非日記
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書こうとしてたのはタイヤキの話だった。 ちゅうかなんでそう要らん事ばっかり言うんだろう私。もうちょっと要らん事とか聞き苦しい事とか言わずに醜悪さを露呈せずに生きていけないんだろうか。無理。
ちなみに、進化が行き過ぎて絶滅したと言われてたのは、鳥でなくて鹿みたいなやつだった気がする。角がでかくなりすぎて。「鳥で羽がでかくなりすぎたら速攻生きていけないんじゃないの?」と悩んでいたら思い出した。そうそう、確か鹿系でね。草食系統の角は雌にアピールする時と雌を争う時ぐらいしか戦闘に使用しないので、「要は、所謂美形度とか格好良さを追求して自滅したのか」と微妙に情けなく感じたのよ。「男と女の愚かさ」って感じじゃないの。
さらに本屋で見直したら、「取り扱い説明書」でなくて「自分の説明書」だった。他の血液型にしたら「取り説」なんだから記憶違いしても仕方ないだろうと思ったりする。
取り説は出版されて話題になり結構経つもののいまだに売り上げトップを走ってる書店もあるみたいだが、言おうと思ってたのは、たぶんその恩恵にあずかろうとしたに違いない匂いがする「X型の頭の中」という本の方だ。血液型別に出てて、中は星座別になっている。文言の短さとか雰囲気がものすごく取り説の雰囲気に似ていて、これ絶対二番煎じ!流行の波に乗って今を逃せるかと慌てて編集された匂いを感じるが、こっちのいいところは全種揃って刊行されてるところだろう。どっかの株や証券の先生が「値上がりし始めた最初の何割かのうちに買わなきゃいけない。一般に情報が出始め騒がれる頃には大抵値下がりが始まっている。落ちたものは必ず上がる。上がったものは必ず下がる。永遠に上がり続けるものも永遠に落ち続けるものもない。皆が熱狂してる頃にはどん底に落ちてる方を買うべきだ」と言ってたのを思い出してみた。確かに、取り説のシリーズの方で全種類の血液型が出揃う頃には流行りは廃れ始めてる気がするね。
ともかく、その表紙の帯に自分の○型蟹座が書いてあったので「なんですって?この私がいつ堂堂と人を貶したと言うんだ」と思って覗いてみたわけだ。ゴキブリホイホイのように順調に捕まる私。阿呆だ。 この本のコンセプトのよくわからんところは、タイトル。「その人の頭の中では自分の事をそう思ってる」のか、「他人から見てそうなっている」のかよくわからん。
確かに私は陰口はあんまり好きではないよ?陰口を聞きたくないがばかりに休憩中など付き合いが悪いと文句言われながら逃げ回っている。自分がムカついてる相手の陰口だとその時は聞いてて愉快でない事もないんだが、言うほうは気分がいいしな、しかしどうせ後でやたらへこむねん。
「そ、そんな!アタシ、人を貶したりなんか…!」と思いたいところだが、「私はおまえに死んで欲しいと思っている」と正面切って言った記憶もいくらか無きにしもあらず。 「で、でも今は丸くなったんだから!」と思うが、よく人と他人の話をしてる時に「声が大きい!」と慌てられることが何故かよくある(近くに本人がいたり、そのナカヨシがいたりするわけだ)。私は何故声を潜めなければならないのかがわからない。大体今更遅い。聞こえたかもしれなかったらもう逃げられん。決戦の覚悟を決めろって事だ。 大体、言わずにおれない不満があるなら本人に伝わるべきじゃないんか。伝えなくてどうする。聞こえそうな近くにいるなんて運命である。だから「よっしゃ!まかしとけ!」とさらに大きな声で聞こえよがしに言ってみる。「あなたたち…なんの話をしてるのかしら?」とやって来たら、直接話し合う良い機会だ。というかそのままだとただの陰口になるところを免れてラッキーである。「あなたの悪口を言ってました」と胸を張って言う。
そう思うと、「いや別に堂堂と言ってるわけじゃ」と思いながらも、もしかしてああいうのの事かと否定しがたい部分もある。「金を貸すときはやるつもり」は確かに主義ではある。『絶対返してくれる』などと確信して貸したら、後でもめた場合にどんなに信頼しあった人間関係をも容易に引き裂くと確信してる。「返してくれなかったら許せない」なんて時は貸さない。だから金融関係の仕事はできないし、銀行や消費者金融から金を借りるなんて事はそうそう考えられない。自分はなんて心が狭いんだろうと情けなく思う。でも譲れない思いの金色夜叉。
逆に「これだけは絶対に違う!」と言いきれるのもちゃんと混じってる。「怪談が平気」? 平気なわけないだろう。もうそんな一文を目にしたせいで、寝るときになって呪恩の怖いシーンを思い出して大変だったんだ。「…ダン!…ダン!と音が続くので見に行ったら、子供が親父の首吊り死体をブランコのように揺らして壁に打ち付けて遊んでた」シーンを思い出し、なんとか「あのシーンにはユーモアがある!アハハ笑えるなあ!」と信じようとしてみた。しかし「夜中に寝苦しく魘されて目が覚めたら、ドアがひとりでに勝手に開いたので閉めに行って、ふと振り返ったら、そこには バーン! 血だらけの兵隊さんがッ!」のテレビ映像を思い出してしまい、「もうだめ!死ぬ!」と思った。「だめ!だめ!だめなの!出たらだめなのよ!出るぐらいなら寝られなくてもいい!」と布団の海でクロールした。でも寝た。
<脱線> …ちょっと前の話なんだけど、深夜に目が覚めてトイレに行ったらさ、 用を足してる時は何も無かったんだが、トイレを出ようとした瞬間にぶわっと物凄い線香のにおいに包まれたのよ…。しとしと雨の深夜で風はなかった。うちの家に以前住んでた友達に言ったら、「ええ!?うそ!」と驚いたので、つまりそれぐらいありえない感じだ。 寝ぼけていた私は「あ、お線香の匂いだー。お線香の匂い好きー」などと思った直後、「…え"?」と思った。いっきに背筋を走り抜ける悪寒。こんな時はとりあえず寝るに限る。それが永遠の眠りになってもいいから私は寝る。とりあえず京都のお寺のお札を無意味に撫でてみる。頼んだぞ。よろしく。千年の都、魔法陣都市の底力を見せてくれ。「こわいよー」と思いながらしかし寝ぼけてるので直ぐ寝たっぽい。朝になって目が覚めた。目が覚めた事に感動したのは久しぶりだった。もう起きることはないかもしれないと覚悟してたんだが何事も無くてよかった。耳無しホウイチみたいに朝だと騙されてるかもしれないと疑ってみたが、ちゃんと外も全部朝だった。そこで私はお湯を沸かそうとキッチンに立った。薬缶に水を汲み、コンロにかけ、ガス栓とつまみを回…まわ…既にまわってる。
なぜかしら…ガステーブルの元栓とつまみが、火がついてないのに全開だわ。
先生、あの線香の匂いは、お迎えが来てたんだと思う? それともお迎えを阻止しに来てくれてたんだと思う? 悩ましいところだ。 それで思い立って、生まれて一度もした事が無かったので好奇心もあり、厄払いに行ってみたんだが、ちょうどその日にその直ぐ近くであんな事があるとは本当に思いもしなかった。 <脱線終り>
「確かにそれはある」と思うのと「なんだそりゃ」が混在していたので、余計面白く思った。
>> 言いたかったのはここからだ。驚くべき事実が発覚した。 >>
お友達の欄にあった「タイヤキを食べる時は必ず頭から食べると決めている」が猛烈に気になった。本当だろうか?そんな事決めてるのか、彼女は? 早速おうちに帰ってメールです。 「つかぬ事をお伺いしますが、お姐さんはタイヤキを食べる時、頭から食べる?尻尾から食べる?」 何も知らずに、ホイホイと返信が来ました。 「頭から食べるわよ?」 マジでか! 私はタイヤキをどっちから食べるかなんて意識した事もない。さらに調査です。 「いつも?」 「うーん、今までに尻尾から食べた事はないわね」 マジでか!? 大体「今まで」の事を覚えてるのが脅威です。生まれてこの方四捨五入して三十年、一体人はその間に自分が何匹のタイヤキを食べてきたのか数えられるだろうか。ありえない記憶力だ。つまり、毎回毎回毎回毎回、タイヤキの「頭から」食べる事を意識的にやってきたとしか考えられない。私は、「まさか尻尾の方にはあんこが殆ど入ってない…なんて事はないだろうな?もし頭から食べて尻尾まできて、そこで餡がもう入ってない!そんな事になったらコトだよ。大ショックだ。尻尾から食べて餡が入ってなくても後は最後まで餡がいっぱいなら別にいいが、その逆はいやだ。もし尻尾に入ってないなら頭の方に詰まってる餡をちょっとうつさなくてはならないわ」という理由で、まず頭と尻尾の間を割って中を覗いてみる事がある事しかわからないというのに。
続きに「その事について咎められたらキレる」というのがあったので(みたいな感じの事。細かい文言は違うかもしれん)、それもついでに聞いてみる。 「文句言ったら怒る?」 「別に怒らないわよ。そんなに言われたら、尻尾から食べてみてもいいわ。新たな発見があるかもしれないものね」 ないじゃろ
私が思うには、頭から食べる事をそれだけ意識するというのは、密かにタイヤキのあの愛らしい形に何かを感じてるんじゃないか。だから「ギャハハ!死ねぇ!」と残虐な気持ちで食べてるか、「逃れられない運命ならば、せめて直ぐに楽にしてやるぞ!」という優しさの発露なの。 まず生きたまま腹を裂いてハラワタを覗いてみたり、まず尻尾を開いてあんこの偏りについて検分しようなんて冷酷な発想はしないわけよ。尻尾から少しずつ食っていき、苦しみを長引かせるようなマネはしたくないの。だから「頭から食べるなんてかわいそうじゃないの!」とか言われたら、「じゃあどうしろって言うんだ!食うなって言うのか!?」とキレるんじゃないかと疑われてるのよ。しかも「ハン!(鼻息)何言ってんのよ馬鹿じゃないの?かわいそうだからこそ!一思いに頭から食べるんじゃないの!」などと自分が優しい子とか思いやりのある人のように思われそうな事はカッコウ悪いので断じて言えない。そこで「うるせえ!人の勝手だ!」とただムカツクだろうと疑われてるのよ。
これは遠い記憶の底にうずもれた深層意識なの。 生まれて初めてタイヤキを食べたあの日、あのむっちりと愛らしいおさかなさんを前に「これは一体どこから食べればいいのか?」と思い悩んだ末、自分にできる最後の優しさとして出した結論であり、選びとった人としての道なのよ。人はどうあろうとどうでもいい。色色な考え方があるだろう。私は人のやる事に文句はつけない。だから人も私の選択に文句言うな。私は選ぶ。ひと思いに頭からガブリと食べよう! でもそんな繊細な心の動きはド忘れした。 覚えてるのはコレだけだ。「タイヤキだ。頭から食おう」
そこで人に言われて「そういえば特に意識したことも無かったけど(一度もない等と覚えてれば十分意識してるうちに入るのに、こんな事をのほほんと思ってみる)どうしてかしら?」と思い、「それでは」と尻尾から食べてみても、無論の事「新たな発見」などあろうはずもない。どこかしっくりこないだけだ。次からはまた何故だか、なんとなく頭から食べているの。それを見てまた「なんで頭からなの?」としつこく言うと、「もー!そんなのどっちでもどうでもいじゃないの!」となるねん。私にはわかる。 あ、いかん。わかるはずがない。
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