非日記
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| 2004年02月14日(土) |
やっぱりそうなんだ。 |
「(トゥームレイダー1の)執事さんが凄くステキ☆あいらびゅー」と思い、最後によく見たらリマーだった。ああ、そういえば、私はリスターも好きだが、さらにリマーが好きなんよ(苦笑) 途中いなくなってゴッツ淋しかったもの。
思うんだが、ナントカ教会だかナントカ協会はハリポッタなんかを和気藹々と焚書にして安心してる場合じゃないね。指輪物語の方が一大禁書だろう。 魔法が出てくるとかそんな生易しいものじゃない。どう読んでも、「ハルマゲドンで神に悪魔が勝った」物語じゃろう。 エレンディルの血筋など、どこかで誰だかが「あの血筋は世の末まで続くだろう」みたいな事を言っていた記憶があるが、<悪魔を憐れむ歌>の荒野の悪魔アザゼル君を思い出させる核心を突いた名セリフだ。
「悪は存在する」 「絶えない」 「感染する」
確かに。ボロミアってば感染してるしな。アラゴルンはこれでもかとやっても始終ピンピンしてて全然死なないしな。そう、悪はけして滅びない。何故なら愛だから(笑) <英雄HERO>で言うのなら、アラゴルンは「剣の奥義を極めたくせに始皇帝を殺して乱世に戻す残剣」みたいな男やねんな。それで始皇帝には理解不能なんだろう。そりゃ理解不能かもしれん。 キング・オブ・デーモンでサタンなんだろう。
大体読んでて、最初から何かがオカシイと思ってたのよ。 野伏がそのへんをウロチョロしてるだけで、モルドールの者は「逃げる」って言うのよ?「逃げる」だよ?襲ったり戦うんでなく、いきなり逃げるねんよ?邪悪な存在なので近づくことすら恐れてるんだな。 サウロンが一つの指輪をもてば、彼は神と同等の力を得る。モルドールの法律が善であり、オークは善で人間は悪になる。だが野伏はそれを大して問題視している様子はない。何故なら既にモルドールにとって悪魔として名が通っている上に、人間にも嫌われている。何がどうなっても本来立場的には変わらんのよな。 モルドール側からすれば、黒の乗り手などは、仏教で言う「初め仏と戦った悪鬼だが、やがて仏に帰依して守護神となった」阿修羅や夜叉みたいな感じなるんじゃないかしらん。
おそらくモルドールでは↓
「ヌメノーリアンとはけして言葉を交わしてはイケマセン!危険じゃ!見掛けたら即座に逃げるか、奴等が口を開く前に殺すのじゃ!」 「ヌメノーリアンはまるで人間のような姿をしており、人間のようなフリをして人間の中に紛れておる!人間狩りにいく時には、よくよく気をつけるのじゃぞ!」
「ヌメノーリアンは約束など守らない。しかし契約すると必ず遂行するそうじゃ。だからといって、けしてヌメノーリアン等と契約してはいかんぞ!?どのような甘言であろうと、けして耳を貸してはいかん!きゃつらとは絶対に取り引きをしてはいけない!取り引きの対象は金品や命ではないのだぞ!?なんと魂をとられるそうだ!魂をとられると悪魔の仲間になり、未来永劫に彷徨う事になるのだ!おお、なんと恐ろしい話じゃ!いかん!いかんぞー!」
「エレンディルだと!?どこで聞いてきた!?そのような邪悪な名を口にしてはならん!司祭様!この子が悪魔の名をおおお!(泣)」 「エルフの言葉など聞いては耳が腐るぞえ!スゴイ声じゃ!鼓膜が破れる!」 「エルフ等はなんとフラワーの匂いがするそうじゃぞ!?おえ、気色悪い!想像しただけで吐きそうじゃ!しかも木の葉で冠をつくって被ったりするそうじゃ!」 「一体なんだってそのようなオゾマシイ事を!?」 「悪魔だからじゃ!」 「なんという不気味さ!恐ろしい奴等じゃ!」 「さて人間を食う前に我らが父なるサウロンに食前の感謝の祈りを捧げねばな!」
と、まあざっとこういう感じだろうと思うんだけど。
フロドとの当初の会話で、馳夫が「見かけは悪く感じは良い」だなんて、悪魔というものは、「見かけは悪く、感じは良く、心は悪」なのだ。騙されてるよ、フロド。 メリピピをどうするかでもめているオークとウルクハイの会話なんて、まるで子供の喧嘩で、まさしく「ピュアソウル」だ。「見かけは悪く、感じも悪く、しかし心は無垢」だよ。これこそが善人というものだ。
二つの塔上1のボロミアに至っては、 『「ミナス・ティリスに行き、わが同胞を救ってください!」』
だなんて、あんた恐ろしい!ボロミアは悪魔に契約を申し出ているよ!血判を押しよるばい!
『「違う!」アラゴルンはそう言うと、かれの手をとり、その額に口づけしました』
ギャオ! まさに悪の烙印を押し、悪魔の刻印を刻んでいるところだね!
…ちなみに、これが映画では死んだ後なんだが、意味はどうあれ(異国は家族や友人同士でブチュブチュやってるが、確か江戸時代前などキスもなかった国の人間にはトコトン意味不明なんだが、表現方法や習慣が色々違うからな。私は「ほええ、よくわからんが、こういう時にもするものなのかー」と思ってて、なんも思わなかったんだが。まあそれは置いておいて)、死んだ後にしても何の意味もないと思うのは私だけなんだろうか?
原作は、「まだ生きている」からしたんだと思うんだけど。 実際は「アラゴルンが来た時にはもうとっくに死んでいた」という状況だって充分にありえたわけで、まだ辛うじて生きていた事が奇跡って感じだろう。 その奇跡をどう使うのか。 だがもう時間がないのは目に見えているんだ。言葉を選んだりかけてる時間も惜しい。長々と喋ってもボロミアにはそれを最後まで聞き、充分に理解する時間がない。話掛けてる真っ最中、最後まで聞き理解する前に、途中で息耐えるかもしれないんだ。「もンのすごく焦ってる」ってのは、わかる。
原作ではまだボロミアは生きている。だから「ボロミアに」伝えようという意図があるんだ。 その伝えたく、理解させたい事というのは、私は相変わらずわかってないんだが、「あなたは打ち勝ったのだ。このような勝利を収めた者は殆どおらぬ」事をだよな。要するに「だから心を安んじられよ」よな。若しくは、ミンスティリスがどうにもこうにも気になってるというのなら、後の事は「どうにかする」ので、とにかく「心を安んじられよ」よな。 つまり「心を安んじ」させたいわけよな。 で、読者の私にはサッパリわからないんだが、ボロミアは微笑んで死んだので、アラゴルンが何を言いたいのかがわかったらしい。ひょっとすると「いくら慌てて急いで焦ってるからって、重要な目的語をはしょった上に、適当に指示語を使うなよ。本人じゃないんだから、何を言いたいのかなんて解るわけないだろ〜」とあまりのアホっぷりに力が抜けて笑ったのかもしれないが、とりあえず心安らかにはなったようなので、一応通じたという事になる…のよな?
でも映画では死んだ後じゃろ?ボロミアへではない。 映画の方が流れと映像的に綺麗かもしれないが、意味がないと思うんだが。
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