非日記
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2009年03月25日(水) 運動不足。

運動不足で筋肉痛三日目です。私の貴重な休みを反故にして、さらに筋肉痛三日目です。だってもう何年も空手で全力疾走なんかしてないのに、いきなり全力疾走だよ。ちょい年配のお姉さんは、
「会社の行事には出席するのが当たり前でしょ!」
なんて言ってました。正直なところ私はそうは思わないけど、問題は起こさずにやっていきたい堅実な小心者なのです。大体そんな価値観を抱いたら、早速にも首を吊って人生を辞めたくなる。しかも地味な嫌がらせにこのお姉さんの家の庭とかで。そういえば私は人間が大嫌いだったな、ちょびっとでも嫌がらせできるなら命など惜しくは無いぜって感じで、と思い出すんですよ。色々言われますが、虐められっ子が苛めっ子の名前を列挙して自殺する気持ちはちょびっとわかる気がします。幸せになるのが最大の復讐だとか云々よく言いますが、私にはよくわかりません。嫌でたまらない苛めっ子が正しく真っ当な人間として堂堂と幅を利かせて幸せに生きていけるような世界で、同じ人間として受け入られて幸せになっていく事が望ましく素晴らしい未来だなどとは思えない、ように思うのだが?己が憎んだものと「同じ人間」になるぐらいなら、「人でなし」の方がまだマシだ!おまえは人間じゃないとか言われると望むところだ笑いが止まらんわーとか思わんか?私なら思うように思います。
まあだからね、虐められっ子の名前を列挙して死ぬタイプは、人間や人間社会というもの自体には絶望したり憎んでなかったんだなと思うけど。誰かが自分の気持ちを理解して彼らを非難して罰してくれるだろうという人に丸ごと任せる気持ちがあるわけだし。私ならそんなに他人を信用したりできません。仮に良心の呵責を得るようなのが混じっていて凄くへこんだりしても、そのうち「あの子がおかしかったんだよ」と優しい周囲に慰められて段々持ち直して元気になって末は平凡に幸せになったりするんだよ。下手したら深みのある人間とかになって、人間的な魅力が増していったりするぞ。なんか奥の深い純文小説みたいな充実した人生を送りそうだ。おーのー、想像しただけで余計腹が立つわ!やるなら己で直手で報復する方がまだしも確実でマシだろうと断固として思う。

社会との摩擦を最少にする為に「その方が好ましいのではあろうな」とは思うが、自分との摩擦を最少にする為に「そうすべきしょ!」等とは頭が転んでも立腹したくありませんお年頃です。圧力を加えられた途端に全力で抵抗したくなるのが人の心ってもんだろう。
基本的にそういうシステムなのよ。「それが当然でしょ!」とか「どうしてそうできないの!」と言われた途端に命がけで激しい抵抗を試みそうになってしまうのだが、「あなたの好きにしていいのよ」と言われた途端、ナチュラルに「おまえの好きにしても別にいいけど?」気分になるんだよ、あたしは。心の罵詈雑言を全力で吐き出せてたこ殴りに出来たら「フー!(すっきり)じゃ、アンタの言うようにしようか!」となるんだよ、あたしは。「そこまで言うならわかった」と言われると「なんだと!そんな生やさしい気持ちで、当たり前のようにこの私に指図をしたのか!?自分は間違っていると嘆き苦しみながら泣きながらそれでもお願いしますと土下座してみせろ!」と逆切れしそうになるんだよ。しかしながら私は簡単に土下座できるタイプなので、土下座や号泣程度では意外と感動しません。土下座しろとか靴を舐めろと言われたらそんな簡単な事でいいのか、なんて安いやつだと思います。「相手が凄くやりたくない事を、それでもやった。己を曲げてまで望んだ」という点に、「では私の支払う事になる我慢など、おまえが今払った犠牲に比べればまだ安すぎるようなものだ。私もおまえが支払った対価に見合うものを提示すべきであろう。いいだろう。私は契約を遵守する。おまえの支払ったもの、失ったもの、けして無駄にはさせない」と反応するのであってですね。

しかし己に忠実に素直になると人を惑乱するだけの上に、問題を多発して生きづらいので我慢します。こういうのを戦略と言うのだよ、戦略と。思うことの一割も口には出しません。それで常時ストレス過多。この筋肉痛と肉体疲労は、そうして得た名誉の負傷です。


ところで初めて一線を越えず清らかなまま終る話に到達しました。
……すごい欲求不満だ!
えー、なんだよ、コレで終わる?冗談じゃないよ!
自分にブーイングです。

私は自分で書いていたら、一向に話が終らんのです。ここでエンドと美しく纏めることができかねます。単に動いて喋らせたいだけでプロットとか展望とか無いからってのもある。
「人生は続くのだ!」
と思ってしまい、全然駄目なのです。人の片思い話を読むとキュンキュンするので、「私もすごーく切ない話を書くぞ!それで私は切ない系でSSで読みきりは欲求不満になるからハッピーエンドにする!」と意気込んで書いてみましたが、ちゃんとハッピーエンドにするつもりだったにも関わらず途端にかわいそうになり、己が耐えられなくなりました。珍しく考えたのに、さよなら、プロットみたいなものよ。短い命だった。後四回はかわいそうな目にあわせる予定だったが、「もういいじゃないの!やめてよ!」気分になった。こんな好きなものを好きなように書こうって時ぐらい限りなく自分に正直でありたいと私は思います。
いつか幸せになれるとか私は好かないのです。いつかっていつだよとモロに思います。馬の鼻面に人参下げて走らせるようなマネをしやがってもうめっちゃ腹立ちます。いつかなんて言ってみんな「どうして?」ってビックリした顔をして死んでいったんだ!とか無駄に悲観的でシリアスになります。いつかじゃ駄目なんだよ!今じゃないと間に合わないんだよ!もうメッチャ焦ります。

人は何故こう巧みに自制心をもって書き進められるのでしょうか。私は作品としての完成度などどうでもいいと即座に思います。エロシーンに到達した途端に話の展開などどうでもよくなります。次はいつエロに持ち込めるんだとかそんな事しか考えられなくなっており、美しくエンディングにスライディングする事ができなくなっています。

寝たら朝が来てしまう。飯を食ったら、次は食器を洗うんだ。夏が終れば秋が来る。もう全然終りません。いつどう終ればいいんだ。終るならいつだっていきなり終われます。突然隕石が降ってきて終わったりできます。人生はそういうものだ……、なんで人生に拘ってるんだ。若かりし頃にオリジナルで一度死にネタを書いた事がありますが、だのに終らなかったので無理に宇宙を破壊しました。だって生きてる人間の人生はそれでも続くのだよ!と、一向に終らなかったからです。宇宙を破壊したのに、つい宇宙消滅後の世界を書いてしまったのが痛恨事だ。
おおなんでもかんでもダラダラ続きを考えてしまうんだよう。次から次に考えてしまうんだよ。

こー、よどむことなく時は流れていくのだーってのが物凄く根っこにあるような気がする。どんな痛みも哀しみも苦しみも喜びも楽しみもおかまいなしに、必ず時は流れ去っていくのだ!などと凄く物凄く思っているっぽい。根っこに頑丈に根を張っているっぽい。これが「今でなければ駄目なんだ!間に合わなくなるんだ!」という焦燥感を、まあ間に合わなくても、死なない限りは続いてしまうし、死んだら焦る事もなくなるしな、と強引に中和している。だから「死ぬかも!」という気分になると、いきなりふっと安心するんだよ私は。どうにかしたくても絶対にどうにもできないところへいく。権利を失うという事は義務も喪失するという事だ。そうか、もういいのかって気分になるわけよ。
だからいきなり途中で筆を置きたくなるのかもしれん。終らせたらはじめてしまう。はじめてしまったら変えてしまう。時間よ止まれ気分になる。でも時間が止まるのは好かない。死んだみたいだ。でも死んでない。生き返れ。それで複雑な心境により、新しいのを書き始めるんだな。

きっと明日あたり、清らかに終らせた事に我慢できなくなって、エロに持ち込むために鋭意努力してると思われる。


やぐちまさき |MAIL