非日記
DiaryINDEX|past|will
| 2005年07月25日(月) |
いつの間にか知らぬ間に。 |
そういえば、免許更新の際の講師(教官?)が、含蓄のあることを言っていた。 「性格を隠すのが人格だ」 おお、なるほどー!という感じ。 要は、 「運転中には、その人の真の性格が現れる」
私はここで、ふふふと笑いましたよ。 なぜかと言うと、お友達の某嬢は、まさしく「ハンドルを握ると性格が変わる」タイプだからだ。荒いんだよね。ハンドルの切り方と、アクセルの踏み方とブレーキの踏み方と、他者への視線が。 いや、「いつもはおしとやかなお嬢様である」と言ってるわけではない。ただ、普段なら、あんなに速攻でイラついたりしないし、イライラしたり腹を立てても黙り込んで内部ブラックホールを開放するだけで、罵りを口に出したりはしないねん。
くわえ煙草で、「こういう格好良いハンドルの握り方をしてはいけませんよ?」と教習所で教わるような格好良い系の握り方をして、「ああン?」とか「ちょっと何やってんのよ?」とか「早く行けよ!」とか「退けよ!」とか、眉間にしわを寄せてブスブス口走ってるねん。
イメージ的には、ヘルシングというマンガのインテグラというお姉さんのような。真ん中分けストレートだし。
助手席の私は、遠心力によってギュインギュインと傾きますよ。あの車に乗ると、シートベルトが自分に何をしてくれるのかわかるんだ。 昔、小柄な姐さんが後部座席にシートベルト無しで乗った時には、コロコロ転がってたわね。そしてそれをバックミラーで見ながら、「おかしいわ、ほほほほほ!」とお姉さんは笑っていましたね。 私が見たところ、運転中の姉さんはきっと、微妙に「頭○字D」みたいな気分でいるんだと思う。私は読んだこと無いが、アレ、公道でレースしてなかったか?同じ「公道でレース」でも、「よ○しくメカド○ク」ではないねんよ。わかる、この違い?小町ちゃんじゃないねん。インテグラやねん。怖いだろう。
ちなみに私は、運転中は常に「すまん!」「許してくれ!」「申し訳ない!」などとひたすら謝罪している。後、「怖い!」「もう駄目!」「死ぬ!」などと不吉な言葉をもらしている。 「明らかに」誰もいないのに、誰もいないほど喜んで幸せにのろのろ走り(その気持ち→「ぶーん♪ぶーん♪ぶぶぶぶぶ…(エンジンと一体化)」)、歩行者など誰もおらず、対向車も何もいないのに、横断歩道前などで止まりそうなほどにスピードを落とし、
「は!?なんで止まるのッ?!」 「怖い!(←危険なものが誰も何も見えないのが)助けて!」 『何か重大なものを見落としてるのでは?』と、つい疑ってしまうのよ。
後続にとって意味不明の危険な大迷惑をかける。そして譲りまくり、全然進めず困る。かと思うと、「無理!無理だって!危ないって!」と絶叫されながら、「もう遅い!祈れッ!(ギャギャギャギャギャ!タイヤが軋む音)」と突っ込む。 ね、私が「自分は可能な限り運転しない方が良いと思う」理由がわかろうというものよ。
それはともかく、先生の言うことには、 「短気」だとか「いい加減」だとか「神経質」だとか「攻撃的」だとか、そういう個人の性格はそうそう変えられないが、それが表出するのを人格によってほどほどに抑え、運転に適した情動を保ち、的確な判断と選択をコンスタントにせねばならない…という話だったんだが。 「運転に適した性格には簡単には変えられない。もしできるなら大したものだが、まずできないだろう。だが、人格は変えられる」 妙に含蓄がある。
確かに「優れた人格者」とは言っても、「優れた性格者」とは言わない。人格の維持には努力と意志が必要だものね。 難しいのは、性格を人格によって抑制し、表面化して問題を起こさないようにコントロールしながらも、なおかつ、その自らが抑圧している性格を「おまえはそれで良いのだ」と受け入れてやらねばならないところかもしれない。私が思うには、世間知らずの純粋無垢な言わばお姫サマである「性格」を守る為に、騎士として「人格」が生まれるのよ(笑)
知らぬ間に>> 三日ぶりに職場に行くと、私には夫がいた。 夫は九十X歳。いつ夫婦になったのか知らんが、もうすぐ離縁する予定だ。
爺「それは女房に聞けばわかる。おい、わしのパンツー」 私「パンツ?洗濯したのならここに山ほどありますよ」 人「まあそんなところに」 爺「女房は何でも知っとるんじゃ」 私「女房というのは私の事ですかね?」 爺「そう」 私「…なんてこったい(ぶつぶつ)」 人「随分若くないですか?(笑)」 爺「若いんじゃー」 私「私は後添いですから」 人「ぶはははっははははは!(笑)」
なんか知らんがウケたよ。 後添いがウケた?
|