非日記
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2005年10月25日(火) しまつた。

ところで先頃、人様にメールしたところ、用件への応答の他に、こんな事が書いてある返信が来た。

「こないだ私の誕生日だったのよーん」

…あ、ホントだ。
すばらしい勢いで忘れてました。
どれくらいの忘却度だったかというと、「忘れてたわけじゃないわ」と誰が聞いても嘘くさい偽りを思わず口走ってしまったりしないほどだ。だいたい、私が真面目に「忘れていたわけではない」と言うときは、殆どの場合、本当に忘れてなかった時ですよ。私はそういう嘘は面倒なのでつかないんだ。
さらに、「別に絶対誕生日を(嫌みったらしく?)祝わなきゃいけないわけじゃないんだから!」と強気に反論して自分を守らねばらない必要すらないほど、すっかり忘れきっていました。悔しさすら湧き上がりません。そこはかとない僅かな残念さが、キャンバスの水張りをするときの水のようにあるだけです。決まりが悪いというやつか。
だから正直にこう言うしかありません。
「忘れてた!」

今年は確か何も貰ってなかった(ような気がする)ので、「敵の誕生日に復讐しなければ(=贈り返さねば)」という緊張感もなかったし。

そういえば昔、職場で、誕生日プレゼントに関わらず、人にプレゼントする時に何をプレゼントするかという話になった時、私が「本やCDが多い。相手が自分では買わなそうなものを贈る」と言ったら、「それじゃ嬉しくないじゃない」と反論された。
そういうものかな?

でもね、例えば某嬢と私の誕生日プレゼント合戦の場合は、(確か私は)必ず相手に何が欲しいかを確認してるんだが、それだと誕生日プレゼントというものとちょっと違う感覚やねん。
何が欲しいかと問われて答えるなら、ほっといたら自分で買うだろうが、今自腹を割くのがちょっと気分じゃない物(そこまでの緊急的欲求がない物)か、あるいは、ちょっと欲しいような気がしているが別に金を払ってまで欲しいほどではない物、もしくは、どうせ自分で買うつもりだった物なんかだと思う。
確かにそうすると、「こんなのあったって邪魔なだけよ。空間の邪魔。我が人生の邪魔だ」とか、「私の趣味じゃないのに、簡単に捨てる事もできないじゃないの」という文句は互いに無いはずだ。

しかしそうすると、単に、自分が散財する時期をずらしている感じがして、プレゼント感覚が希薄な気がするのよ。自分が買うべきものを他人の金で買ったような気分だ。そこで、「相手の誕生日には断固として贈り返さねばならない(=借金を返す)」気分になる。

本当のプレゼントの醍醐味は、例えばパーティでのプレゼント交換的に、その他人との人間関係が親しかろうが希薄だろうが無かったならば、自分の人生に縁もゆかりも無かったはずのものと、僅かなりとも「関係を持ってしまう」事にあるような気もするんだ。
時々海外のドラマで、友人からのプレゼントを開けていくシーンで、酷く馬鹿馬鹿しいものとか、ジョーク的なものが出てくるが、ああいうのがプレゼントの醍醐味のような気がする。

プレゼントをするようなお祝い事にかこつけて、皆が遊んでるわけで。
そういうの、お祝いをされるような「良い事」があったのは、本来は、プレゼントを贈られる側だけで、それ以外の他人には直接関係ないんだが、プレゼントを贈る(または祝う)事を通して、他人も一緒に楽しむってのが、なんか良いなと思う。
だって、自分には特に良い事も無い時(もしくは悪い事があった時)に、他人にだけ良い事があって彼だけ人生バラ色だったら、そのまんまだと、普通、人は「この野郎、てめえも不幸になれ」とムカつくだろ?
エ、人はムカつかんのか?(笑)


「相手が喜ぶものを贈らなければならない」というと、なんというか、「お祝い事」は貨幣のようなもので、その無形貨幣によって、何かそれに対して等価である物を買う(交換する)ような感じがして(つまり「欲しくも無い物や無駄な物を貰うと、損したように感じる」という事)、ちょっと寂しい感じもする。
お祝いがもらえるような、言ってみれば「恵まれた立場」でありながら、その上に「さらに『得』をしよう」なんて、酷くあこぎで貪欲な感じもするよ。

良い事があって本人が嬉しい、喜ぶならそれで良いし、それにさらに他人がお祝いをしようというのは、他人の勝手なので、別に相手の奴隷のように相手の気持ちを必死に慮らなくても良いような気もする。良い気分でいるなら、他人のささいな過ちは笑って受け流せよとも思う。「別に欲しくないものを貰ったぐらいが、なんだ。おおむね調子よく行ってるんだから、ちょっとぐらい自分の思うとおりにならなくたって良いじゃないの」とも思い。

そういうバックグラウンドがあり、
で、私が件の某嬢と、ここ数年誕生日プレゼント贈りあい合戦をしていたのは、誕生日だから、それにかこつけてタダで物を買おうという話ではなく(贈り返すのだからタダではない)、スタート時はどちらともなく「なんとなく」だった気がするんだが(「誕生日なんか?じゃ買ったろか?」で)、そのうち「誕生日を祝う(たとえ年齢が加算される事が別段嬉しくなくなっても、意地になったかのように「誕生日おめでとう」と断固として当日に言う)」事が、私の方では勝敗を競うゲームのようになっていったから、その「ついで」だった。

ところが、今回私は昨年要求した誕生日プレゼントについて悩んでいて、ついでに昨年報復したかどうか(=贈り返したかどうか)について記憶がはっきりしてなくて自信が無く、今年どうしようかと思っており、そういう「お悩み」が色々あって、今年の誕生日がどうの以前に、私はまだ去年を生きていたんだ。まさか今年になっていたとは。
それで自分ゲームをしてなかったので(忘れていたので)、負けた気すらしないわけよ。

いやそれがね、確か去年、「私のポスペに友達を」とか言うて、ポストペットソフトを買わせてインストールさせた気がするんだが、それから暫くして私のポスペが在住しているPCが調子悪くなってしまい、新しく買い替え、そっちにデータを移行できないので、今度は彼女のポスペまで若くして孤島に送ってしまった気がしていたんだ。
いや、本人が楽しんで扱っていて、世のポスペ友達なんかとメール交換してるなら別段気に病むこともないんだが、ポスペで贈る時には速攻携帯にメールを打ち
「今ポスペが行ったので吸い込まないようによろしく」
「了解」
とやり取りをせねば順調に吸い込まれるほど、ポスペをメーラーとして使ってなかったので(私も)、たぶんポスペランド(そんなのがあった気がする)とかで遊んで無いし、他にポスペ使ってるメル友がいないっぽい。
私なんか、「姐さん心が広いわね。私だったらそんなプレゼント贈るのいやだよ。だって一回金払って済む話じゃないじゃないの」と言ったほどだ。

私の旧PCは、インターネットから切り離されたポスペ一世(ラジェンドラ)の鉄の墓になってしまってる感じだよ。やつはあの世を、まだ元気にさ迷っている。本当に死なないし、逃げないな、秘密ロボットは。
ポスペが寿命を迎える前に(秘密ロボットにあるのか知らんが)、PCに寿命が来てしまったよ。それは考えてなかったな、確かに。
言ってみれば、恋人や親しい人の余命を気にして、死ぬ事を気に病んでいたら、実際に死ぬ前に世界が終わって、「なんだ死ぬ事を気にしてた時間が勿体無かったな。今日だけ考えて生きれてば、正しくハッピーだったよ」と後になって思えるなら思うようなものだ。後は、「相手に先に死なれるの嫌だな、アタイだけ立ち直ろうと努力せないかんの?うぇ、最悪。おまえが努力しろよ、俺は努力したくねえのよ」等と常々不満に思い、心配していたのに、うっかり自分の方が先に死んで、「なんだ余計な不満だった。理不尽な苛立ちをぶつけて悪かったわ」と思うような。
まさか先に世界が終わるとは。衝撃だね。うかつと言うべき?うかつだよ。


新しく、ソフトを購入してラジェンドラ二世を生み、それを遊びに行かせようと思ってたんだが、だって新しいソフトの秘密ロボット、可愛くないんだもん!なんで「変に」丸いのさ!
いや、私のことだから、散々文句を言いながら、憎憎しく、しみじみ眺めてる間に、だんだん可愛いような気がしてくるかもしれない。


やぐちまさき |MAIL