非日記
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2004年02月22日(日) 雨の日の思ひ出。

親と電話で話をしていたところ、「あんたの話はおかしかねー」等と言われる。
私の話が変だってよ!!!
親に言われたよ!あんたに言われた日には、私はどうすれば良いのか!?

注:)

いや、あの女はうちではアアだが、外ではものすっごくネコかぶってるのだ。つまり、「ネコをかぶる事ができる(どのようにしていれば普通に見えるのかが勉強したり考えなくてもわかっており、そのように振る舞える)」のだ。奴はアア見えて、うちで一番頭が良いと私は密かに思ってる。
ちなみに、彼女のそのペルソナの対外評価は「大人しくて引っ込み思案の恥ずかしがり屋さん」らしい。

つまり私の「教官」だ。
私は幼稚園で人の話を聞いてるうちに、他人には「鬼教官(お母さん)」がおらず、代りに「優しい保護者(ママ)」というのが居るのだと勘違いし、「どうして私にはママがいないんだろう?悪い子だから?」と思い、「カミサマ、私は頑張って良い子になります!だから私にもママをください!」と一生懸命天にオネガイしていたぐらいだ。そして「お母さん」と「ママ」が言葉が違うだけで「同じもの」を指すことを知った時、「たとえ世界の果てまで捜しても、私にはママは居ないのだ…!何故なら、私のママはアレだった!」と絶望したのだった。

それで、雨の日に幼稚園で「(皆のママのように)お母さんが傘持って迎えに来るまで、死んでも私は帰らん。たとえ死して霊魂となろうとも奴がやがて来る日までは、けしてここを動かぬ。来なくても良い、だが私は未来永劫に待ち続ける!」と命を賭けて四時間、幼稚園の先生が「送ろうか?お母さんに電話しようか?」等と言うのに、「しなくて良い。奴は来る!」と頑として踏ん張ったのだ。
その時の気持ちは、今も忘れもしない「ただこの一度だけで良い。今この一度だけ来れば、後はどんな時でも二度と来なくて良い。私は二度と待たず、けして恨まない。この一度の為に私はおまえを許す。だから来い!来るんだ!」と、豪雨の中、門を睨んで体育座りし。
保母さんには「電話するな!(これは私と奴との戦いなのだ!)」と。
(良い迷惑だよ。しかし私の方としては、魂と命を賭けていたのだ。自我が芽生えてからの第一次反抗だ)

「一人で帰ってこれるくせに、なんで帰ってこんのか!?私は家事で忙しいんじゃ!」と帰る道すがらから帰ってからも寝るまでしこたま怒られたが、私は「うふふ☆お母さんはママだったんだ!」と御機嫌だったわよ。ずえんずえん反省しないので余計に怒られたが、その時の私は世界中に「ママがいた!」と見せびらかして回りたい気持ちで、神に勝った気分だったのだ。

そりゃ私だって、お嬢育ちのママンが体の弱い兄者だけでも疲れ果てていることはわかっていたが。しかし子供心としては、「手間のかからず、自分の言う事を聞く子だから養育してくれる(言う事を聞かなかったら捨てられる)わけではない。彼女にとって私も大事なものなのだ(たとえ子供にとって親が、保護され愛されるためならば、どんな事にも耐え、どんな事もしようとするような、全てのキーになるかけがえのない存在であるほどではなくとも)」という、希望というか疑いが欲しかったわけで。

そして、その後さらに成長し、母と子の戦いは思春期に向かって苛烈を極めていったのだった…。
私は幼稚園児の時から熱く生きていたんだ。というか幼稚園児から小学生の時の方が熱く生きていたかもしれない。



ところで、ドリフって何?と言われたが、ドリフのDVDのBOXが出ているようなのだ。それで人が貸してくれたわけよ。


やぐちまさき |MAIL