非日記
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2007年08月16日(木) つれづれ。

暫く日記を書かずにいると、もうはや何をどう書けばいいのかわからなくなってしまいますね。某人がいつまで経っても日記を書かないものそれかもしれません。私だって同人サイトの更新の仕方というやつを(アップロードの仕方ではなく)もうすっかり忘れてしまっていますからね。だから「アンタは更新しなさすぎー(笑)」と怒られても仕方ないのです。私の中では「アタシ、すごい頑張るってるじゃん!」なつもりでいるのだ。むしろ世界で一番頑張って更新しているガレ子サイトのつもりですらいる。

(いや、るなのサイトはここ五六年は回ってないので世の中がどうなっているのかわからず、無論私などよりよほど素晴らしい内容で頻繁に更新しているるなサイトもあられるかもしれないのだが、他所様を拝見するとつい自動的に自虐的になって心身の健康が蝕まれるので、心地よく快適に生きる為にあえて探したり見たりしないようにしてるのだ。現在のような情報化社会においては、いかに大量の情報を素早く得るかではなく、いかに大量の情報流入を制限し、いかに自分の処理速度にあった情報量に抑えるかの方がより重要で切実な問題であると認識しているのでありますマル)

大体先月の終わりに、まず参院選の投票所の入場券が来なかった事について書こうとしてたのです。これで私は世の中について一つお勉強する事になったので、是非ここに書き記しておこうと思った。にもかかわらず、うっかりと珍しく真面目にゲームをやったので、ついウキウキと書いてしまい、後は寝てました。嘘です。寝てませんでした。昨日も頭がガンガン痛いのを耐えながら楽しくおニューのジャンルで回転してました。
うん、二週間前と違うカップリングに嵌ってな。また攻を受にシフトしたんだけど、これが楽しいのなんのって。ケケケケー!

入場券の話だが、本当に選挙当日の朝まで来なかったのだ。正確に言えば、来てはいたが手に入らなかったというか、他所へ来てたというか。いい加減来てるはずなのに来ないので「アタシがダメ国民だから?納税額が少ないから?それで投票の権利を失ってしまったのかしら?税金は関係なかったような…」とまで思ってウダウダ待ってたのだが、前日になってもポストに見当たらないのでとうとう選管のサイトまで見に行ってみた。自分が世の中についてのみならず様々に無知である事は議論の余地の無いところであるので、ひょっとすると何か私の投票権が失われるようなことがあったのかと思い。しかし調べてもわからない。

ただ入場券は無くても投票できるはずである事はわかったので(なんと身分証明の必要すらないっぽい。確かに現在では健康保険証すら維持するのが困難な家庭がじわじわと増えてるっぽいわけだが)、いざとなれば「いつもの」投票所に行って自分の名前があるか確かめてみればよいと思ったのだ。
しかし実際事務手続きのミスだとか郵便事故だってありうるのだし、入場券が来ないなどという時には普通どうするものなのだろうか?
そこで世の中を検索してみたら、やっぱりそういう事も結構あるようだった。しかし世の中の皆様の偉いところは、どうも来ないと判じた時点で素早く選管などに確認してるところだ。私のように「明日の朝になっても来なかったら〜」等とのんべんだらりとはしてない。私は選挙にはたとえ白紙投票であろうとも白紙を投票する為に行くべきだろうと考えるタイプで、人様の「どうせわからないし選挙には行かないけど世の中がメチャクチャになったら文句は言う」という意見には苛立ちを覚える方だ。「もし自分の意見を何も言わないとしたら、それはどうなってもいい好きなようにすればいいと許す事であり後で文句を言える義理じゃないだろう」と言ったら「そんなわけないじゃない」と人は言ったのだが、しかし私は人生経験的にそういう感覚が根強くあるような気がする。

ただ苛立つのとは別に、それはそうだなとも思うのよ。たとえ選挙に行かなくても、ニュースも無関心で見なくても、もしくは逆に例えば選挙に行って真面目に投票して自分の支持した政府がおかしな法律をつくったりしたら、たとえ理論的には自分に責任(の一端)があるとしても、やっぱり文句は言わねばいけないだろうと思うのよ。我慢するのは…ダメだろう。
それが正しい庶民の姿だよな。正しいというか、強いというか、美しいというか。

しかし私はその昔寮長をした時にですね、最初はその時になるはずじゃなかったのに、立候補受付の最終日の受付締め切り三時間前になって立候補者が代わってくれと頼みに来たのにウンウン睨み合った結果、泣きにほだされてというかなったんだけど、その時に、誰もなるのが嫌なものだから譲り合いというか押し付け合いの結果であるからには、「誰がなっても協力するからね」という約束だったのに、決まったら決まったで協力もへったくれもなく文句だけは言いまくってきたのを「嘘つきめ…」と執念深く覚えているのだ。それを思い出すあるね。
寮長ってのはアレだよ、金は会計が握ってるし、外交権は寮連合部長が握ってるし、生活の端々については全て専門の部長がいるので、なんの実権も無く、いわば象徴としてのみ存在し、要するに「一般の皆様の不満を好き勝手にたたきつけられる矢面に立つ係」だよな。専属の仕事は「よろず苦情係」。「もう私の事はいないものとして勝手に会議をして決めてくれ。いなくても何の問題も無いじゃん」と何度言っても毎度「寮長がいなければ始められない」と引きずり出されていたが、その寮長の立場をひたすら無意味に立ててくれた部長の皆様のおかげで、どれだけ文句を言われても「私に言わずに専門の部長に直接言えばいいだろうが。俺関係無いしー」と不満に思わず、「これが私の仕事なんだ」と耐えられたと思う。うん、今思ってもそう思う。

とにかくそういうわけで、「絶対協力するからね」というのはいつも大概おお嘘なんだ。誰かが責任者になったら人は全部をそいつの責任にし、自分は無関係の無実の良い子を決め込むものなのよ。そういう苔の生えた不平不満を思い出すので、「自分は何もしなくても文句は言うべし」それはそうなんだろう、そうあるべきだと思いながらも、「貴様はあの時の!」と違うのについ勝手な面影を重ねてしまい、すんなり看過できないのだった。うーん、でも自分の言動の責任を取って縛られてるのを見るとそれはそれで「いい加減にしろ!」とも腹立つしな。

結局、入場券は投票日の朝も早くに大家の息子から電話がかかってきて、大家の息子が自分の郵便物に紛れてしまっているのを気づかずに持っていっていた事が発覚したのだった。これはいわば郵便事故だよな。


前々から書こうとしてた事をなるべく簡潔に書けば、

1>近所に咲いてる妙な花がどうやら名高きハマユウらしい事に気づいた。妙な花だ
2>職場に行く途中で夜来香が咲いてるのだが、夜中に通らないので匂いがわからんのが残念でならない
3>電車を待っていたら細い金属の格子がガッチリはまった溝に小金を落としたらしき少年に通りすがりのオッサンが不憫に思って自分の財布から小金を渡そうとしていたが少年が断ったらしき場面を見て、小僧の神様を思い出した
4>寝てる時に何かが自分の腕を這った感触に飛び起きて払い落とした上に、それが黒い悪魔だと視認した瞬間咄嗟に素手で掴んで壁に向かって投げつけたが、次第に目が覚めてくると何より自分のなした事、主に素手で掴んで投げたところに慄いた。自分の手首を掴んでワナワナ「…うわああああああああああああ!」と声もなく喚く感じ。「うわあ!」三段活用。何かが自分の上を這った事に対する一の「うわあ!」→それを掴んで投げ飛ばす際の「うわあ!」→何をしたかに気づいた際の「うわあ!」もう死んでしまいたい


3>に関して言えば、オッサンの所業を遠目に眺めてて「うわあ私にはできないだろうなあ」と思ったのよ。私はどうにかならないものかと思いながら、あきらめ切れない少年をただ眺めてるだけだろうね。しかしじゃあできるのならそうすべきかと言えば、そうは思わないのよな。かといってオッサンの所業が良くない事、すべきではない事だとも思わないのだが。むむむむ…悩ましいなあと思って、ふっと小僧の神様を思い出したのだ。
ただ見知らぬ人の善意を断った少年は、善意を差し出したおっさんを気まずくしたかもしれないが間違ってはいないように思う。断っておきながら、さらに鉄柵越しの小金に執念深く固執するのも人として素直な姿に思え好感がもてる。私ならもうどうでもいいようなフリをしながら心の底では諦めきれずにいる。偉い子だ。

それで「そうだ。人はどうにもならない事もある事を知らねばならないし、どうする事もできない事を受け入れる事ができねばならない」と思って、一瞬後に、しかし私が今こう思ったのはあのオッサンのようにナチュラルに無垢な善意を差し出す事ができない自分を正当化するためではなかろうかねと思ってみたりしてみた。どうなんだろうな。

子育ての本だったか立ち読みした時に、もし幼児が忘れては困るような忘れ物をした事に気づいたら親はどうすべきかという問題があった事を思い出した。私は「それも経験だ。放置する」を選んだのだが、件の本によればよりよい回答は「とりあえず忘れ物を届けて急場をしのいでやり、後であらためて忘れ物をしない為にどうすればいいかを一緒に考えてやる」だったような気がする。「それも経験だ。放置する」で育てると、そのようにして育てられた子は人が困っているのを見ても何とも思わない冷たい心を持った思いやりの無い人間に育つとあって、「まあ本当にそんな風に育ってるわ。たとえばこの私が!まさに今そのように選んだわよ!?」とある種感心した事を思い出したのだ。…というか、私としては、私はそういう時は親兄弟には馬鹿にされ笑われた上に最終的にはボコボコに叱られていたので、自分の中では「たとえ誤りを犯しても非難せず優しく見守る」と大変思いやりのある選択肢のつもりでいたのに。

そういえば知人に「親は私が困ったり怪我をしないようになんでも先回りしてやってくれて、私はとても幸せに過ごし、とても感謝してる。おかげで私は自分では何一つできない人間になった」と親を恨んでるのがいるのを思い出した。人間は難しいな。本の通りにすれば間違いないなどという事は無いのだ。

私は幼稚園児の頃に親の本棚に教育書を発見して読んで見たら、めくるめくバラ色のステキなことが書いてあるようだったので(例:「いい所を見つけて褒めてあげましょう」「理由もいわずにいきなり叱りつけてはいけません」等)、「何故おまえはこの本のように私を育てないのか?おまえはこれを読んだのではないのか?」とオカンを追求したら、「それは参考に買ってみただけであり、私は自分のやり方で育てるのだ。他所は他所、うちはうちだ」と切り捨てられ、実に不可解であったが、今思うとそれはそれで正しい気がする。少なくともあの教育書も、その本を読んで「こういう時にはこのように私を褒めるべきだとこの本に書いてあるだろう。そのようにすべきではないのか」等と主張してくる五歳児を念頭に置いては書かれてなかったかもしれないしな。

教育書は時代によって言うことが全然違って面白いよ。それを読んでわかる事は、どう育てても大多数は割りとそれなりに育つらしき人間の柔軟性だろうかと思う。

私は本を読んだりもするけれど、「書いてあることを信じてはならない」といつも頑張って思ってる節があり。正しそうに書いてあって、コレはその通りなんじゃないかと自分が芯から思うほど、「という事は危ないな」と疑うべくできている。じゃあ何しに読むのかと言うと、例えるならば少女マンガを読んで「ステキ!」と思うのに似て、「こんな事が現実であるわけないけど、だってこういうのステキじゃないの!」という快感のためと言ったらたぶんとても近いと思う。読んでるときは愉しんでるんだけど「あーこういう考え方凄く好きだなー」と思うほど、読み終わったら、実に不愉快。「金なら払ったでしょ。終ったらさっさと帰って頂戴。アタシがあんたの事を好きだなんてバッカじゃないの?アタシはただ気持ち良い事が好きなだけよ。アンタの体だけ楽しめればそれでいいのよ。さっさと帰ってよ。鬱陶しいわね」という感じだ。


まあそういうわけで、他愛無い日常を見て思考と感情を弄んでいた事があった。


5>
そういえば、かまいたちの夜の2の陰陽編で、ナニガシが過去に殺された時の場面が出てくるあそこが実に嫌で、ものすごーく嫌で、あれをもう一度見るかもしれないと思うと撒き戻って別の選択肢を選びたくないぐらいで、陰陽編の全ての選択肢と全てのEDをクリアすることを忌避したのだが、あそこのどういう雰囲気が嫌かと言うと、「イッキ飲みを強制して急性アルコール中毒での死者を出す宴会」的なノリが嫌でたまらない。こないだ仕事中に思いいたって「そうだ、それだ!」とすっきりした。

このシーンに至る前だか後だか腹がぶっちぎれる場面前に選択肢が確か三つあった。私は最初ポケットの中に鍵があるだろうと選択肢を選んだら自分がぶっちぎれて死んだので、死なぬように次の選択肢を選んだところ人がぶっちぎれた。これもかなりショックだった。まるで自分が死なない為に人を生贄に差し出したかのよう、「ちちちち違う!違う!知らなかったんだ!おまえを身代わりにするつもりなんて、おまえを殺して生き延びるつもりなんてなかったんだ!」と心で絶叫。

こここここここのやろう、人のなけなしの良心をいたぶりやがって。
なけなしだからこそ大事にしてるんだぞ!?
私は良心があると大変生き難いなと判断すると、つい「チョンチョンと良心をカットするか」という楽な方に楽な方に行きかける癖があるのだよ。そういう人様の良心に輪をいかけて弱く儚い私の良心にそういう惨たらしいマネをして許されると思ってンのか。あのなんかよくわからないジジイ、泣いて土下座して許しを請うのを嘲笑って踏みにじってやるにはどうすれば良い。一寸刻みに端から切り刻んでやる。やつに後悔というものを味合わせてやりたい。そのためならなんでもしよう。殺戮を好む黒い女神ドゥルガーの額から生まれたカーリーでも召還したい。
という気分についなりましたよ。

大体わらべうた編は仮にも推理ものなので、正規のEDまで行けば事件の真相がわかるというオチなのだが、陰陽編は何を心の糧に進んで行けばいいのかわからない。いっそ早めに軽い感じで死んで終っといた方が一番マシなような気がしてしょうがない。
「助かる方法ならあるかも」と人が言った瞬間、「敵が一人ずつ殺すのを待たずに今すぐ自分以外の全員を一気に殺害すれば助かるんだろうな。それぞれに符丁か何かがあってコレコレをこの順番で殺さねばならないという儀式上のルールがあるのならダメだが」と思ったが、「む、そういえばこの中に(主人公の)好きな女がいたんだっけ?」と思い出して、じゃあダメじゃん。あえなく却下した。

わらべうた編にも思う事が無いでもないんだが。
例えば、力いっぱいマニキュアを握り締める暇があったら、まず首に絡まったものに手をかけるものじゃないんか…?と思うじゃろ。マニキュアぐらい「孫に貰った宝物」とか言って済むだろうにと思うが、さらにその前に、おまえはババアの扮装をして延々過ごすつもりでいながら、一体何しにマニキュアを持ってきてたのかとか納得行かないだろ。こういうところがどうもスッキリしないねん。殺人事件になるためになされた殺人というか、ミステリーにするための犯行というか。
監修のミステリーにおける遥か昔の初読の印象がまさにそういうミステリーだったから(都合がよい事件とキャラで、なんか人間性というか温かみというか共感を感じないというか、何故そんな妙ちきりんな事をするのか理解ができないというか)、これはこれでこういうものなのかなと思うけど。

しかし陰陽編は輪をかけて意味不明だ。イエモンさんは最終的に何を目的としていたのかやっぱりわからないだった。
あの呪文みたいなの、有名な反魂のが混じってるような気がするんだけど。でももう「いる」だろ?だから儀式を完成させると、イエモンさんに朽ちた肉体の代わりに不老不死のおニューの肉体でも出現するのかと思ったのよ。生き返りたくてやってるのかと。だって最初はちゃっきり殺害予定の九人だけ呼ぶつもりだったわけだろ。寄り代の予定が組み込まれて無いじゃんか。
サイコキネシスで安々と殺害できるくせに、わざわざ生きてる人間にとり憑いてみるのは何?趣味?
殺すのに体なんかいらんだろうが。あれだけ時間をかける必要も無いだろ。ドアを開かなくして火事でも起こせば簡単じゃんか。一人ずつやりかたを変えて殺す必要はないだろ。五十年前は皆一度に水に沈めたというのに、それでは面白みが無くてダメなんか?面白みがなくてダメなんだろうな。「血を好む」というのが、そういう意味なんだろうな。

儀式が完成すればヒト神が復活するというけれど、しかし五十年前に完成していたのでは?じゃあイエモンは何?ただの悪霊?ヒト神が復活すれば血を好んで残虐で云々というけれど、じゃあ昔のイエモンの趣味の悪さは何?単なる個性?
復活するとかなんとかより、永続するためのなんかな?うんうん唸ってみてもよくわからん。


やぐちまさき |MAIL