非日記
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2006年01月08日(日) はやい。

時の流れは電光石火だわ。一月ももう間も無く二桁にならんとしている。
まずい。
あちこちでぶいぶい文句を言ったせいか、今年はなんと年賀状が五枚も来た。一番沢山友達がいた時期に出した最高枚数が十枚なので、これは私的にかなりのものだ。のに私は出していない。これはマズイ。ン年前のように、二月にも入ってからやっとこ年賀状を出す…などというかっこよすぎる事はするまいと固く決意し、今日はとうとう芋を買ってきた。
芋は掘るんだ。
この年賀状を出すという作業や正しい礼儀作法がはなはだしく心もとないので、私には社会人は向いてないと思う。しかし社会人に向いてなかったら人間としてどうするのか。どこへ行っても、仮に年賀状の無い世界へ旅立とうとも、きっとそこにはやはりその社会の慣習だとか掟だとか色々あるに違いないんだ。多大な問題を起こしたことも無いではないが、なんとかやってこれたんだからなんとかやっていけるだろう。私の経験で行くと、この現代という時代は良い時代で村八分で死にはしないんだ。要は私のポリシーとしては犯罪を犯さなければセーフなんだよ。そうそう、そうなんですよきっと。

そういえば、今年の初詣では凄い小吉を引いた。
親父殿は馬鹿馬鹿しいのでやらないという。なんでそうお堅いのかしらね。というかどうしてそんなに気にするんだか。私にはわかっています。親父さんは占いを馬鹿にしてるんではなくって単に嫌なんだよ。占いに心を動かされるのが。いいじゃないの占いで一喜一憂ぐらい。
というわけで私はウキウキと引いたんだが(勿論大凶を引いた暁にはもっかい引く気満々でしたとも。れっつチャレンジ)、小吉だったのでセーフ。
しかし

願い事→おもうがままに叶います

などという小吉が存在して良いのだろうか。小吉がこれだと大吉はなんて書いてあるのか興味津々だ。思うがままに叶うよりも、もっとずっとラッキーなのってどんな感じ?思わなくても叶う?いや、それ、願い事と違うだろう。
そのほかにも、待ち人は「遅れますが来ます」だったし、悪い事は何も無い。強いて言えば勉学欄が「覚悟が足りない」となっていたが、私にはいつも覚悟が足りないんだよ。覚悟が足りないから今まさにここにいるわけだよ。しかし私は不幸ではない。よってそんな事は小吉の理由にはならない。
結局、一体小吉の正体とは?

私が思うには、きっと万事が上手く行かないのでせめて年の頭には「元気出せ」という激励の慰めではなかろうか。物凄く上手く行かなくっても、この小吉を信じて「いや、思うが侭になるはずだ!だってXX神社の神様が言ってたモン!」と意気揚々と諦めずに突き進むと出来事に修正がかかってトータルで小吉レベルの人生が待っているんだ。そのための小吉表記。

不思議なんだが、おみくじってどこで製作してるんだろう?
まさか神主一味が同人誌みたいに印刷業者に個別に頼んでいるわけでもあるまい。…と思うんだけど?やはり本当はあるんだろうか。秘密の地下組織、おみくじ業界が。「今年の流行はファンシーでポップな吉と奇跡を信じる大凶」とかが。
そんで印刷機の前で神主さんたちが印刷前にお払いでもして「運命よ宿れ」とでも念を込めるの。…犯人は神主だ!私の指先に小吉を掴ませたのは神主の陰謀だったんだ。どんな恨みがあるのか知らないが私を小吉にした。いや、大凶になるところを助けてくれたのかもしれないぞ。「私の力ではここまでだ…仏教の壁に阻まれ」とかいって小吉なの。そうなのかな?

いいえ、私にはわかっています。私の願う事がそう簡単にかなうわけありません。こないだも昨年の夏にとうに発売されたビデオをレンタルに行ったところ、置いてませんでした。
…いや、待てよ。某のDVDがBOX発売になるとすれば、それは「願いがおもうがまま」にあたるのかも知れんな。私は願っていたというより、待っていたというか、ボケッとしていたというか、「出ればいいのにさー…なんちゃって無理か!」と心の底から諦めていたのは願ってたうちに入るのか?

願い事と言えば私は毎朝祈ってるよ。昨日何かおかしな事をしでかしてなかったかを一生懸命思い出しながら、「どうか気づかずにとんでもない失敗をしてませんように!助けて神様!」と出勤しながら祈ってる。懸命に祈りながら片手間に本読んでるな。


やぐちまさき |MAIL