非日記
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2005年02月13日(日) 返って来てしまった。

久しぶりに山まででかけましたよ。いつもの山です。
山は昔から好きだが、登山をする根性と気合いと真剣さと準備の周到さと野性はないので、ただの散歩。だーれもいない細い山道で、人家のない場所を散策するのが好きなだけ。

本当は買い物に行くつもりで、別に山に行くつもりはなかったんだが、例によってなんとなく行ってしまった。天気がよかったからだ。
どうせだから例の社による事にした。前回お賽銭を入れなかったことが延々と気になっていた。心掛かりを清算するつもり。
行ってみたら、「マムシ注意」看板がなくなっていた。冬だからか?これで安心して行ける。前回は、台風の為に山道に木々が倒れこんで道無き道になっていたが、二三ヶ月の間に掃除したらしい。この社の管理をしている人は(たぶん町内会とか)わりとまめなようだ。すばらしい。道の間際まで倒れ込みうっそうとしていた雑木やらも多少刈ったようだ。台風前より明るくなり、清々しく歩きやすくなっていた。

周辺を探索して井戸跡などを発見していたら、近所の人とは思えぬ背中にリュックを背負った若人が一人やってくるのが見える。すばやく隠れる。
誰、休日にこんなところにやって来る暇人は?私みたいに暇人なのか?
遺跡巡りが趣味の人かもしれない。ただの山だが、実は中世の城跡だしな。発見した古い井戸も篭城の際の水の確保の為に掘られたものだったらしい(看板発見)。「どんな渇水時にも涸れた事は無いすばらしい井戸」らしいが、えらく濁っていた。こんな水を飲んで大丈夫なのか。
怪しい人はすぐ帰っていった。安心。私の方が怪しい。
上まで行ってみたら、相変わらず、鳥居は壊れたままだった。すごく捩じれてる。お稲荷さんが一個とミカンが一個供えてある。そんなに古くはないようだ。やっぱり何者かマメ人間がいるらしい。以前にオジサンが草刈りに登って来ていたし。人里離れた山の中で、一応若い女が一人でいるところへチュイィー〜…ンと来られると、十三日の金曜日を思い出してちょっと怖かったわよ。
お賽銭を入れる(カンパ)。
これで気兼ねなくなる。

いつも見ていて、常々「あそこに行ってみたいな」と思っていたところについでに行ってみることにする。「あんなふうに行ったらいけるのでは?」と思う道に思い至ったので、そっちへ行ってみることにする。道に迷う。いつも歩いてた道なのに、いつのまにか変なところにいた。
隣にお地蔵さんがいたりする。アヤシー。どこよここは?
とりあえず、お地蔵さんにお賽銭。小銭がなくなった。カンパしすぎ。

いつも歩いていた道が下の方に見える。遠ざかっている。気づかずに、どこかで変な道を選んだらしい。予定の道から遠ざかっている。まだ明るいので、戻ろうと思えば直ぐ戻れる。夕暮れや夜は見知らぬ道を新規探索しない方が良いんだ。本当に、どこから来たのか、どこにいるのかわからなくなる。でも明るいうちは大丈夫!探検発見ぼくの町。何があるのか行ってみようっと。そうしようっと。

そのまま歩いていったら、「あれ?ここからあそこが見えるということは、もしかしてここは目的地?」気がついたら行きたかったところにいた。
予定の経路じゃないが、お賽銭の御利益かもしれない。

さらに歩いていくと、お墓があった。墓地の入口から人が出てきたと思ったので挨拶すべきかと振り返ったら、誰もいなかった。男の人が視界の隅にうつったと思ったのに。
よく考えたら、誰も居ないことは既に見ていたのだった。しかしそんな「誰も居なかった」事実は忘れていたんだ。だって実際に出てきたと思ったんだもの。「見えた」って事は、いたって事だろ?しかしいなかった。気のせい。
…なんらか怖いれすね。念の為だが、誰もついてきてはいけませんよ。「誰も」っていうのは、「何も」ってことよ。

気がついたら、なんだか沢山の石が一列に並んでいるところにいた。門を発見。ここはどこかな?「陸軍合同墓地」…なぜ私はこんなところに?迷い込んでしまった。高い石の列は墓碑銘に少佐とか中佐とかついている。将校の墓らしい。低い石の列は兵卒の墓らしい。大きな石碑を発見。「満州事変合併葬碑」…満州事変!
遠くへ来すぎたっぽい。平成に帰らなきゃ。

やっと山を脱出。生活圏の裏通りに出たようだった。
向かいの溝のヘリに丸いものがあるのを発見。「…あれは金じゃなかろうか?」と拾ってみると、五円。溝にお金を捨て置くなんて私にはできない。

以前職場で「金は大事ですよ」と言ったら「荒んでる」と咎められたが、金が重要である事は疑いない現実ですよ。仮にそのために生きてはいなくても、食事や排泄や睡眠を人生から排除できないのといっしょです。私は寝る為に生きてるが!私は「金さえあれば」とも「金など不要だ」とも思いませんよ。金を馬鹿にしてはいけません。人生は概ね、馬鹿にしたものに足元を掬われるようになっているのだ。
金を馬鹿にしたものは金によって、愛憎を馬鹿にしたものは愛憎によって、権力をナメたものは権力によって背中から刺されて毎度ビックリする。それを目的に生きてない時こそ、それの持つ力をナメてかからないよう警戒しておくべきです。
私「言っておくが、私は金持ちにはなれんと思うからね」
父「良いよ別に。どうせおまえは金いらんだろうが?」
私「ンな!?いるに決まってンだろうがッ!(怒)私は金が大好きだわよ!金ダイスキーよ!もう金の為に金が欲しくて生きてるんだよ!アタイは金が欲しいよ!」
確かに私は亡兄ほど物欲は強くないが、生きる為には金も要るのです。ふわふわ生きていても、食ってるものは霞じゃありませんよ。フザケタ事をぬかすものではありません。

そういうわけで、せっかくなので、ありがたく引き取っておく。一円を笑うものは一円に泣く、一億を笑うものは一億に泣く、ですよ。

なんだか、お賽銭の一部が返ってきたみたいだ。お賽銭入れて、ついでに五円も足しておいたんだ。その五円(御縁)だけ返されたのかも。キリの良い金額までで、端数はお釣?早いわね、返って来るのが。速攻だよ。
そうかえ?御縁は欲しくないかえ?(苦笑)


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