非日記
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久しぶりに晴れたので、意気揚々と洗濯したズボンをはいて出勤していたところ、電車の中で何者かが足元にひざまずいた。あれ…?何してるのかな?
人「…はい」←にこ。 差し出され、 人「まあ…、ありがとうございます」←にこ。 受け取る。
んまあ!ズボンに洗濯ばさみをくっつけたまま出勤してしまってたわ!かっこよすぎるよ私! こういう時に羞恥心を感じないってのは間違ってるように思う。もっと恥じらいを持たなければならないのではないだろうか。でもなあ、出ないもんは出ないのよな。それが感情の致し方ないところなのよ。 言ってみれば、小学生時分にスカートをめくられて、何が楽しいのか理解不能で、黙々とめくられたスカートを直す心地に似たり。 あるいは喩えば銭湯で、ちっさいタオルで懸命に前を隠さねばならないようなものだ。銭湯なんだから皆脱ぐに決まっているのに、わざわざわざとらしく恥じらって頑張って隠して見せなければならないという、そのことが屈辱的な羞恥プレイだよね。自分が持って生まれた体をだね、恥ずかしいものとして隠さねばならないと強要されるその屈辱。社会的プレッシャーに屈しなければならない屈辱。なんか知らんけど、いつも妙に屈辱だよ。 「見苦しいから」という話らしいんだが、「見苦しいなら見なければいい。恥ずかしいなら銭湯に来なければいい」と思うだろう。私は思うタイプやねん。しかし、こー、そこはかとなく隠すのが「銭湯の常識」ってやつなのよ。前を隠して尻隠さずというか、下を隠して乳隠さずというか、ものすご意味不明なんだけど、そこはかとなく隠さんきゃいけないのよ。隠そうという「姿勢」を世間に見せなければならないのだ。ただそのためだけに、どうせ湯船には浸けられないタオルをわざわざ準備して、持って入らねばならないのよ。超邪魔なんだけど!
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