非日記
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| 2006年12月16日(土) |
し〜っぽのーなーがいー。 |
明日試験でーす。イエー。 いやもう絶対無理、絶対無理だから。ほろほろ(擬音)。八割で合格って、六割しかあわねえよ!ジャンッ!(効果音) 一緒に受ける人様達と「結果には何も言わず、名物食ってきましょうねえ」と慰めあっている。そう、まだチャンスはあるんだもの(まだ終ってもいないのに来年の相談)。
長いようで短い、短いようで長い三ヶ月?であった。なんかもうコレに関してしか記憶が無い。てゆうかコレに関しても記憶が無い。 「一生懸命に頑張ったら充実感が」とか世の中では良く聞くが、嘘だと思う。確信している。「本当に一生懸命頑張ったら、人生には何も残らない」というのが真髄だと思う。「私」というものは、その間無いからだ。(ある意味では)快感だというのには賛同するけれど。
なんだかんだ言って、結構よそ見して、現実逃避で隙を見て数ジャンル渡り歩いたりしていたのに、その楽しさよりも「罪の意識」の方を覚えている。 「こんなん絶対無理だよね。アタシらよくやったよ、本当に。なんでココでこうなるのとか今は言ってるんだよ?そんな事、三ヶ月前なら何を言ってるの?何の話?だよ。思えば遠くに来たモンだ」 「本当だー。そんな事いえるようになったんですよね。そうですよ、よくやりましたよ本当に。本当は一回で受かりたかったけど、ちょっと今回は無理ですね。試験受けるは受けますけど」 「でもねえ、私、今回は諦めなきゃと思ってるんだけど、諦めきれないでいるんですよ。この期に及んで」 「私もですよ」 「あーあー、奇跡が起きないかなー」
奇跡を起こしに行って来ます。でもたぶん無理だろう。 私だって自信はあるんですよ。後百年ぐらいこればっかりやってれば完璧に大丈夫という自信がある。私は大学受験のときも自信満々だった。「後百年ぐらい受験勉強やってれば、東大だって早大だって軽いわよ。フン」と思っていた。ただ百年もやってられないだけだ。 私はいつも無駄な自信に満ちているが、現実もわかっているので、諦めも早いんだ。いや、現実がわかっているにもかかわらず自信に満ちているというべきか。いつも早々に諦めるのだが(今度だって何しろ始めた当初は十二月の試験はスルーするつもりだった)、「今こそ真に諦める時」という時に突然諦めきれなくなるんだよ。学生時代だって、早々に諦めて勉強してないくせに、試験の日の早朝や、試験真っ最中に諦めきれなくなるんだよ。夏休みの友だって、夏休みの最後の三日になると猛烈に諦め悪くなるんだよ。それで泣きながら必死にやって、「そんなになるんなら、どうして最初からちゃんとやらないんだ!」と怒られていた。馬鹿な、そんな事ができるなら、最初から諦めたりしない。それができるのがおまえ、できないのが俺だ。 毎度最初からずーっと諦めていたんだ。いよいよ諦める段になったら突然生きる活力が湧いてくるだけだ。
今まさに諦めているだろ?これがね、さあそろそろ寝るぞという三時間前とかになったらいきなり真剣に過去問を解きだしたりして、もう諦めろよと自分でも思うの。 私にはわかる。
なんでこうなるのかというと、私は常に現実に負けてるねん。現実を真っ直ぐに見据えて常に諦めてるんだ。このときは逃避してるんじゃない。このときは逃避してるように見えるが、実は逃避してるのではなく、逆で、単に現実を受け入れているんだ。ところが、土壇場になると、突然夢の世界に逃避する。その夢の世界は「頑張ればなんとかなる」世界なんだ。「きっと上手く行くわ。こんな風に上手く行くわ。だから諦めちゃ駄目」という妄想が頭から離れなくなり、翻弄され、そこで突然頑張り始める。現実に帰ったからではない。もう本当に駄目なんだという厳しい現実の前に、ストレスや厳しさに弱い私は妄想の世界に向かってダッシュで脱走するからだ。大事なところで現実を受け入れられなくなっているのだ。
それで思ったように上手く行かないと(例えば試験に落ちるとか)、「ほら、だから無理だって言っただろ。私なんかには無理なのよ。できっこなかったんだわ」と爽やかに現実に戻ってくる。そこで精神的ダメージがやたら少ない。ダメージが少ないので、結果として全然懲りずにまた挑戦する事になるのだ。また挑戦するのは、ヤル気があるからではない。「成功する私」とかいう妄想の世界に片足入っているからだ。
これを繰りかえすと、いい年をしてぽやぽやしており、痛い目にあった事が一度も無いような顔をして、失敗や敗走にまみれた人生が誕生するのだ。普段「現実を見ろ」と幾ら言っても無駄である。人がそう諭す時にはシビアな現実を常に見ているのだ。「なに寝トボけた事を言ってるのかしら?頑張れば報われるなんてよほど幸せな人生を生きてきたのね。そんなに上手くいくもんじゃないのよ、人生は。いいかげん学習したらどうなのかしら?」等と思っているので、どんなに厳しいことや希望のある事を言って発破をかけようとしても糠に釘だ。 人が「やっと現実を直視した」と思っている時に、妄想にかられて夢の世界を爆走しているのが実情だ。だからこのときに正しく「現実を見ろ。もう無理なんだ」と諭してもやっぱり無駄である。まさに「上手くいきっこない。成功などしない。それがどうした。そんな事はどうでもいい」等と思っている。もう耳にタコだ。耳にタコになるほど誰に言われたかというと、朝から晩まで毎日飽きずに自分に言われていた。「頑張ったって無駄だ。努力したって報われない。上手くいったって何の意味があるの?」という精神状態を日常にずうぅーっと生きて、それをベースにしたまま突然に希望が不死鳥のように蘇ったのだ。羽ばたく妄想。燃え上がる不条理。努力すればした分だけは報われる。そこはパラダイス。幻の黄金郷エルドラード。 そんな時に四角四面で冷たい現実なんてお呼びでないのである。
やがて現実に戻ってくる。
昔、家庭教師先の女子高生に藤○紀香に似てるといわれたことがあるといったら、似てないという。確かに私も似てないと思う。代わりに堀○真希に似てると言い張り、誰だそれはと尋ねたら見ろというので見たが似て無いと思う。某嬢の近所のお姉さんが○雪に似てると言ったらしいので、そう言ったら確かに似てるという。私もCMで見たが、似てないと思う。あの薄ら笑いの雰囲気が似てるんかな(失礼な)。 しかししつこく似てるというので、必殺の奥の手を出す事にした。
「アイアイに似てると言われたことがあります」 「アアッ!似てるっ!」
…あなたはアイアイを知っているのですか? その不気味な容貌から悪霊の化身と忌み嫌われ、見つけ次第殺された幻の猿を見たことがあると? 私はアイアイを見て、「なるほどね。これが例えばニホンザルの群れの中に混じっていたら皆に石を投げられても仕方ないかも。明らかに異様だ。おさーるさーんだよーと言い聞かせられても猿だと思えない。しかも主に顔が気持ち悪い」と思わず納得しかけた事がある。誰が言ったかも覚えてないのに、言われたことだけ覚えてるぐらいだ。
藤原○香と掘北○希と小○に似てて、アイアイにそっくり。 それだけ並べたらいったいどんな人間だろうと想像を絶する。
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