非日記
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2006年04月16日(日) どこが違うんだ。

おかんから電話が来たと思ったら、第一声

母「知人と友人って、どこが違うと思う?」
私「は?…あんた何してンの?
母「え?別に何もしてないけどサ。ただ、知人と友人はどう違うかって難しいと思わない?」
私「そうか?別に難しくは無いじゃろ」
母「似たようなもんか。おんなじか!」
私「アア?何言ってんの。厳然と明らかに違うだろうが。そら相手の方は知らんけどさ、自分の方では自分が知人だと思うのが知人で、友人だと思うのが友人だろ?違うだろ?普通そうだろ。いや、あんたは別におんなじにしてたっていいけどさ。好きにすればいいが。ただ私は違うわよ。明らかに違うわよ。越えられぬ一線が厳格に引かれてるね」
母「じゃあ、あんたのそれはどう違うのよ?」
私「あー?どう違うって言われてもねえ、明らかに違うんだけどねえ。そうねえ、つまり私にとって知人というのはさ」
母「ふんふん」
私「知人であるという状態においてのみ意味がある相手の事だ。それに対して友人というのは、知人であるという状態に関しての意味がより小さい相手の事かな、ウン(納得)」
母「はあ、なんだって?さっぱりわからないんだけど?」
私「何がわからんのよ?」
母「なんかごちゃごちゃ難しい事言わないでちょうだいよ。あーなんだって?知人というのは?」
私「難しくは無いだろう。簡単に考えなさいよ。だーかーらーねー、ちゃんと聞いとるんじゃろうな。知人というのは、状態に意味が、というか状態にのみ意味があるんだけど、友人の場合は状態の意味はあまり無いわけよ?わかる?」
母「わかりません。なにがなんだかわからないんだけど?」
私「もー、じゃあもっとわかりやすく言うならねぇ、そうねぇ」
母「そうよ、そんな抽象的なんじゃなくてさ、もっとわかるように簡単に言ってちょうだいよ」
私「抽象的になんか言ってないよ。具体的に言ってるだろうが。じゃあさらに具体的に言うけどさ、まあ要するにだ、(略)、つまり結局のところ知人というのは、相手を嫌っている場合に相手を嫌いである事を隠さなければ失礼になるような相手であり、友人というのは、知人の場合とは逆に、相手を嫌いである事を隠す方がかえって失礼になるような相手だ。具体的には大体そんなものね。核心はね」
母「また小難しい事を言い出した。何がなんだかごちゃごちゃしてるんだけど」
私「どこがごちゃごちゃしてんのよ?すっきりしてるじゃないの。知人の場合と友人の場合は正反対になってるでしょうが。それぐらい違うのよ」
母「いや今、すごくごちゃごちゃしてる。知人が?は?なに、嫌いな相手で?」
私「いや、そうじゃなくて…、いやもうソレでもいいや。さらに簡単にもう荒っぽく大雑把に大きく二つに分けてしまえば、知人というのは好き嫌い関係なく勤まる相手だが、友人というのは嫌いではなかなか勤まらない相手なわけよ。これなら、なんとなくわかるだろうが?友達で嫌いなやつはいないだろ?」
母「そんな事言われたって、あたし、友達いないもん」
私「いないんか?一人も?」
母「いないわね」
私「さすがだな!あんた友達がいない人間は比較的早く死にしやすいんだよ。統計で出てる。気をつけな」

さすが『孤独を愛する孤高のナルシスト』の母親なだけある。何を威張ってるねん。王者の風格だよ。王者というよりもはやエンペラー?私に並び立つものはこの世に一人もいないってか。「支配ではない。私はただ、管理したいだけだ」なんてかっこよすぎだっつうの。忘れんぞ俺は。おまえは独裁者か。

母「私、好きな人はいないんだけど」
私「一人も?」
母「いないわねえ」
私「そりゃまた、サミシイ人間だねえ、あんた。ほんと一人もいないわけ?」
母「そりゃあ良い人ねえと思う人はいるけどさ。好きってのとはねえ」
私「あー、良い人ってのは確かに好意とは違うな」
母「違うでしょ?あんたは友達は好きなわけ?」
私「(ぐうッ!)そらまあね。嫌いだったら自分の中で友達区分には入れられんよ。私には無理」

クッ!負けるな私!やつの挑発に乗ってはいかん!すげー勢いで脳内ブーイングの嵐だが、わかってる。わかってるから皆まで言うな!
多少違ってもかまうもんかと思ったのに、なんて物分りの悪い女だ!

母「好きってどういう好きなわけよ」

てめー私に喧嘩売りに電話したんだろ?なあ、そうなんだろ?それともこれはイジメ?イジメなのか?

私「あんたね、本当に一人もいないわけ?話してると楽しい相手とか付き合うのが楽な相手とかさ」
母「そういうのはあるわよ。そうのが『好き』なわけ?」
私「まあ大体そんなもんだろ。知るかそんなの」
母「なるほどねえ。そういうのを『好き』って言うわけか!」

好き好き言うな!おぞましい!
今そんな単語を友人カテゴリに合わせると、速攻でぶっちり血管切れるねんよ私は。暴れだしかねんのよ。もう既に電波を飛び越えておまえを殴りたいよ。
こいつの頭の中では、人間に対する好感や好意は恋愛におけるものしかないわけか。なるほどねえ。

好きとか嫌いとか言うとニュアンスが違うというか、語弊があるんだよな。平たく完璧に表現できる言葉を選べば、「どうでもいい」がピッタリなんだけど。ただ私の場合は一般的な「どうでもいい」相手というのも、やはり「どうでもいい」になるんだよな。ついでに嫌いな相手も、やっぱり「どうでもいい」なんだよな。この「どうでもいい」が微妙でありながら全部明らかに違っているんだが、自分の中でそれがどのように厳密に厳格に分かたれているのかを説明するのがとても困難なのよ。強いて言えば色が違うというか明度が違うというか何が違うて言っても。
そうねえ…、
友達の場合は、清らかにどうでもいい。
嫌いな相手の場合は、憎憎しくどうでもいい。
どうでもいい相手の場合は、果てしなくどうでもいい。
…か?これで人に分かるもんなんだろうか。いや、色々細かく違うんだよ。友達の場合は殺すのを躊躇うしな、嫌いな相手の場合は殺すのを躊躇うし、どうでもいい相手は殺すのを躊躇うんだ。…妙だわね。まるで全部いっしょに見えるわ。いや、違うのよ。躊躇う理由の出所が違うねん。だから、友達の場合は自分のためで、嫌いな相手は自分のためにで、どうでもいい相手は自分のタメにも、…て、またいっしょになってしまってる。実に不思議。何故こうなる。何故こんなにも違う事がいっしょになるんだ。だから違うんだって!あーなんでこの明らかに過ぎる違いを言葉にできないんだろう!

<略>

母「つまり自分を向上させてくれる相手を友達に選ぶって事ね」
私「違わあッ!何を言ってんのよあんたは。向上するのは自分だろうが。向上するなら自分が主体で向上するべきでしょ。『向上させてくれる相手』とか言って、何を相手にまかせきってンのよ。『あなた頑張って私を向上させてちょうだい』て言うわけ?何を甘えてんのよ。するなら自分でしろ」
母「あ、そうかそうか。自分が頑張らなきゃいけないのね」
私「そら頑張るとすれば自分だろう。当たり前だ。自分の事を他人が頑張ってどうすんのよ」
母「だけどとにかく、いいところのある相手じゃないと友達にはなれないわけよね。要するに、相手のいいところを探さなきゃいけないわけよね!」
私「なんでわざわざ探すのよ?そんな頑張って探す必要はないだろ。だって、別にいいところって言ったって、そりゃ探せば誰にだっていいところってのはあるもんなんだから、探したら必ず見つかるに決まってるんだよ」
母「あるの?誰にでもいいところが」
私「あるわよ。要は解釈の問題なんだから、解釈をひっくり返せば良いだけだ。良くも悪くもどっちともとれるわよ。だから良いところがあるかどうかなんてのはそもそも問題じゃない。そんな必死になって良いところを探す必要は無いだろう。必死にならねばならないなら止めて置いた方がいいんじゃないのと私は思うけどね。いや、探したいんなら探せばいいけどさ。そら勝手にすれば?」
母「あんたは?あんたの友達には良いところがあるわけ?」
私「そらあるわよ。失礼なやっちゃな」
母「それは探したんでしょ?」
私「なんで探さないかんのよ?めんどくさいが。探す必要なんか無いだろう。探さなくたって見えるもの」
母「見えるの?」
私「見えるわよ」
母「あたしは(自分の知り合いに良いところが)見えないんだけど?」
私「別に見えなくたって良いじゃないの。見えないと問題があるわけ?」
母「無いけどさ。でも友達だったら良いところが無いといけないんでしょ?」
私「何を決めてんのよ。誰も『友達には良いところがあるべきである』なんてそんな事は言ってないだろう。友達かどうかなんて個人の勝手だろうが。全部あんたの好きに決めてればいいじゃろうが。単に私の場合は相手を軽蔑したり見下しながら友達だと思うなんて、そんな器用な事はできんというだけの話よ。私、簡単な人間だからさ。簡単なのが好きなのよ」
母「相手を尊敬するわけね?」
私「尊敬?うーん、まあ部分的に?」
母「あたし、尊敬する人いないんだけど」
私「一人も?」
母「いないわね」
私「さすがね!

<略>

母「あたし、皆に矢口さんと話してると和むわーって言われるの。それで皆が色々話してくるみたいなのよ」
私「ハン!そりゃアレだ。どうせ自分の考えてる事や感じてる事を全部が全部は正直には言ってないんだろ?うちで親父さんや私に言うみたいにはさ」
母「そりゃあそうよ!当たり前じゃないの!」
私「だから和むなんて戯けた評価が出てくるのよ。うちで話すみたいに思うままに喋ってごらんなさいな。誰も彼も蜘蛛の子を散らすように逃げていくわね。間違いないわ。保証するわよ」
母「はははは」

<後略>


ちなみに、

知人=たがいに知っている人。知り合い(ヤフの大辞泉)
友人=ともだち(ヤフの大辞泉)
ともだち=互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人

…文句があるわ。脳内ブーイングが起こっている。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人程度で「ともだち」にされてはかなわん。例えばこの記述では、「一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人」が、皆、「互いに心を許しあって対等に交わっている人」であるかのようではないか。
だいたい「互いに心を許しあう」って何?意味わかんねえ。
今度誰か友達にも聞いてみよう。こういう暇そうな話ができるのはアレか。まず
「例えば私とお姉さんは友達だと思う?」
からスタートだな。
「私とお姉さんは心を許しあってるの?」
…気が狂ったと思われるよ。

既に答えが聞かずとも聞こえるようだ。
「友達?そうなんじゃないの?」と向こうが答えるかもしれない。それで私は「そうだよな。友達じゃないとは言えないよな。知人よりは親しいよな」と納得し、「知人よりは親しいかな」と向こうも納得する。そんで私が「それじゃ私とお姉さんは心を許しあってるわけ?」と聞く。すると、「はあ?心を許しあってるってのとはねえ…」と眉間に皺を寄せる感じ。
そんで私が、
「そうよな。心を許しあってるってのとはなんか違う気がするだろ?」
と答える。さらに私が
「ところがね、辞書によれば、ともだちというのは<互いに心を許してあって>いなければならないのよ。そしたら心を許しあってない私等は友達じゃないって事になるじゃろ」
「ホホホ、そうなんだ」
「実はそうらしいのよ。私達、実は友達じゃないんだ!知らなかった!うっかり友達だと思ってたよ!」

なんかこれ、前もやったような気がする。あれはどっから来たんだっけ。ドラマの話からだったかしら?


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