非日記
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もう10月も終わりですよ。やべえやべえ。
ギャオでいろはにほへとというのをやっているので、時々見逃しつつ頑張ってみてます。一週間に一回更新なのだが、ウッカリしてると「あら?」と見逃すのよな。
高橋良輔監督作品の新作という事で、放映前から特集をやってて、ちらっとボトムズも見たりしてるのだが、根性が足りなくて…。しかし放映中に見た覚えは無い(自分地方で放映されなかったので)にも関わらず、OPもEDも歌える自分が全く不思議です。
ちょっと好きなのだった。 どういう監督さんかというと、検索すれば一発なんだが、年齢も行ってるだけあってかなり有名どころを色々やってるお方です。 私が「ああ!」と思うのは、ムーミン、コンバトラーV、新009、ボトムズ、レイズナー、ドラグナー、サムライトルーパー、グランゾート、ワタル2、ガサラキ……おお書ききれません。
ちなみに私がコッチの世界に足を踏み入れたのは、某親友の趣味により、ワタルとグランゾートだったので(それで貸してもらった同人誌が商業コミックばりにものすごくレベルが高かったので凄まじくスムーズに足を踏み入れていった)、つまり当時の腐女子同人界はトルーパー一色でした。地方の即売会ですら、見た事無いはずなのに、皆どうハマったのか一世風靡でした。 で、「これは何?」とアニメ雑誌等でどういうのか広告を見た時に、「このキャラデザの人ってボトムズの人?」という感想を覚えたわけですが、いまだに、ボトムズ見た事無いのに何故知っていたのか理解に苦しみます。それぐらいリアルロボットアニメ界で有名だったのでしょう。
歌が歌えるのは、ン年後に、昔のヒットアニメの主題歌を有名アニメーターさんがイラスト書き下ろしでパッケージをつけたシングルCDで再発売されたさいに、私の好きなイラストレーターさんが書いていたからだと思われます。 えーと、覚えてるのは、ダンバインを描いてたのは、サザンアイズの人だった。ボトムズを描いてたのは、間違ってるかもしれないけど、たぶん幡池裕行さんだった。腰つきが好きなんだ。クニっと曲がってる。 「なんと恥ずかしい歌だ」と思いながら、なんだかんだいって聞き込んだもようです。
そういう風になんだかんだいって、かすめるような縁があったわけだが、いろはにほへとは、見た瞬間に、どことなくガサラキっぽくて、「お?これ、あのパターンなんじゃねえの?」と好きになりました。 幕末は全然わかりませんが、和物好きー。
なんかこー、私が見た中では、この監督さんのは毛色が違う時は違うけど、よくムズムズするロマンスがあるんだよね。ムズムズするってのは、「こいつら第一話から絶対にフラグが立っている。凄いフラグが立っている」と確信できる男女がいながら、話が進んでもロマンスは進んでいるのかどうなのかサッパリわからない。恋愛とは言い切れないのだが(惚れたはれたのシーンやエピソードがろくに出てこない)、しかしそうじゃないとしたら、この執着や拘りはどういう事だ、どういう意味なんだと激しくツッコミたいような。 ボトムズとガサラキは凄い。
乙女心としては見てて「どっかで好きって言えよ!」とトサカに来るのだが、「いや、わかってる。何がわかってるのかわからないがわかる。そこまでされればわかる」と言いたくなるような。ものすごく微妙な。 この視聴者に対する放置プレイがたまらないのです。 想像を掻き立てられ、二次創作したくなるんだが、二次創作してラブラブにしてしまったら勿体無い。
何と言えばいいか、こー、お互いにお互いを「ジー〜〜〜〜…」と見てるんだよね。本当に目が合ってるダケって感じなんだけど。感情的に明らかにそれらしい事を言ったりやるわけでもなく、よく別行動を取り、離れる時もサラリと離れるんだが、目があうと、じー。しつこく、じー。 傍で見てて、「この二人には何かある」と思わずにいられない。視聴者には全然わからないのに、二人だけの世界を構築し、視聴者置いてきぼりで二人だけでわかりあっていってしまう。何、このイチャイチャしないバカップル。
ボトムズなんか、キリコはそりゃ会ってしまった所為で自分が所属していた軍にも追われる事になるのだから、その理由を知りたいのはわかるのだけど、「それだけ!?ほんとにそれだけ!?ただ会いたいだけでなく!?」と激しく思う。何故か周囲を巻き込む凄い恋愛沙汰を見てるような気になる。最後どう終るんだか気になるな。
で、ガサラキも好きだったのです。結構マイナーで、アニメも中途半端にわかりにくく終り、小説も途中で止まってるらしいし、劇場版の予定もあったのに企画倒れたやつなんだが。ちなみにゲームもマイナーな上に物凄く難しいです。あまりに難しいので攻略サイトを探したのにも関わらず、攻略サイトが一つも無かった上に、攻略本すら出てないぐらいだ。
もうね、ガサラキのユウシロウとミハルがめっちゃ気になるのよ。この二人は結局どうなんだって。 ユウシロウは周りに女がいっぱいいるのよな。前世?からいっぱいいるのよな。ありとあらゆる女に好かれ、周囲の皆に心配されているのだが、明らかにミハルしか見てない。突撃。ひたすら無言で、ものすごく無表情に追いかけるので何を考えてるのか全然わからない。しかし物凄く好きなんだと、なんとなくわかるのよ。簡単に恋愛沙汰の好きとかそういう感じじゃないんだけど。 何年も檻に入れて閉じ込めておいても、入れている間は大人しいが、鍵が開いた途端にスーと出ていて、どこに行くかっていったら、そこへ真っ直ぐ向かうんだろう感じだ。
べたべたとわかりやすく甘い雰囲気にはならないのに、この二人は問答無用でセットにしておかねばならないと思わされる。 私としては「婚約者がいるのに思いっきり無視して他の女のところへ行ったらいかんだろ、なんだかんだキチンとしろ」と普通は思うのだが、ここの二人は磁力みたいなものがあって、全部無視してスススーと近づいていってくっついていっても、「ここは仕方ない」感じがする。間に障害物を置いて近づかないようにしておいても、実際に近づかなくても引っ張り合ってるなというのがわかる。 実に不思議だ。
私はガサラキの途中で、過去の記憶を取り戻したミハルが自失して反応がなくなってしまってるのを、ユウシロウが世話してるのが好きなのよ。あんなにボーとして見えて、豪邸育ちなのに(まあ微妙な立場だったけど)、何の迷いも無く物凄くナチュラルに地道なバイトして飯食わせており、何気に甲斐性があるんだなとビックリした。「自分は誰なんだ」と追求しに行き、豪和の家を出たときからこれまでを捨てて一人で生きていくしかない覚悟はあったんだろうけど、それにしたっていきなり扶養家族付きだよ?しかもお人形さんみたいに反応無しの。物凄く慣れない生活をしてるはずなのに、黙々とやっているのが、うわ好きなんだなという感じが滅茶苦茶したんだけど。しかも、経済的に余裕のある生活で無いはずなのに、スズランの鉢植えなんか買ってきて無反応のミハルの前においてやるのが、もう駄目(苦笑)。 ナニ、この、「わたくしは貴女をお慕い申し上げております」みたいなの! 「物凄く好きなんじゃねえの、この人?!」とテレビの前で倒れました私。同じ嵬だからか知らんけど、どうしてそんなに好きなのかわからんが、好きな事だけはわかる。 ここが微妙なのよな。他に嵬がろくに居らんみたいなので、同族として執着してるだけなのかが。でもスゲー優しいんだもの。おかしい。
大体平安時代にだって、面が割れて顔を見た途端にユウシロウは駄目になったので、顔を見たらビビッと来たのだとしか思えません。私は嗜好SM寄りっぽいらしいからか、戦ったり争ったりし、相手を征服しよう捻じ伏せようとしていると激しく興奮し、愛憎渦巻く激しい情念のようなものを抱く気持ちは慣れ親しんでおります。「あー!気持ち良いー!最高!今なら死んでも良い!コングラッチュレイション!」な精神状態で、うっかり顔を見たらとっても好きな顔だったので、もう駄目だったに違い無いと思います。 最初の方の第何話かで、クガイに取り込まれた主人公がミハルに止めを刺そうと、殺そうとして躊躇い、殺そうとして躊躇い、しているところなんか、モロに恋愛を感じました。うわーこれ恋に落ちた瞬間だよね(笑)って。
そして離れ離れになった後に、無理やり追いかけていこうとするのに、悶絶しました。ナニこの人。これっぽっちも何にも言わないのに、「そんなに好きなのか!?」と思わされる。 我を取り戻したミハルっちが「必ず戻ってきます」と約束したら、途端に安心して大人しくなる。大人しく待ってる。ナニ、この忠犬みたいな人。身悶えました。
そういうわけで、物凄く中途半端な作品にもかかわらず(話数が足りず、無駄に難解)、能の雰囲気とともに、たいそう好きだったわけです。
で、いろはにほへと。 このろくに喋んない無愛想でツンツンした主人公が、これからどうなるのか気になります。どうせ何もハッキリさせないまま、ヒロインの女の子と無駄にフラグを立てまくり、「おまえ実はこの娘が好きだろう」と解釈せねば理解に苦しむ選択を取り始めるに決まってると思われます。 OPの最後で、主人公がヒロインの女の子に刀を向けたのを見て、「この男、この娘が物凄く好きなんだな。死んで欲しいほど好きなんだな」と一発解釈する私は間違っているのか。いやバッチリ当る事になると思ってます。
えー、だってラブラブしてるラブストーリーは好きなんだけど、最近のはあんまりねえ。
私は自分を愛することと他人を愛することは、例えば自分を守る事と他人を守る事は、本質的に激しく対立する矛盾することだと思いますよ。誰よりも自分を愛し、誰よりも自分の為に生き、誰よりも自分を守る事が当然のものとして議論の余地を挟まない大前提にあってこそ、「他人を愛せ」という方針や諭しが出てくるものだと思うわけです。本来は。 「自分としてはこうであって欲しい」という望みと、他人の「こうであって欲しい」という望みが個々が独立した人間であるからこそそう簡単には一致しないので、自分の望みを叶えたいという気持ちと、相手の望みを叶えたいという気持ちの間に、ギリギリした摩擦があると思うわけ。 自分の望みを叶えたい気持ちがあるからこそ、相手の、自分の望みを叶えたい気持ちがわかるわけで。 だから物凄く簡単に、単純に、当然のように、それが絶対のように「相手のため」とかが出て来るのがすごく気持ち悪いわけよ。
恋とか愛とかいうのには、どこかに唯一絶対の存在である自分である事を力任せにへし折られる痛みがあると思うわけです。唯一絶対というのは、素晴らしいとか優れてるとかでなく、他人ではないという点において、世界でただ一人という意味で。血を分けた家族だろうが恋人だろうが他人は他人なわけです。他人でないのは誰かと言ったら自分なわけだ。それは各人、世界に一人しかいないわけです。そういう意味で、自分にとって自分というのは明らかに自明、他人と異なる、非常に特別で特殊な代わりの無い存在という事になるだろう。
そういう特別な存在に対してのみ特殊な選択をするのは当然なわけです。例えば他人が何かいたらん事をしたら許せなくても構わないが、同じことでも自分を許せないとしたらオオゴトです。どんな屁理屈を講じても、例えば「その気持ちがわかる」という理由だけでも自分をは許せなければならない。そういう風に、自分に対しては特殊な選択、審判をすることが自分に許されているが、その由来は究極的には「自分であるから」だと思う。 例えばイジメで「おまえなんか死んだ方が良い」と皆に言われても、「そうですね」と素直に死ぬ事は無いわけです。その時自分が「私は死んだ方が良い人間というわけではない。死にたくない」と思えば、多数の他人よりも、一人しかいない自分の価値判断を選択し、採用するわけです。生物である人間が、自然に死にたいと思う事はありえない。楽になりたいと思うことはあっても、死にたいと思うことは無い。彼は生物として「死にたくない」と自分に尋ねれば明らかに感じているはずだ。多数決や民主主義、「みんなの気持ちになって」を素直に採用すれば、明らかに死ぬべきだ。しかし千人を敵にしても自分一人を選ぶわけよ。
何故そのような「理不尽な」選択が可能になるのかといえば、明らかに、千人よりも自分一人が自分にとってずば抜けて特殊であるからだ。それが理由だろう。その時に一人しかいない反対者を迷わず選択し採用するのは異様ではなく反逆ではなく、至極当然でなければならない。そうだろう。
しかしその絶対多数の他人に対してと異なる特殊な基準を、ある特定の他人に対してのみも用いるとすれば、その根拠は何か。相手は世界に一人しかいない。しかし、あらゆる人間も世界に一人しかいない。
悔しさとか怒りとか憎悪とか妬みみたいなのがある。「こいつさえいなければ」みたいなのが。今更死なれても遅い。「生まれてこないで欲しかった」みたいなのが。 自分が傍若無人に自分のままである事、自分の中で自分だけで世界を完結させる事を許さない相手の存在に対する怒りが、どうして無いのかがわからない。
愛憎の憎ってのは、単に相手が自分の思うとおりにならないという事だけでなくて、本質的にはそこだと思うんですよ。好きになって、例えば両想いでも「わあ幸せ」とばかりはいかんだろうと思うんですが、どうですか。いっそ両想いだった方が愛憎は激しいかと。 男でも女でも、譲れない自分みたいなものはあると思うんです。わかりやすいのだったら信念みたいなものとか。そこに力任せに強引に割り込んでくる相手に対して、それを単純に敵として排除できない。排除しようとすると自分の柔らかい部分ごとごっそり切り落とす事になる。どのみち元の自分には戻れない「どうすんの、この始末」みたいなものが無いかえ? そういう悔しさとか遣る瀬無さ、口惜しさ、仕方なさとかがあっての、諦めのようなものがあるんじゃないかと思うのよ。
だから好き!バーン!みたいに簡単に自分の中で容認するのを見ると、「ええッ!?」てのがある。照れとか恥ずかしさ以前に、他人というものを自分の中に組み込んで生きるのか、それまでの「自分の世界」の道理、規律、法を根底から覆すのかという凄い壁があるだろうがって(苦笑)。
で、ほへとの主人公はなにやら目的があって、精進して邁進しているらしく、そしてヒロインは今のところ深くは関係ないので、彼の人生における異物なわけよ。だから気になる。フラグがどのようにどれくらい立つのか。
そしてストーリーも視聴者がありとあらゆる手段を使って頑張って理解しようと絶望的な努力をし続けなければならない、圧倒的に説明の足りぬ展開を繰り広げるような気がします。 楽しいねえ。
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