんの証言によってほぼ確定しているのに」と気がついたのです。そこで興奮してさっそくお友達にお電話です。
「聞いて聞いて!あたし、容疑者だったみたいなの!カマかけられちゃった!」キャッキャ
しかし私の頭が激鈍の小市民脳だった為、あっさり容疑者から外れたらしくて二度は来なかったな。「え?何?何の話?何がどうしたの?」とおどおどしながら家の散らかり具合ばっかり気にしつつ、具体的な応答が全くできなかったところがよかったんじゃないかしら。
それでオサツは平凡な質問の中にさりげない誘導や引っ掛けを突っ込んで来て、しかも小市民の心の動きに詳しいようだと学んで大変感心しました。私がいかなる犯罪に巻き込まれても、疾しいところがなければありのまま応対して大体大丈夫そうだとわかってほっとしました。目と鼻の先で犯罪が行われたというのに、犯罪にあった大家さんの心配や犯罪自体や犯人よりも自分家の中(散らかり具合が他所様にばれる)の方がしきりに気になって仕方なく、聞かれるがままにあやふやな言動を繰り返す無職の私、「超あやしい!犯人っぽい!」と自分で思ってたのですが、そういう事は小市民にはままある態度のようです。むしろ人生に挫折して家に閉じこもってる無職のニートが、自分の事より他人をすかさず気遣ったり、はきはき明晰な発言をして「その時間、私は××○○をしていました」とか「買い物にでかけて家にはいませんでした」と断言できたり、「え?泥棒が入ったのは○時じゃなかったんですか?」などと鋭いツッコミが即座にできた方があやしかったのかもしれない。私の頭の鈍さが私を救ったのです。

でも、すごいわー。流石プロですよね。「なんにも疑ってませんよ」という親和的な柔和な態度でさらっと疑い、誘導してくるところが!カッコイイ!

で、先月は、側溝を浚ってましたが、そこらへん、前日に春田役かなんかで掃除してたっぽいから、なんも出ないのではないかな。
……おおおう、オサツ、オサツ、大丈夫か?
いや、よくわからんが、きっと何か意味のある捜査をしてるのでしょう。そうじゃなきゃ、警察のコスプレをした一般人が黄色いテープを張って何らかのゴッコ遊びをしてたんでしょう。その辺で人が死んでたらしい事を知ってるので、何か意味があるのかしらと私が思っただけです。

ところで、春田役って具体的になんだろうと正確なところを調べようとしたら、ネットで出てこないな。「春田役の放水の為」とかの文字面だけで、春の田植えの為の準備の何かだなとなんとなくわかるけど、え、これって地方の方言なのか?


言葉の意味と言えば、此間気になったんだけど、トンズラってなんでしょうね。此間人様の小説を読んでたら出てきて、意味はわかるんだけど、カタカナで書いてあったせいで結局トンズラってどういう意味か、語源は何かと思って今調べたら、トンは遁で、ズラはずらかるという動詞から来た俗語でした。ヘー。なんでトンは音読みなんだ。遁走ぐらいでしか使わん、というか見ない字なので、意味はわかるけど、なんでそれくっつけたのだ。辞書検索したところ、とんずらはずらかるという意味で、ずらかるの意味は「逃げだす、高飛びする、盗人が使っていた言葉」となっていた。

私の解釈、ニュアンスでは、トンは鬘がうっかりずれる様子を表す擬音語やねんよ。ズラが風で飛んで行ったり、ちょっとずれる事を表す。ズラは禿げを隠すというやましいを行いをしていたのだが、その犯行をおかした後になって、犯行現場から行方をくらました。「あいつ、トンズラしやがった!」ズラは禿げを隠す為に頭に乗っていなければいけなかったのだが、そこからいなくなってしまった。別に禿げは悪くないが、別に悪くない禿げを悪いことであるかのように隠して、さも髪が生えているかのように人を欺くという行為は、けして褒められたものではない。しかも一旦は隠していたのに途中で使用者の意図なく外れたりズレたりし、禿げを隠していた事実をもうっかり人にばらすなんて、もっと悪い鬘である。鬘として最低の鬘だ。もはや鬘ですらない。なんて悪い鬘だ。
悪者であって、しかも卑怯である。だからトンズラは凄く悪い事である。あやまって悪い事をしても、トンズラをしてはいけない。

……という感じの語源かと思ったが、真剣に考えていたわけじゃない。そんなわけがないだろうと思いつつ、思いついた語源が頭が離れなくなったので、調べたのです。

私ったら、最近、前にもまして頭が悪くなってさ。軽い小説とか二次創作とか語彙の少なめな文章ばっかり読んでる所為もあるんだろうけど、論理的思考力や数学的能力は二十代前半から半ばがピークなのに比べて、年をとるほど国語力は高くなる、言語能力は発達するって言うのに、私は下がっていってる一方なのよ。ぱっと言葉が出てこないのよね。
「ずらかる」かー。言われりゃあそうかー。そうかー。駄目だなあアタシ。昔は国語なんて全然勉強しなくても結構点が取れたのに、めっちゃ老いを感じるわ。
でも三島由紀夫とか読みたいと思わないねん。
私の中での三島由紀夫のイメージ「語彙力スゲー」
谷崎潤一郎のイメージ「美意識スゲー」
夏目漱石のイメージ「流れるようなわかりやすい文章」

森鴎外「真面目」樋口一葉「なよなよ」島崎藤村「根暗」田山花袋「へんたい」永井荷風「遊び人」川端康成「あっさりしすぎ」太宰治「マザコンニート」坂口安吾「ヤンキー」
もはや創作物のイメージではない。だってこの辺の人ってエンターテイメントとか純創作物って感じじゃないもんな。自己表現って感じだろ。

先先月、駐車場で猫が死んでたんで「猫が死んでますよ」と駐車場の持ち主にお知らせしたら、何故かわからないけど、タラの芽のパックを貰いました。
そのまま一旦買い物に出かけて帰ってきましたら、猫が死んでた場所の血痕もきれいに掃除されて、スイセンの花束が置かれてました。人間が路上で死んだ時には、よく花束や線香や菓子を備えるけど、猫でやるのをはじめてみたよ。家から一歩も出た事が無そうな福々しく見事な毛並みに首輪もついていて、近所の飼い猫だったらしいんだけど。
私は性根が歪んでいてナチュラルに脳みそがひん曲がっている上に世間の常識に疎いところがあるので、

1)猫が死んでいたら普通こうするものなのか
2)近所の駐車場の主の知人の飼い猫だった部分が問題で、近所づきあいの観点から知人の愛猫を何らかの目に見える形で悼んでみせるべきと判断されたのか
3)「おお!なんと可哀想に!」という駐車場の主の単純な心の優しさの顕れ

↑このうちのどれなのかわかりません。私の独断と偏見では(2)(3)がいい感じに混じった結果じゃないかと思うのだが。

4)「自分の土地」で猫であろうと「死」んだので、何かしら供養したという形をつくらないと宗教的な観点、信仰心的な部分において心がもやもやする

↑かもしれないなー…とも思う。俗に、日本では昔から猫は祟ると畏れられてますし。西洋の魔女の使い魔、悪魔の手先という解釈における「邪悪な生き物なので祓わないといけない」みたいなのではなくて、いわば演歌的な生き物のイメージ。ポーの「黒猫」みたいな祟り方、復讐をする霊的な生き物だという感覚。なんで犬は復讐しないんでしょうね。これを考え始めたら、ああだろうかこうだろうかと止まらないと思うので今日は考えない。

知らせるべきかどうか五分ほど迷ったわけで、私には悲しむ心も悼む心も畏れも足りなかったわけだけれど(「どうして欲しいのかな?」と死んだ猫の目を延々と見つめた結果、なんとなく知らせる事にした)、駐車場にぽつんと置かれたスイセンの小さな花束を見、私の代わりに誰かが悲しんでくれて、きちんと悼んでもらったのだなと思ったら、知らせて良かった気もしたわけよ。

と、それで済ませていたら、
先月駐車場代金を払いに行ったところ、「先月はありがとうございました」と言われてジャムを二瓶貰いました。私は人様から何も貰わずに生きて行く事は出来ないのでしょうか。私には「なんかくれオーラ」でもあるんでしょうか。私は人に何か貰っても、あまり喜ばないんだよ。感謝の心もなく「ありがとうございます」と口先だけで言って受け取ることしかできない。だのに貰っちゃう。どうしたらいいの。

そういうわけで、
「来月はジャムのお礼をしなきゃいけない?感想を言うべき?」とか色々悩んでいたんですが、今月は今月で、金をもらってそれどころじゃありませんでした。今月だけだけど、よくわからない理由で駐車場代が実質1500円に!
天から金が降ってくる。どうなってんの。もう死ぬのかもしれない、私。


やぐちまさき |MAIL