非日記
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いつの間にか、さらに足を踏み外して超絶マイナーらしい特撮に走っていた私ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。主な熱中ポイントを簡潔に伝達したところ、 「そりゃあお姉さんのストライクゾーンだね」 と返事がきましたが、あなたストライクゾーンだなんて、そのような幅広いものではありません。直球ど真ん中でしょう。武器が喋るなんてさ。
個人的にはそこが一番心引かれて頭から突入を決意したところですが、ほかも全体的に大変好みだったので、あたしゃ幸せです。基本的にはシリアスも好きは好きだけど、バカっぽいの大好き。なんていうか、火浦何とかのとか(たぶん角川の文庫)、東京忍者?(たぶん富士見書房の文庫)とかのコメディ小説(いや、東京忍者はギャグだろ)が大好きだった心が凄い勢いで盛り上がりました。
この系統は亡き兄も大好きだったので、見てて「うわぁコレ面白いわぁ」と感動するほどに、「兄者が生きていたら大ウケして喜んだだろうに。草葉の陰では見れないのだろうか、やっぱり」と、ちょっぴり無駄な切なさを感じるほどです。そういうの結構あるけどね(笑)映画とかゲームとかアニメとか新作を見ると、「私的にはイマイチだけど、あいつはこういうのがツボで物凄く好きだったんだよねぇ。もうちょっと長生きしていれば見れたのにさぁ」というのが。 これはもう兄妹共にオタクで、相手の趣味や好みを熟知していたからしょうがない。しかもオタクのまま死んだので、私は一生新作ポスターなどを見るたびに、「こういうのがメッチャ好きだったんだよ。生きていれば見たがったろう。見せてやりたかったよ」と、つい思いながら生きていくのであろう気がするよ。あの世で報告することがメッチャ沢山ありますね。 「おまえが死んでから傑作が出てよ。すごいんだよ展開が!うわ見れてねえなんて可哀相過ぎる!あの傑作を!最高だったのに!」
なんか微妙でどうも感動に欠けるが、オタクにはオタクの懐古の仕方があります。感動的に変換すると、「兄さん、この村についに学校ができたんだよ…!兄さんが夢見ていた学校が!この子供達の笑顔を見せてやりたかった…」みたいな。 オカンは美しい風景などに向かって遺影を掲げ「見せてやりたかった…!」とかほざいてましたが、やつがそんなものに素直に心を動かす人間では無かった事を爽やかに忘れています。死んだからって夢見すぎです。彼女の中ではどんな爽やか青年に修正されてしまっているのでしょう。タイムボカンシリーズのDVD BOXでも掲げて「見せてやりたかった…!」と嘆く方がまちがいなく正解だと思う。アタイにはわかります。 ファンだった作品を見ることは、亡くなった人間の写真を見るようなもんだ。このなんだか非常に悔しい感覚。 割と若く死んだから可哀相とか不幸とか、本人は早めに突然死んで悔しがってるだろうとか悲しんでいるだろうとか全然素直に思わなかったし、今も思ってないんだが、でもしかしこの特撮番組なんか楽しく見ていると「兄、可哀相な!悔しかろう!」気分がわいて出る。
病室でも翻訳していた翻訳者さんが、後一歩のところで亡くなり、原稿の最後が「彼」の偏である行人偏で終っていた…なんてのは、その原稿を実際に見た親しい人、編集者や翻訳を引き継いだ人なんか、出版された後でそのページのその「彼」という一字を見るたびに本人を思い出すだろうと思うよ。書こうとして力尽き、行人偏まで書いて、ただ「皮」を書ききれなかった、その最後の一字が。
そんな個人的に傑作特撮は置いといて。
人様の日記で、80ページまで読んで頓挫して、枕もとの上から六冊目に積んである某小説にオチも解決も無いらしきことを知り、さらに暫く放置する事を決定しました。嗚呼ナンテ事を知ってしまったんだ。辛い、結構辛いと思っていたが(わけがわからんまま淡々と進んでいき、物語として動きがあっているのか無いでいるのかわからないのでいるので辛い)、この辛さになんの報いも無いらしき事を先に知ってしまうなんて。 推理小説の犯人を漏らすより残酷だと思います。いや知っておいて良かったのかも。微妙だわ。しかしまるで読みたかった名作推理小説を図書館で借りてきて、やったタダで読める、早速読もうと思って開いたら、最初の五十ページが破れて紛失していた…というのに似ており、それは見たかった古いドラマ作品をレンタルで発見して一瞬喜んだけど、よく見ると一巻と最終巻が無い上に古い作品なので再入荷予定も無い、どうせ置いておくなら揃えて置けよ!…というような悲しみを感じます。
で、最近は水滸伝のとりあえず持ってる部分までは読了しようと試みて読んでいたのだが、読みやすいけど辛いです。合間合間に漢文の書き下し文みたいな文章になり(大体風景や建物や人の服飾や容姿の説明みたいなところが)、意味不明の単語が山ほど出てきて辛いというのはあるんだが、全体的に話が流れる部分は講釈っぽいからかさくさく進む。 ただ何が辛いかって、
ら、乱暴者め…!
そりゃ武侠もの?だからそういうもんなのかもしれないが。古事記でスサノオなんかがどうも気に入らなかった社会性にあふるる常識人としては、「やりすぎ!」とか「謝ってすむと思うな!」とか「沢山殴ったら死んじゃったので逃げてきましたとか胸を張って言うことか!」とか、十ページに一回ぐらいは「なんて無責任でいい加減な人間なの!」だの「筋を通せバカ!」だの「なんでもかんでも暴力で解決するな!」だの自分の事は棚に上げてムッとしてばかりです。全然スッキリしないまま進んでいきます。 水滸伝は前半は活劇で、後半は官軍に攻められて百八星がばったばったと死んでいく悲劇的な結末らしいのだが、今の気分としては悲劇的になってきたら悲劇的だと思わず、いい気味だと思ってしまいそう。いや、百八人も出てくればそのうち好きな人も出てくるのかもしれないけど。あるいは、長々と何度も出てくるのを読んでるうちに「嫌だ嫌だ」と思いながら慣れで愛着が湧いて、死んだら悪友をなくしたようにほろっとするのかもしれないけど。
物語の流れとしては、まあ常にドラマチックなのでダレて飽きるということは無いんだが、会社勤めの常識人としては「この百八の魔星め…!少しは大人しくしろよ!人の迷惑を考えろ!」ですよ。たまに困窮してる一般人を助けたりもするのだが、その百倍は一般人に迷惑をかけていると思う。一の善行のために十の悪行を見逃すとすれば、確かにそれが人間の真実かもしれないが、なんですか悟りを目指す修行僧の気分。 善事を行おうとして悪事を行い、悪事を行うつもりで善事を行ったりするのが人間だという鬼平の言葉には頷くところですが、しかしこれは…!
どういう状態かといえば、オレオレ詐欺で借金してまで振り込んで借金に苦しんでいる人を見て、まかせておけと夜逃げさせ、自分は借金取りのところに殴りこんで勢いあまって借金取りを殴り殺した後、しまったと国外逃亡を試みる感じ。こうとなれば私は借金取りに同情します。駄々こねて介護施設に入れてもらったはいいものの、特上握り寿司を毎食出せとか可愛い姉ちゃんがいないとか文句を言ったり駄々をこねたりし、気に入らないことがあれば職員を殴り、職員にセクハラしたあげく、うちでは預かりかねますと言われれば、「老人を虐待するのか!」と切れる。いつもそんな感じ。 時々ブルブルします。やはり魔王だ。
こういう人間が人間らしいのを見てムカつくようでは、自分は自分が人間であることが許しがたいほど心底人間が大嫌いだったという事を思い出して、幼児や老人の世話など到底できっこない心の狭さを持ち、人間としてまだまだだなとしみじみ思います。嗚私はまだ故郷に帰れない。 しかしそれだけ、社会人として大切な何かを持っているような気にもなり、私は人として駄目かもしれないが、社会人としてはまだ最低ラインを守りきっているような気が気のせいかもしれないがしきりにするぞという勇気も出ます。 この、人間を手前勝手に心で裁く心の境界線を捨てるべきか守るべきか。愛するのか、憎むのか。 そんな揺れ動く心に相対させられる深い物語だな、水滸伝。
いや、たぶん捨てられんのだけど。「愛することは許すこと。愛は全てを許す」とか言われたら、「俺は人を愛したことなど、生まれてこの方一度も無いわ!それがどうした!」と殴りかかること請け合いの超心狭い私。 そこに境界など無いと知っていて、だのに目に見えるもののように守らずにはいられないのです。国境のように。
この巻まで読み終わったら、絶対また中断すると思われるんだが、こういうのはマラソンのつもりで一思いに最後まで揃えて読んだほうが良いのかもしれない。登場人物をさくさく忘れそうだし。
そういえば、近年見かけないなと思っていた漫画家さんの名前で小説が出ているのを出しているのを発見して「あれ?同姓同名?」とあとがきを読んだらば、目を悪くして漫画が書けなくなったらしい本人だった。台詞回しとか話の雰囲気も好きだったんだけど、特に絵柄や画面が好きな作家さんだったので、知らぬまにそんな事になっていたとはと、かなり残念だった。
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