非日記
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2007年09月16日(日) もうわけがわからない。

家賃を払いに行ったらまた捕まりました。
「はい、ありがとうございました」
「あ、ちょっと」
「はいなんでしょう」
また何かくれるつもりか?(悪)うんにゃ私だって最初のうちはなんとか断ろうと…いやもうどうでもいい。努力なんて関係ない。結果が全てなのよ。
「………………」
「………………あ」
「………………」
「………………えーと」
「………………」

…沈黙が長いんですけど?
足が痒いんですけど?(待ってる間に蚊にかまれた)
家に帰ってもいいですか?

…ハッ!?もしかしてこの果てしない言いよどみっぷりは、大家さんが重体とか亡くなったとか(亡くなってたらこんな悠長にしてないだろう。葬式で忙しいだろう)今にも死にそうだとかか?昔ならいざ知らず、近所付き合いというのが死語になりかけている私どもの世代に向かってこのご時勢ではそういう事は言うに憚られるが、だからといって何も言わないというのもどうか、というその気持ちはよくわかるわ。

私だって兄ちゃんが死んだ時には、来るか来ないかわからないが年賀状の事もあるし、友達に一言知らせるべきか黙ってスルーすべきかどうか物凄く悩んだものよ。何しろ筆まめで無いので、ン年ぶりにもなろうかという連絡が、いきなり「突然だけど、あのさー、アタシの兄ちゃん此間死んだんだよねー」と言うのもどうか…?と凄く悩むだろ。他に何か用事があればそのついでにサラっと言えるかもしれないが(しかしそれもどうか)、言われても「だからなんだ?」って感じだ。私なら「ああそう」としか言えない。各々が各々の人生を生きるのに精一杯であろうのに、そんな「何か言わなくてはいけないのでは?しかし何を言えば良い?」と困らせるような事はしたくない。かといって、何も言わず、何かの拍子に「そういえば矢口さんのお兄さんってさー」等とウッカリ何の因果か話題になった時に、「あ、そういえばあいつ死んだんだけどさ」等と嫌な方向に話の腰を折ったら、相手はすっごく気まずい思いをするような気もする。言いたくない。言いたくないが、そのまま後になるほど言うタイミングを逃すような気がする。それでも何も言わないのは常識的にどうなんだろうという気もせんでもない。

自分の時にも困ったが、就業中に突如お客様から「矢口さん、私の息子が死にました」と言われた時にも私はどうすればいいのか困りまくったのだ。これがまた若すぎるとも言えず(この何歳からならもう若くないのかは悩ましいところだ)、十分に長生きとも全く言えず(どっちにしても親より先に死んだのだから親からしたら何歳であろうが早いんだろうが)、「お悔やみ申し上げます」だけでは冷たい感じがし、「それは悔しいですよね」と一言添えたら耐えていたものが一気に来てしまったらしく、「そう、悔しい…ッ!」で号泣されてしまい、他の仕事もあるのに動けなくなってしまったのだ。

こういうのはいつでも悩ましいよな。百歳ぐらいになればいい感じの対応ができるようになるのだろうか。ちゅうか、百歳にもなったら「俺も直ぐに逝く」先輩的、戦場の朋友みたいな返答しかできないような気もする。

言うべきか、言わざるべきか、それが問題だ。と、散々悩んで、「そうか!こういう時の為に年賀状はあるんだわ!もし親族に死者が出たら喪中はがきを出せばそれで済むんだもの!」と、その年齢になってようやく年賀状のありがたみ、深謀遠慮に気がつき、「よし!今年から年賀状を出すわよ!」と固く決意したのにダメダメに進んでいる。大体家族や自分が死んだ事を情緒を極力排して「さりげなく」知らせる為に年賀状を出し続けるなんて、人としてちょっとイケナイような気もせんでもないのだ。てゆうか私はそんな意識で事はしたくない。

まあともかく、この「店子(少し)以上・家族(遥かに)未満」という微妙な人間に対する、大家さんの病状や生死の報告における扱いは悩ましいものだよな。よくわかるわ。
だが覚悟は決まっている。大体兄者が死んだ時に香典を何故か二万くれたので(よく知られるように、とかくかような事においては二の倍数は避けられるのが日本人の嗜みだ。これで親共々「…大家さん、まちがいなくボケてるな」とシミジミ話し合った)、その半分を延々といずれ「さりげなく」返すつもりでいるのだ。
さあなんですの?なんでもおっしゃってちょうだい。自分は半身不随なので納棺を手伝えとかか?(そんなわけない)なに、私はこう見えても、ちょびっとだけなら助け合いの精神を大切にする女だぞ。できる事はできるやつがやればいい、できない事を無理にやれとは言わない信条である。こう見えても二十年ぐらい前は隣人愛という言葉もいい言葉だと思っていたのだ。大地震が来たらおまえはちゃんと逃げられるのか心配するぐらいは人並みの心を持っているのだぞ。気にせず申してみよ。

「………あの、ドク/ダミ/茶は飲みますか?」

おいこら私の覚悟を返せ。

「あー…以前いただきましたね。その節はご馳走様でした」
「いえそれで飲みますか?」
もう私は全てを捨てて久しいのです。
「あー…それではありがたくいただきます」

大家の息子さんは奥へ行って何やらごそごそしています。ドアを開けっ放しにしてたら虫が入ってしまうと思い、私はドアを締めまして、一生懸命足を掻いていました。気持ちとしては、「あーあ」です。もういいよ、人のものを厚顔無恥にシャーシャーと巻き上げていく女で。私が本当に巻き上げたいのはオンリーの同人誌だけなのにさぁ、人は絶対アタイを誤解するよ。確かに私は人付き合いがあまり得意でなく、Web拍手も勇気を出さなければ押せず、自分の口が不安なので一言だって書くのは憚られ、無論コミケに行ったって差し入れをするなんて言うに及ばず、和気藹々と盛り上がって楽しい会話するなんて事すらまず無理だろうけど、嗚呼きっとそれこそが有意義なコミケの過ごし方に違いないのだろうケド、でも!コンビニで万引きするぐらいの注意深さでレジ横の助け合いBOXに小金を放り込むが如き手際で、好きなCPの物語をステキに捏造してくれる素晴らしい人のミニミニパトロンになるぐらいならできるんだから!それなのに望ましくも無い風評を背に、私はこの夜中にどうしても欲しいわけではない茶を貰う為に人ん家の前で蚊と戦っているんだわ。何故に。

それにしても遅いですね。あのさオッサン、そんな一生懸命出さなくてもいいよ。もうそれは来月って事にしない?そいでその間に忘れちゃおうぜ。

見つかったようで、えいえい歩いてらっしゃるので、私もガラス戸をあけてありがたく受け取りました。
「はい、どうぞ」
「はい、どうもありがとうございます。まあこれは………なんでしょう?私にはなんだかコーヒーみたいに見えます」
「ハッ!(笑)これはドク/ダミ/茶ではアリマセンから!」
「はぁ、やっぱりコーヒーなんですね。ありがとうございます」
「はいはい」

そうして私はインスタントコーヒーを貰ったのでした。
申し開きをしたい事が色々ありますが、とにかく私は「コーヒーを貰うとは言ってません。コーヒーならいりません」と言って出てきたコーヒーをつき返す等という事はどうもできかねます。さらにどうでも良い気持ちと諦観が胸いっぱいなのに、「何故コーヒーが出てくるのか?」と追求する気にもなれません。もし相手が友達だったら「なんで?」とか「見つからんかったんか?」と尋ねられても、今の私は微妙なご近所付き合いモードなのです。
こう見えても私のモードチェンジは別人レベルと定評がありますからね。裏表を駆使なんて、そんな小難しい事はできません。内面からごっそり根こそぎシフトです。「まあ…声まで変わって!」と、お友達に毎度バカウケです。てゆうか、いつも思うけど、人が一生懸命真面目に働いてるのを笑うもんじゃありませんよ!
私からしたら、元の普段の性格・人格・風貌のままでブスっと投げやりにテンション低く、明らかに、いつ厳しい顧客から「貴社の社員の態度は云々」とクレームが来てもおかしくない「その接遇はどうなんだ」的態度のままで、堂々と接客できる人々の方が凄い精神力だと思う。実に羨ましい。

それはともかく、
しかし私には解せぬ事があります。色々いっぱりありますが、特にドク/ダミ/茶をやると言ってインスタントコーヒーのビン(未開封)を渡され、何故せせら笑われるのかが分かりかねますよ。
やっぱり大家さんは重体なのかもしれない。


ところで便所にコオロギがいた。
体の上をゴキは走るは(ギャー)、クモは歩くは(足の先が刺さってチクチク痛くて目が覚めた)、バッタは飛ぶは(痛いっちゅうの)、もうこの大自然の小さな家カンベンして欲しい。


やぐちまさき |MAIL