非日記
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あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 年賀状はちょっと待ってください。「年賀状が来ないぞう!」とぶちぶち言っていたら今年は二枚も来ました。ありがたい事でございます。私にもどうやらソーシャルボンドがありますだ。というわけもあってちゃんと出します。「お父様、あたくしは犬の足の裏が知りたいのでございます」と親父さんを巻き込んで一緒に犬の足の裏を調査しようとしていたら、通りすがりの通行人に怪しまれ撤退したところなのです。
お正月特別企画>> 持って行ったゲームもせずに実家で一生懸命解読してきた、大正八年、神武天皇紀二千五百七十九年、西暦一千九百十九年の、ある一般庶民の正月をご紹介します。 ちなみに、著者の年齢は十代後半から二十代前半と思われます。本当は全て旧漢字ですが出ないので許しましょう。
一月一日、雨 元旦はれず、先ヅ■■神社氏神に参拝し、帰宅して青年乃金銭出納簿等を計算、其乃他を整理す。年賀状来る。未だ出さざるところに二三書く。 午後、定期総会を開き、先ヅ役員の改選を行ふ。選挙後、支部長○○君、副支部長○○、当選す。一切の書物計算等終わッて支部長に引き渡しす。新入会員生○○、○○。例年の通り新年宴会を開く準備に取り掛かる。五時頃始って九時頃終る。特別団員も招迎し盛会愈々激しく、其の極を知らず。各自感を尽くして解散す。
↑本当はこんなに親切に句読点はありませんよ。 古き良き日本語の香りを残しているので、「アホでも読めるように」と開発された親切な句読点は無いのだ。句読点を「正しくはどこに打つか」というのが、私は昔から苦手なのに、羨ましい限りだよ。 こないだテレビでやってたな。「賞状を貰う人や賞状を読み上げる人は句読点などなくても当然読めるような立派な人であるはずなので、賞状の文章に点を打ってはならない。点など打ったら馬鹿にする事になる」とかいうのを。そういえば、英語なども昔は「単語と単語の間は少し空ける」などという事はなかったと聞いた覚えがある。要するにアルファベットが等間隔にひたすらズラズラ並んでいた。だから読むのが物凄く大変で、普通の人ではとても読めず、文章を読む専門の人間がいたとかなんとか。あの単語と単語の間に少し空白をつくり、単語の切れ目がわかるようにするというのは、画期的書き方だったらしいよ?
関係ないが、こうやってPCで横書きに打つようになってから、点の打ち方は益々わからなくなった。本式には確か文章の意味の切れ目で打つはずなんだが、それより、平仮名の単語がいくつか続いていると、一見して読みづらい気がし、打ちたくなくても打たねばならない気がしてくるんだ。そして、「そこで打ったなら、ここでも打たねばいかんだろう」と思い始める。 けどね、普通に読んでたら、「そこで一呼吸を置きたくない」というのが無いか?あまりにも沢山句読点があると、頭の中が躓き躓きになる。 上で言うなら、「〜横書きに打つようになってから益々混乱してわからなくなった」の場合、打つなら「打つようになってから、」だろうと思うが、次が「益々」と漢字変換して打ってるので単語がここで切れる事は明らかなんだから無理に打たなくても意味は簡単に取れ、読める。 ↑この文章なら、さらに「打ってるので、意味が」と「明らかなんだから、無理に」にところで打たねばならない気もするんだが、自分の中ではそこらへんは一気にすすみ、「取れ、読める」のところでしか息継ぎをしてないんだよ。PCの良いところで、ためしにさっき打ってみたんだが、なんか気持ち悪いので結局点を抜いてしまった。 漢字が来ると、その直前までと漢字の部分が明らかに異なる語である事が簡単にわかるので、やたらに漢字変換してしまうよな。 不思議な事に、縦書きだと、横書きより平仮名が続いた時に意味が取りやすく読みやすい気がする。 「一体本当はどう打つものなのか?」と小説などで句読点の位置に注目して読んでみると、案外打ってない事に気づく。ただ「名文と呼ばれる文章は悪文だ」とも言うからな。少なくとも、美文とされる文章は必ずしも分かりやすい文章ではないよ。
それはともかく、 まるで怪しい集会が行われているかのようですが、要するに「○○地区青年団」らしい。その役員をやっていたらしき事が伺える。「盛会愈々激しく其の極を知らず各自感を尽くして解散す」なんて書く十代がいたのは一体何時代だ?と思いますが、だから大正時代だ。 高等小学校までしか出てないはずだのに、人を苦しませる漢字の嵐。しかも旧字体。平たく言えば難しい字だ。昔の学校はこんな字まで教えたのか?「会」「帰」「ところ」「挙」「団」「尽」なんて、全部難しい字ですよ。後に出てくる「昼」も「書」に似たような、あの古い字。 「書食ってなんだ?」と悩んでいたら「昼食」だった。 ちなみに、そんな画数のやたら多い難しい字を書く男の奥さんは平仮名もろくに書けなかったらしいです。さすが大正時代だ。
一月二日、雪 雪降り、炬燵にあたって統計調査を始める。十二時半に終って昼食 雪は止まず 幹部講習会筆記を書き直すに五時間も掛かる。雪は益々降る。積雪六寸余
↑どうやら引継ぎの仕事を頑張っている模様です。五時間も書類を書き直していたら日記を長々書くのが嫌になったようだ。きっとそうだ。「〜書き直すに五時間も掛かる」という短い文章の中の「も」という一字に、「始めた時にはこんなに掛かるとは思わなかったのに」という、ぐったりした疲労と天に訴えるかのような理不尽な気持ちを感じます。 「は」にしたが、「わ」か「は」か実はわからないのだ。謎の怪しい形をしてる字を、どうやら助詞の「は」にあたるっぽいとアタリをつけただけ。 六寸は十八センチ。 何故雪に拘っているかというと、雪が積もると、屋内に閉じ込められるからだろう。大正八年ですからね。後に、「非常な大雪、汽車立往生の有様」などという記述も出てくる。
一月三日、雪 昨日の雪に積もって七寸位。尚何時止むか知らざる如々降る。 朝食後馬草を切る。終って藁を打ち昼食。午後草鞋を作り、四時頃迄に三速造製。晩にも薪を取り入れ牛を飼ふ。 夜新聞を見る。
↑三日からもう働きます。働き者ですね。馬草は牛の餌。 「草鞋」の漢字が自分でも微妙らしく、「鞋」のつくりとへん、「革」と「圭」が以後時々逆になったりする。そんなに草鞋をつくって、売るのかと思ったら自分たちで履くためらしい。確かに昔、蔵を開けたら凄い量の草鞋の山があったような気もする。冬に雪に閉ざされている間に、一年分の草鞋を作っておくのだそうな。
一月四日、晴 天は晴るれど雪は消えない。相変不寒はする。 朝の間新聞を読み終わって草鞋縄をなふ。昼前に草鞋一足造る。午後に表に???待ち有り。 X蔵参席してY蔵共に釜だきの木を出す。四時頃仕舞って??入る。晩には○○の叔母来る。同勢三人、夜賑かし。
一月五日、曇 起床七時半、朝仕事を終えて草鞋を造る。午前中三足。 午後相不変ず草鞋造り、仕上げ四足 晩には叔父乃家に風呂に入りに出る。
↑毎日草鞋を作ってますだね。うちに風呂は無いもようです。「あいかわらず」が漢語になったり怪しくなったり。 仕事ってなんだろうな。
一月六日、曇 母は味噌豆を煮る。僕は藁を打ち草鞋を造る。今日も相変不午前に三足。ちらりちらり雪が降り出して風呂を?る薪を出す。牛を飼って仕舞ひ事を終り、例の如く分家に風呂入りに出る。藁を二把打って帰宅。 晩には家内乃者三四人味噌びき出す。
↑やっと母登場。味噌豆は味噌を作るための大豆。「味噌びき」というのは味噌をつくるため煮た大豆を挽く道具。何人かで出しているので、たぶん石臼のような、でかくて重たいものなんだろう。 分家に風呂を貰いに行き、風呂のお礼に藁を二把打った…ということらしい。この分家がどこかについて(分家というからには本家のことではないだろうと)また親がもめる。私は無視してガンガン解読します。
一月七日、晴 降り積もった雪に朝日乃光がさ志た時は実に愉快なものだ。今朝は其の通りだった。先ヅ身支度を終えてZ蔵叔父と馬屋の肥をだす。牛の踏み肥だ。午前中出して終わる。 天気は良かった。日本晴れだった。小春日和のようだった。ほ???温い。又二人で○川の上を取り上げ仕末し川を掃除する。晩には風呂をし薪を割る。 夜味噌を挽く。大勢手伝ってくれて、賑やかく早く終わる。 臥床十一時、松江の唐津商人宿る。
↑ここまでで気持ちがよく表現されていたのは、「五時間『も』掛かった」だけだったのに、久方ぶりに晴れたせいか、御機嫌がたいへん麗しいようですね。急に情緒溢れてきました。こんな風に文章を書くにあたってノリノリの有様をみると、とても他人とは思えません。平たく言えば曾祖父の日記なんだが。 正月だというのに御馳走の話は全く無く(←ママンが拘った点。母曰「正月だってのに御馳走のことも書かず何書いとんじゃ!」)、毎日草鞋ばかり造り、一体どんな激貧生活かと思って読んでいってたら、唐津の商人を泊めるとなると、案外この家は結構裕福らしいのだ。 しかし正月に毎日草鞋を造り、牛の世話をし、味噌を挽き、家に風呂の無い生活のどこらへんがどんな感じに裕福なのか現代人としては想像が難しい。牛がいて味噌が挽け風呂をもらいに行け草鞋を造れるところが裕福っぽいのかしらん。
この後ぐらいからどんどん字が雑になり、それでも一日も休まず書いてるところは流石に真面目なのだが、ただでも旧字体や怪しい略字や謎のクセ字のせいで難しいのに、こちらとしては解読がより大変になる。形見として一部いただいた親父さんは読むのを諦めてしまっているほどだ(亡くなった折に、形見として各々一人につき数冊ずつ親族に配られた)。 飛ばして暮れの日記を開いてみたら、やはり草鞋をつくっていた事はわかった。
こういう読むのが難しい日記がン十冊あったらしい(マメ人間だったので)。 こういうのはアレだよな。自分史とか言って本にでもするものよな。よくわからんけど。私が思うには、要職についてる人や身分のある人なんかは結構日記を書いてたりもし、割りに残ってるものだが、下々のごくごく普通の人の日常の記録ってのは、公式には残らないと思うわけよ。それこそ、爺さんの日記とか婆さんの日記とか、そんな感じでしか。 ちょっと昔(や、他の文化)を舞台にした小説でも書こうかと試みた人はわかるだろうが、一番困るのは、「普通の人の暮らしぶりがサッパリわからない」事なのよな。例えば冠婚葬祭についてだとか、貴族や政治家の生活は調べればわかるんだよ。ところが庶民が難しいのよ。「庶民のパンツはどうだったのか?」とか「服の着替えはあったのか?あったなら何着ぐらいあったのか」とか「歯磨きはしてたのか?何で歯を磨いたのか?木の皮なのか、指なのか?」とか「顔は何処で洗ったのか?水は井戸で汲んだのか川から汲んだのか」とか「暇な時には何してたのか?」とか、そういう類が全然わからんのよ。
たとえば、お爺様の日記で言うならば、大正八年頃には、某山奥のど田舎では、たとえ女中や髪結いが住み込んでいるような割と裕福な家でも、どうやら「靴を履いていない(まだ草鞋)」という事がわかるのだ。後、正月からウキウキ川の掃除をしているので、どうやら河川が生活用水である事が疑われる。新聞を読むことは思わず日記に記録するようなことだとか。 ちなみに後に、ここの地方紙と並んで「大阪新聞」という記述が出てくるんだが、「なんでこんな地方に大阪の新聞が配達されてるんだ?」と聞けば大阪「読売」新聞のことらしい。私が子供の頃から人様によく取られている全国紙と言えば、「読売」「朝日」「毎日」あたりだが、読売は昔から派手に稼いでいたのか?等と思ってみたりする。
とにかく、庶民の生活は難しいのよ。 今は小説なんかでも普通の人が主人公が多いので、ちょっと前の小説を見れば、時代の流行や空気やファッションや風俗がわかったりするが、昔だとわからんのよ。 庶民の日常を知る上で貴重な資料だと思うんだが。 ちなみに、この日記が書かれている日記帳は、いわゆる「当用日記」とある例の本型で装丁のしっかりした日記帳なんだが、開くとイキナリ、天皇一家の名前一覧がのってたりして、とても時代臭を感じさせる。今現代には、たとえ山手線の路線図が載っていようとも、天皇一家の名前が載ってる日記帳なんて売ってそうにない。売ってるのかもしれないが、そうそう無いだろう。しかし昔は別に選んで買わなくても、どの日記帳もそんな風だったんじゃなかろうか。
ちなみに、親父さんが貰った日記はもう一冊あり、昭和何年かで戦時中なのだ。これがまた気になる。歴史に言う、世界に悪名高い「大東亜戦争(太平洋戦争)」中、山深いド田舎の庶民は何を考え、どんな事を日記に書きながら、どんな風に生活してたのかとっても気になるよ。(私は擁護論者じゃありませんが、日記帳に「大東亜戦争中に日々を綴りましょう」みたいな文字が『印刷』されている) おそらく行ってなければ冬には相変わらず草鞋をつくってたんじゃないかと疑われるんだが、どうなんだろうか。草鞋をつくらなくなったのは何年頃なのか、気になるね。 私としてはン十年殆ど休まずつづられた数十冊に及ぶ庶民の生活を一度全部通しで読んでみたいんだが、何処の部分が誰のところに渡ったのかもわからないんだ。昔の人なので、親戚多すぎて散ってしまっているし。残念だ。
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