非日記
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2007年02月18日(日) 空中に向かってパンチ。

俺には貴様と話したいことなど何一つとして無いわッ!

「と怒鳴りたい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?」。
感情の赴くままに宙に向かって口パク無音で言いたい事を喚いた直後に「」内を付け加えたらば、途端に、まるで自分が頭の芯の髄まで冷静であるかのような気分になれてステキだと思う。
家族で過ごしていてあまりの意味不明な言分や、ギャアギャア騒いで人の忠告をきかずに自分の意見をごり押しして思うがままにしたあげく失敗した時などに、そのような事をしたオカンの背後で親父と二人でオカンを指差して、「あほー」「あほー」と力いっぱいの口パクで感情を送信しあっている名残かとも思われるが、しかしオカンも昔から時々、珍しく穏やかな顔つきで誰もいない空中に向かって聞き取れない程の小さな声でひそひそと話をしているので(人をキの字呼ばわりしておいて自分も十分に変な女だ。おそらく考え事をしているのではないかと思われる)、口パク由来はあっちかもしれない。
(だから実はあの人は内向的なんじゃないかと思ったりもする。コペルニクス的転回で驚天動地だが、可能性として希薄というわけでもない。人にギャアギャア干渉しようとして騒々しく煩いのは…なんつーか例えば高き人間生活の理想を強靭な精神力で弛まず追っている雄姿なのであって、とか。この論文でJ子学会に論争を巻き起こせそう(注:J子学会はアタシの心の中にあります))


そういえばちょっと聞いてよ。
最近アタシ、生まれて初めて「お姫様抱っこ」をしたよ!思ったよりアレは抱きあげやすいスタイルだとわかった。肩に担ぎ上げるのには負けるだろうが、何故あの形になるのかは分かった。
私「私昨日お姫様抱っこしましたよ。生まれて初めて!(笑)」
人「えー、ホントー!?(笑)一人で!?」
一人でやらなきゃお姫様抱っこじゃないだろッ!(ツッコミ)

…今のこの仕事は別段「一生この仕事を続けたい」とか「仕事に夢中になる」とかそういうもんではないんだが(人によってはそうかもしれんけど)、なんか普通に生きてたら中々遭遇しないだろう面白いことが時々起こって、そこが妙に楽しいと言えなくも無い。
去年は生まれて初めて、怒りのあまり「胸倉を掴まれた」。ついでに殴られた。胸倉を掴まれて捻りあげられたのは初めて!同僚が慌てて間に入ってくれたが、おかしくて思わず口元が緩んでしまう。私はこっちが商業的に(?)立場的にあまり強く出られないことをわかっていて我侭こいてゴネる相手は大嫌いなんだが、魂の憤りは好きやねん。
名前を呼ばれて返事をして振り返ったら、すげー嬉しそうな顔をして「呼んでみただけです」と言われるとか。どんな少女マンガだ。「代わりにきれいに化粧した綺麗な人が代わりに来るから楽しみにしててください」と言ったら、「わしはアンタで良い」と言われるとか。どっかの球根みたい。なんの脈絡も無く唐突に「きれいな目をしてる」とほめられてみるとか。まるで口説かれているよう。
ついなんだそりゃと動揺して早速お友達に「誰も彼も友達にも産みの親にすら気持ちが悪いと言われ続けたこの私のこの目を!おまえはキレイだと、そう言ってくれるのか…ッ!?などと感激してしまったわ!」とウキウキ電話して爆笑されてみたり。
いつ何が起こるのかわからん風で、面白いっちゃ面白い職場だ。


大都会では、秒速5センチメートルというアニメ映画が上映されるらしい。ここは田舎なので上映されない。
特にアニメは派手で大げさで嘘ばっかりなのが好きなので、あんまり触手は動かないんだが、ちょい気になる。映画でも小説でもドラマでも創作物は大抵派手で大げさで嘘ばっかりが好きなんだけど。
ヤフの特集で壁紙になっている風景などのイラストレーションがとてもきれいだ。話は苦手な口かもしれないが、画面はとてもきれいそう。

主題歌が♪One more time,One more chance♪で無駄にときめいた。一時山崎まさよしとスガシカオばっかり聞いていた時期があって(仲良しだと聞いて何となく納得した覚えが)、この歌も好きだった。特にサビの部分が良い。♪できない事は何も無い♪などという心境にはなれないが。

いやこれ全体的によくわかんない歌詞なんだけど。

今すぐ君の元へという願いがあって、君のほかに大切なものなどない程の思い入れで、しかもできない事は何も無くて全てを賭けるほどの意気込みになっているなら、「それなら今すぐ行けばいいだろうに」と思うだろう?
それで考えるねん。
それほどの思いでいながら「できない」のは何故か。

…つまり死んだのか、「君」(相手)は?

♪不意に消えた鼓動♪だしな。
私は「突然に別れて傍にいなくなった」という事の隠喩だろうなどと和やかに思っていたのだが、よくよく歌詞を吟味してみると、「消えた鼓動」というのはその言葉通り、心臓が停止したという厳然たる現実を意味するのかもしれん。愚かにも私は単純に歌詞の人物は振られ(しかし好きだとは告白はしてないようなので振られたというものでもないだろうけれど)、彼女は遠方に転居でもしたのかとでも思っていたが、「できない事はもう何も無い」とまで明言しているのに、「会いたくない」みたいな相手の気持ちぐらい無視する事ができないわけがないのだ。
「奇跡が起こるなら新しい朝を君に見せたい」というのなら、つまり「君」には「新しい朝は奇跡が起こらない限り訪れない」という事を意味する。この「奇跡」というのも、ラブストーリーなどにありがちな「奇跡的な再会」程度の軽い奇跡だと思いこんでいたが、「できない事はもう何も無い」程の人間が願うほどならば死者の復活という現在物理的倫理的に不可能な重苦しい奇跡なのかもしれない。

「ストーカー行為を繰り返して法的に接近を禁止されている」という可能性も考えたんだけど(「これ以上何を失えば心は許されるのか」と言うほどなので、殺害したのかとも思う)、「できない事はもう何も無い」で「全てを賭けても」ほどなのよ?(しつこい)

でも死んでるなら♪こんなとこに「来る」はずは無いのに♪などと言う文言が出てくるか?強いて言えば、♪こんなとこに「出る」はずはないのに♪にならないか?
この一言の為に悩むねん。

それに仮に相手が死んでいてもだ、願いが叶うなら今すぐ君の元へ行きたくて、惜しいものなどもう何も無いのならば、自然に考えれば後追い自殺を試みないか?そう思うと「どれほどの痛みならもう一度君に会えるのか」と悩んでいるのは、私はてっきり精神的心理的な苦痛を考えていたんだが、実際は自殺した場合の肉体的苦痛のレベルについて考えているのかも…。この歌詞の主はかなりヤバイ精神状態になっている。
でもな、死んだらどうなるのか誰もわからないのに、新しい朝やこれからの自分が奇跡が起こらない限り君に見えず、言えなかった言葉が伝わらないと断定してるのはどうなんだろうかと思う。歌詞の主は、死んだらそれまでで消滅して蒸発よと思うタイプなのだろうか?それが、どれほどの痛みに耐えれば君に会えるのかとまで思いつめていながら実際に死を試みない理由(死んでも会えない)なのか。しかしそれほどまでに現実的ならば、「奇跡がもしも起これば」などという方向に思いが向かうはずはなかろう、とも思う。

代表作になっただけあって耳に残りやすく良い歌だと思うんだけど、歌詞の主人公の気持ちをトレースし始めると途端にわからなくなる。
最初に聞いた時の印象で一番素直に考えれば、「できない事はもう何も無い。君のほかに大切なものなど云々」ってのは気分の上でだけの事で、実際はできないでいるのよ。もしくは「今から」会いに行くのだろうか。奇跡が起こるなら「今すぐ」いくんだが、現実的に先立つものが無いとか(「君のほかに大切なものなど」「これ以上何を失えば」というほどなので無論金を貸してくれる親戚・友人・知人もいなければ、職も失い、家も追い出され、生活保護の申請を蹴られて呆然としたあまりに夢想にふけって自分を鼓舞している。「君のほかに大切なものなどない」と思えば、衣食住のほぼ全てを失った現状も大した事ではないと思え、明け方のサクラギ町をさ迷う浮浪者から再起を図ろうという気持ちになれ、奇跡が起こってこれからの自分の生き様を是非見て欲しい、見ててもらえたらさらにヤル気が出るのにと燃えているところ)、もしくは家族の葬式などの冠婚葬祭でしかも喪主で今すぐは無理だとか(それで君のほかの大切なものを今まさに残さず失ったので気持ちが盛り上がったところとか)。
どうなんだ、この歌は。どんどん妄想が膨らむ。
考えれば考えるほどわからない。


ところで私は好きサイトの更新がなかなか無いので、つい別カップリングに走ってみたりしていた。考えてみると、私はリバはそれほど好きでもないのだが、別段忌避するほどでもなく(こっち寄りがより好きだってのはある)、たまにリバ度が強い事もあるんだが、そういう時は大体攻の度量の広さ、懐の深さにかかっているような気がしていた。

もともと「(容姿が)かわいい子には攻をさせよ」が心の標語なので(対で「かわいそうな子には受をさせよ」もある)、私が好きな攻は一般的にかわいくて世の中の標準を鑑みると受にまわってることが多いのだ。だからマイナーになる。しかし餓えてカプお構い無しに漁り始め、かわいい攻が受になっているカプで実に可愛らしく描かれていると「まあなんて可愛らしい!さすがだ!」とご満悦になる事に気づいた。
それで長く親しむジャンルになると、よくひっくり返ったりひっくり返ったりひっくり返ったりするんだが(完全なリバではない。逆カップリングを行ったり来たりするという事。完全にリバれるのは攻の度量と受の性格にかかっている。ガレコでリバは難しい。女相手でも受だろうあれは。)、特にリバる時には、どうも受よりも攻が好きな時なんじゃないだろうかと、別カプで受になっているのを見て「あーかわいいーあーかわいいなーちくしょーかわいすぎるー」と唸っている事に気づいて思った。
これが「好きすぎてどっちでもいい」というやつか。

そういう子を最初に攻にしてしまうのは、「おまえコレがすきなんだろ。ようしわかった」と思い、幸せにしてやりたくなっているからと見た。だから結局、一周すると同じところに戻ってくる。同じところに戻ったときに、元の配置になりがちなのは「可愛い子には攻をさせよ」と同時に、「かわいそうな子には受をさせよ」という拘束があるからだ。
かわいそうな子に攻をさせると余計かわいそうな気分になる。何故かというと私の中で攻受の基準はどっちがより相手を欲しがるかなので、かわいそうな子を攻にすると「やりきれない」感じが拭えないのだ。精神的、社会的、肉体的に立場が弱い方が受になるのもあまり好きでない。
だから下克上好きー。後な、下克上好きは、「男なら(別に男でなくてもいいんだけど)上を目指せ」というのがある。

そこで特に精神的に対等であるほどリバりまくるという結果になるんだな。じゃんけんとか曜日で決めればいいよ。攻めても受けても可愛いもん。
攻で可愛くて頭悪くてヘタれてると最高ね。
…と言いながら可愛い攻を鬼畜系にするのも好きなのはどうなんだ。だっていつも同じなのは嫌なんだもの。いや、本当はきっと心のそこで「おそろしい子…っ!」と思ってるんだよきっと。それで時々原点に戻るんだ。
いつもではないが、たまに、サンドイッチに塩をふりたい、カレーライスにソースをかけたい、目玉焼きには塩かソースかしょうゆかマヨネーズをかけたい、フランクフルトにケチャップをかけるかマスタードをかけるか両方かけるかとか、そういう問題なのよ。


救急車とパトカーは救急車の方が相手に認められたい気分が強そうなので、あそこは固定なんだよ。立場的に弱いしな。自分では彼の代わりになれないと認めてしまったしな。だからあそこは下克上気分なの。
ガレコは攻にしてやりたいんだけど、性格的に無理っぽい。しかもなんかかわいそうなので受。色々な事を諦めてしまっているので受身。


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