非日記
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2014年01月31日(金) 余裕の一月でした。

振り返れば、ここ十年で稀に見る一月です。
ちょっとアタシの感動的な所業は聞きました?聞いてるわけありませんわね。
なんと私、今年はもうとっくに年賀状出してるんですよ!あらビックリ!
例年、六月頃まで「年賀状出さなきゃいかんのに」と呻いていて、九月頃まで「年賀状の代わりに残暑見舞い出さなきゃ……」と頭を抱えてて、十月頃から「今年は年賀状出さなかった代わりに、来年の年賀状は絶対出すんだから!」と虚空をやぶにらみしてるものだったのに、今年はもう年賀状の返事を出したのですよ。

年賀状とは名ばかり、年賀ハガキを使っただけ、上から下までびっしりどうでもいい事を書いて空間を埋めた謎の手紙でしたけどね。

私も何年も思考錯誤と煩悶を続けた結果、書けなくなる最大の要因は「これは年賀状だ!」と意識をしすぎる事ではないかと睨んだのです。「年賀状なんだから年賀状らしくルールを守って書かねばならない」という気持ちと、「年に一回、新年の挨拶だけ書いて送るとか意味がわからないよ。私の気持ちは既製のハガキに決まり文句をニ三行で終わるようなものじゃない」という気持ちが拮抗するのです。
人から貰う分には既製品の年賀ハガキに活字印刷しただけのものでも、ネットの大海から拾って来た既製のイラストにハッピーニューイヤーの印字だけで「わーい!年賀状もらっちゃったっ!うっひょう!」大変喜んでいるのです。
ところが、自分が書くとなると、お友達全員に全く同じものを送るとか「私は年に一度の礼儀である年賀状で友達に手抜きをするのか!?」自分への憤りで髪が逆立ちます。昔同じ絵柄の物を送ったときだって、塗りは一枚一枚全部手塗りでした。しかも関係無い適当な絵柄で送るなんて「私は年賀状だのに年賀状らしい絵も書かないのかよ!ふざけんな!年賀状の意味が無いだろうが!」自分の逆鱗に触れます。
そういうわけで、白紙の年賀状を前にペンを握ったままガッチガチに固まってしまうのです。

そこで今年は、そもそも私はメールを送る勇気が出なくて郵送で手紙を送ってしまう類の人間なのですから、「メールどころか年賀状すら書けなくて本当に申し訳ないという謝罪と言い訳を、そのまま年賀はがきに書いて投函してしまえばいいのではないか?」という発想の転換をしてみました。年末にスーパーで「これさえ貼れば、どんな文面のハガキでも、たちまち年賀状に!」という年賀シールを発見したのです。

しかし愚図は直らないので、正月から精神的にダラダラしていたのですが、早々に次の関門が近づいて来る事に気付きました。

そう、もうおわかりですね?
お年玉付き年賀状の抽選結果発表です。

これを過ぎてしまって、しかも自分が購入した分が当たっていた場合、「切手シート(当たり付き)のハガキを誰に送るのか?」という猛烈な葛藤が生じます。

「こいつに切手シート(当たり付年賀ハガキ)を送っておいて、こいつには何もやらないなんて、そんな差別できない。じゃあ切手シート付きじゃない年賀ハガキが行くやつには別に何か違うものを送るとして、だがそれでは切手シートみたいな使うんだか使わないんだかわからん物を送られて、あなたにはそれをあげたでしょな方がかえって全力でぞんざいに扱っている気がする。私だったらどうせ貰うんなら欲しいもんが欲しいよ。誰宛てに使うのかとか考えるから、友達に優劣や順番を付けるなんて嫌だと惑うはめになるんだわ。わかりました。阿弥陀クジで決めよう。
(……中略……)
え、こいつ絶対に手紙なんか書かなさそう!いらんだろ、切手シートなんか。それだったら、こいつの方が比較的ハガキや手紙を送る機会がありそうだろう。ちょっとちょっと、いえ、待って。それ言ってたら初めからこいつに送ればいいじゃないの。でもそれじゃあこの人にだけ選んで特別待遇みたいじゃない。あ、最初に戻ってしまった。だからさあ、もう気付かなかった事にして目を閉じて送ってしまったらいいんだわ。向うは気づいたら交換に行くかもしれないし、気付かなかったら交換に行かないだろう。私は送った事を知らないんだから、もうそれでいいじゃないの。……しかし誰が知らなくても、私自身はこの中の誰かに切手シート付きを送った事を知っているのよ。知ってしまった以上、気付かなかったふりは自分にはできない。それに、もしかして私の友達の中に物凄く切手シートが欲しい人間が混じっているかもしれない。こんな時に切手シートさえあれば!って思うかもしれない。今の私にはその切手シートを送る力があるのよ。せっかく手に入れた力を正しく行使しないなんて、助けを求めている友達を知らんふりして無視するなんて、それでいいのだろうか。いや、よくないだろう。他の友達だって、こいつには切手シートがどうしても必要で命に関わる問題だったのだとわかれば、私がこいつにだけ切手シートを送って他の友達には送らなかった理由もおのずとわかってもらえるだろう。友達だもの。誠意をもって説明すれば、きっとわかってくれるわ。ではこの中で、切手シートの有無で命の危機に瀕しているのは誰かいるしら?……良く考えなくても、切手シート一枚如きでそんなに煩悶してるやつがいるわけがない。今のこの私ぐらいだろう、バカバカしい。
(……中略……)
ああ、わかった。だから切手シート付きの年賀状は使わずに全部外れクジのハガキにすればいいんだろう。それで切手シート付きの年賀状は年賀状では無くてただのハガキのふりをして交換期間内に切手シートが欲しい人間に別に送ればいいわ。……あれ?それは結局、切手シートを特定の人間に、しかも個別にプレゼントしたのと同じ事になるんじゃないのか?
(……中略……)
だいたい、こんなものがあるから心を迷わすはめになるんだよ!こんなもの破いて棄ててしまえばいいのよ!こんなものは初めから無かったの!こんなものっ、こんなっ、こんな……ッ、せっかく当たったのにモッタイナイじゃないの!?」

↑こんな感じで、物凄く迷ったあげく、たった一枚当たりクジ付きが混じっていたせいで、全員に出すに出せなくなってしまう事が経験上わかっています。だからどうしても抽選発表の前に出してしまう必要があったのよ。年賀状の事を一月半ばからもう年末まで考えなくていいなんて、このまま永眠しても思い残す事は無いぐらい私は自由だわ。


年賀状出した報告だけで、長々と書いてしまいましたね。
そう言えば、お友達に一昨年の夏の返信メールに返信をしなかった理由を「年賀状に書く事のできない理由で」と誤魔化しましたが、原因は送信して直ぐに親戚が死んだ連絡が来て慌てて車を飛ばして葬儀の手伝いに行ったからです。一昨年の事とはいえ「死んだ」とかおめでたい年賀状には書けないと思ったのですが、そんな事を謝罪するはめになったのは、そのまま今の今までメールをしてない上に、その後も心優しく年賀状をくれ続けたお友達に年賀状すら出していなかったからです。
きっと人は呆れるのでしょう。私が自分で呆れています。
期を逃したらもう色々考えて気が咎めて返信メールが出せなくなった。返信メールが出せないなら封書で手紙を出そうと思ったのだが、そうすると今度は年賀状も出してないのに手紙なんてと思い始めて「まず年賀状を!」になった。そして「年賀状が!年賀状が出せない!」と去年一年間ずっと心に掛かっていたのです。

別のお友達に電話した時に「それでこんな事とかこんな事をこんな風に考え始めたらもうどんどん色々色々考えちゃって、それでどうもこうも身動きが取れなくなったのよ。向うも色々色々考えてるかもしれないじゃない。死ねばいいのにと思われてても文句は言えないわ」と漏らしたところ、「他の人ならともかく、おねーさんの事を知ってれば、色々考えすぎて単にめんどくさくなってるんだろうって簡単にわかるわよ」とありがたい慰めの言葉をいただきました。
それならいいんだけどさ。
でも私、風の噂で聞いた事があるわ。メールに返信しないような人間は死んだ方がいい人間で、そんな人間は絶対に友達じゃないって!
それなのに、私のおよそ二年間に渡る無視をスル―して年賀状をくれたのです。
一般的な人間はここで「あなたって、そういう冷淡で酷薄な人間よね」「他人とか友達とか、あなたにはどうでもいいのよね」と言って私を見捨てるところです。
感涙のあまり、全力で出さなければと覚悟しました。清水の舞台から飛び降りるつもりで年賀状を書きました。もう年賀状なんてどうでもいい気迫です。酷い内容になると「詳しくは電話します」という「それメールで送れよ」って感じの。

でも人の理解や容認に一方的に甘えるなんていけないわ!
頑張りましょうね!


そう言えば、今年の三が日も仕事で、今年も孤独を憐れんだ同僚からお節セットをもらいました。
ちなみに昨年とは違う人です。昨年は別のフロアにいた人なんだよね。
昨年のおばちゃんよりさらに本格的でした。田作りも黒豆もエビの煮つけもブリの煮つけも酢カブも昆布巻きも……全部手作りです。「全部手作り?」と聞いたら「あたりまえ!」と怒られてしまいました。フルタイムで働いてて主婦スゲーな!
私は年末が休みだったんで、年末も出勤する人に「次は年が明けてからだね。よいおとしをー」とやってたわけです。そうしたら一人、私と同様に元旦から仕事のがいて、「次は元日だねー」と言いましたら、「そういえば矢口さんは、正月、田舎に帰らないの?」と言う。正月休みないし、今年はもうめんどくさいから後の連休でも帰らないと言いましたら、「親御さんはこっちに来ないの?」と言う。「今年は来ないよ。私は三が日仕事だし」と言いましたけど「そうなんだー。わかった」と笑顔で言われて……、その笑顔でビシッとわかりました。

「こいつ、正月出勤してきた時、私に何かくれるつもりだ。十中八九、お節料理をおすそ分けしてくれるつもりだぞ」

なんでこんなにわかりやすいんだ。わざとなの?無意識に予告してるの?
……でも考えてみてよ。言えますか?
何も言われてないうちから、お節料理のオの字も出てないし、プレゼントのプの字も出てないのに、「そういえば、例えばお節料理とか、別に気をつかって分けてくれたりしなくてもいいからね」なんて唐突に言えます?こいつ、私が遠慮したりしなくて受け取り易いように、予告なしにいきなり持ってくるつもりなんですよ。持って来られてしまったら「別にいらんし、持って帰って」とは言い難い事がわかっていて、「もう弁当箱に詰めて持ってきちゃったし、大した量じゃないから、せっかくだから食べてよ」と既成事実にしようと思ってやがるんですよ。
そうやって持って来られたら、もはやありがとうと受け取るしかない。わかっているが、遠慮とかどうやってしたらいい。この「きっと驚くわーウフフ」みたいな顔を前にして、「まあ、せっかくお正月だからと思って、通販で豪華なお節頼んでるんだけどね。一人じゃ食べきれないかもしれないなー」とか言ってみますか?そんな事実は欠片もないのに。つうか、お節とは限らんし、何かをくれるつもり満々な事はなんとなくわかるんだけど、絶対的な確信があるわけじゃないし、気が変わるかもしれんし、私はエスパーじゃ無いので詳細な部分までは読めない。
「うん、じゃあまた元旦にねー」
なんにも言えませんでしたね……。

ああいうときって本当にどうしたらいいんでしょうね。


今年は引っ越しするからと思って、時々指が滑ってダラダラ書きそうになっていた事を指が滑って書いてしまいそうになりました。てゆうか微妙に書いてしまってたが、我に返りました。日記書くと、三回に一回ぐらいこういう事になって、修正に時間がかかるねん。


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