非日記
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手紙やメールを書くと必ず後悔しますよ。必ずですよ。
だ、だってそんな重たげな事を告白されちゃったら「告白しかえさな!」と思うじゃろ?!思っちゃうんですよ。人の秘密を知って自分の秘密は隠しておくってのは、なんか精神衛生上よろしくない感じがせんか? フェアでない感じがするというか。 さしたる秘密じゃないんだけど、しかし普通はそういう事がありうると夢にも思わないようなので、言っとかな話が変に拗れて伝わる気がするというか。 まあ、これぐらいは私的には世間話の一環であって白状したうちには実は入らないんじゃが、読み返すときっと意図しない重々しい空気が流れているような気がする。それで嫌なので読み返さない。読み返さずに送るので益々イヤンな気持ちになる。悪循環だ。
なんだってそんな重たげな事を皆さらりさらりと言ってくれるのかと思ったら、自分と似た空気を感じるらしい。自分と似た空気を感じると安心するのかしらん。 「自分とあなたはどこか似た感じがする」と皆言ってくれる。 私の方ではあんまりせんのだが、コレはどうした事か。しかもそういってくださる人に限って、必ず世間一般に結構な裏事情を持っているのが困る。私はそんな大変な裏事情は持っていないのだ。口に出せないヤバイのがいくつかあるだけで。 「私もそんな経験があるわ」と返せたら、どんなに楽ちんだろうかと悪い事を思う。
そういえばJ子さんが、兄者が死んだ途端に、それまでにも付き合いのあった奥様方から、突如「実はうちの息子はもう十年も引きこもりで」とか「これこれの重篤な病気を患っており」とか、あっちからもこっちからも重々しい告白を立て続けに色々言い出されたらしい。「これは一体どうした事か」としきりに困惑していた。 「一見、社会的に見て順風満帆なオマエの人生がけして完全なものではない事に気がつき、仲間意識が芽生えたんじゃないの?」 と適当に言っていたが、どういうもんだろうなと思う。 一つには、人に不幸があったときには話せる話題が乏しいというのもある。人様に不幸があると、少なくともその相手に向かって自分がいかに幸せであるかを嬉々として語ることはできないだろう。そういう事をするのは根性悪だと思われる。あるいは「共感性に乏しく、コミュニケーション能力に不足がある」と言うのだ。 自分の不幸を晒すことで、「あなたは良いわね。私はこんなに不幸なのに、あなたは良いわね」という精神攻撃を受ける危険を事前に避ける心理もあるような気がするが、それはちょっとイヤラシイ見方だろうな。優しく認識すれば、「あなたの気持ちが私にもわかる」と遠まわしに表現している…かな?
ちょうど音楽療法で、悲しい気持ちのときには悲しい音楽を、楽しい気持ちの時には楽しい音楽を聞くようなものだ。悲しい気持ちのときに鼓舞するような元気な音楽を聞くと、一定段階まではそれで奮起もできるのだが、ある程度のレベルを超えてしまうと、今度は「世界はこんなに楽しげなのに、比べて私は…」と誰にもわかってもらえない風の孤独感が身につまされ、ずんずん落ち込むはめになるらしいんだ。
歌詞なんかでもあるよな。世界の美しさだとか華やかさだとか陽気さが提示されることで、歌詞の主人公である心情の寂しさや悲しさが、対比されてくっきり鮮やかに浮かび上がるやつ。
なんにしろ、難しい事を言いだされたなら(しかも相手に意見や感想を求められていない場合には)、言葉による可能な応答は限られるという事だ。だから私は面と向かってが好きなんだよ。「その場に留まる」だとか「じっと待つ」という応答が可能だから。
ふ、もうやっちまった事はしょうがない。 いつものことだが、後悔した後悔したと書いていたら、もう十分に後悔した気になってきて後悔が薄らいできた(悪)。アハンなんとでも言うがよろしいわ、ドンと来いよ。 鬼平でも言ってましたものね。「仇討ちが武士のならいなら、返り討ちも武士のならい」だと。 いや、私、武士じゃないから!三度の飯より敵前逃亡が好きだから。 だいたい、別に返り討ちしようとしたわけじゃあない!されたとは限らんしな。ひらりとかわされたことを絶賛期待する。私は弱い。おまえは強い。なあそうだろう?またそうやって人に期待する(苦笑)避けろと頼みながら殴りかかるのはやめましょうね。とは思うものの。
ところで、昨日の日記には、某姐さんが「長すぎて途中で読むのを諦めた」等とおっしゃいましたよ。諦めるほど読もうとしなさんなよとウケますだ。ただ昨日の日記のメインは最後の部分だけで、前半から中盤にかけては指慣らし(同人作家で言うリハビリ)なので、そこを読まずにどうすると思ったが。 そいつは悪かったと思う一方で、仮にも日記だのに、書くものが読む人の事を考えてどうするという気もするのよな。
オススメしていた「しゃばけ」は面白かったらしい。それは良かった。 区分としては一応時代小説なんだろうが、やはり時代小説を読みなれてない人間でも入りやすく、分かりやすく、面白かったようだ。 文庫で買ったのかな?それは聞き損ねた。
ライトノベルに慣れていると、時代小説も歴史小説もなんだか癖があるように思う。特に 「○×××の細君が○×の××であった事は先に述べたとおりであるが、」 などと、著者の言葉が入ってくるのが実に妙な感じだ。どこぞの物知りのおっちゃんが、お話を「語っている」感じがして妙だ。
今時分は三月のお祭りがあって、ために人は皆忙しいらしい。 そして次は五月のお祭りがあって皆人はやはり忙しい。 さらには次に夏の祭りが迫ってあって、人はやっぱり忙しいのだ。 人様が夜行バスなどを利用して「少ない日数で遠方に遊びに行った」などと言う話を聞くと、体力的に自分にはしんどいと思いながらムラムラするものがある。人様は忙しくして色々としてらっしゃるようなのに、いつも私はその労力の成果を拝むことができないのだ。間隙をつくようになされる更新を待つばかりで!
そういえば、今日コンビニではりぽったの映画のポスターを見た。遅い。 しかし見るだに、あんまりはりぽった君が男らしくなっていたのでビックリだ。きっとそうだろうとは思っていたけれど。 私の中では映画の2と3の印象が薄くて(3は主に犬にしか記憶が無いからな)、1の来日した時や映画雑誌などでのバラ色の頬をした愛らしい少年の映像イメージが強く残っており、「あれは確かに可愛かった。否定できない」という記憶があるものだから、なんだか「うわあ」って感じだ。 しかしドラコの役者さんよりは、雰囲気がそれほど顕著に変わってない気もする。ドラコの役者さんは輪郭から変わった気がしたものね。
うちの近所では映画館がどんどん無くなってしまい、ほぼ郊外のシネコンというやつ一館だけになってしまったのだ。聞くところに寄れば、上映中に鑑賞しながら食べるよう売ってるアイスが美味しいらしいんだが、でもなー、遠いんだもんなー。 ファンタジー映像好きとしては、ナルニアは劇場に見に行きたいと思うのだけれど。
ああ、そうそう。 私はちょうど月のモノがかかってしまい、しんどくて結局献血に行かなかったのだが、行った人に聞いたところ、プレゼントは「お洗濯セット」だったらしいよ。どういう考えで選ぶんだろうな。 …あ、もしかしてまた長くなってる? 溜まってるからか(笑)。
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