非日記
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2004年01月24日(土) 捏造(3)

ソロンギルが先のナントカの戦で勝った後に姿を消したとかって設定が気になるのだ。ひょっとしてひょっとするとね、たとえばそれでもしも勝って戻ったたなら、王位をやるとかいう約束が密かにあったりとかあったんじゃないかとか。つまり、デネソールはソロンギルがアラゴルンだと知って、だからそうした約束を交わしたんじゃないかって事だ。

去る時に最後に睨んでいたのは、モルドールだという。ソロンギルは自分とサウロンを重ねたんじゃなかったろうか?とも思うのよな。略奪し支配し、しかしその対象をけして理解も愛してもいない。欲しいだけだ。

王位を継ぐ血統的資格をもっているソロンギルは、ゴンドールを理解できず愛してはいない。
何よりもゴンドールを理解し愛しているデネソールは、しかし玉座に座ることのことのできない執政家である。
そういう背景があって、そしてソロンギルは、そのような自分の内面的な問題で、その時、王位を受ける事はできなかった。だが王位に関する約定は執政家から受けており、そして誓約を果たしたので権利を得たともいえる。だから、モルドールから戻った時にアルウェンのところへ行って婚約したとか。
望めば王位を得ることはできた。だが自身がゴンドールの玉座に相応しくない事がわかっていたので、実際に玉座に座る事は無かったとか。

あるいは、こうも考えられる。
デネソールら執政家はソロンギルが血統的に実際に即位の資格を持ち、王位を望んだ時、窮地に立たされた。ゴンドールを理解していないソロンギルに玉座を渡すことはできない。だが、臣下である執政家である以上、拒否はできない。そこで、我々は良い、だがゴンドールの民はどうだろうとして、彼等を納得させる為の即位の条件として、できもしない事を上げたとか。たとえば、「サウロンを倒してくる」とかね。
そういう方が神話的だ。
生きては戻れないだろうと思っていて、一人でモルドールへ行くよう要求したとかさ。
デネソールはそうとあれば、ゴンドールの為に、王に背いたのだ。だから、彼は王の帰還を待たずに、ファラミアも巻き添えに自決を選んだのかもしれない、ともとれる。死地に追いやった王が戻れば、執政家は終りだ。

しかもデネソールとソロンギルは初めから最後まで一貫して反りが合わず、仲が悪かったとは言いきれない。小耳に挟んだところでは、ボロミアの名付け親になったのはソロンギルだというし。つまりその時点では、二人の間に深刻な確執はなかったと思われる。その後に、ソロンギルがゴンドールを離れるまでの(確か)二年の間に、ソロンギルがゴンドールを離れざるをえなくなる「何か」があったと思われるだろ。

ソロンギルが非公式に直接王位を要求したか、あるいは、エレンディルの末裔である事をデネソールが知り、「真っ当に考えれば、執政は王の代行であるから王位を渡さねばならない。だがソロンギルは武将としては優れていてもゴンドールの王には相応しくない」と思いつめたとか。
あ、これが一番ロマンチック…もとい、ドラマチックだな。

とすれば、デネソールが仮に正当な王位継承者が戻っても、もはや希望は無いのだと思いつめた理由も理解できる。奴が戻ったとて、どうなる?ミナスティリスが守れるかどうかわからない。仮に守れたとしても、その時には今度こそ、王に相応しくない者に玉座を渡さねばならなくなるのだ。王位継承者であることを明かして入場するのなら、対外的に。今はもう伝説になってしまい他の者は知らないだろうが、王として全く相応しくないことは、長子の名付けまで頼んだほど親しくしていた(たぶん少なくても友人であった)自分が誰よりもよく知っている。
「どちらにしろ、ゴンドールの精神は死ぬ」と思うだろう。

ソロンギルもといアラゴルンがゴンドールへ戻れず、戻ろうとしなかった理由も、そこにあったかもしれない。「王にはなれない事が決定的になったと思われた、だからアルウェンのところへ行った」とか。

「私はあなたが好きでした。それで王になりたかったが、駄目だった」と挫折を告白したんじゃなかろうか。そしてたぶん、アルウェンは「駄目ジャン。アホね、あんた」とは言わなかったんだろうな(苦笑)
その気概と気持ちを汲んで、「自分的には充分だ」とOKを出したんじゃなかろうか。それで婚約したとか。
追補編で臨終の際、確かアラゴルンはアルウェンを慰めて
「少なくとも、わたしたちは指輪を使わなかった」
と言ったと思うが、「わたしたち」と言うのなら、指輪を使うのどうのという話がアラゴルンとアルウェンの二人の間で以前にあったという事だろう。何の為に。結婚する為にアラゴルンが王位を継承する為にだ。どこであったのだろうと考えれば、その婚約した時だろう。
「結局、たとえ生涯いっしょにはなれないとしても、サウロンの指輪を使って権威と恐怖によってゴンドールの王座を奪うようなことはするまい」という誓いを二人はしていたんじゃないか。
とかさ。

そういう風に考えてみると、

やはり原作でもボロミアは重要なターニングポイントなきがする。ボロミアはアラゴルンに直接関わった事で、アラゴルンのゴンドールへの直接の動機と執着になっている。ゴンドールが王座に望んできたモノを見せたのかもしれない。
ボロミアはアラゴルンに、ゴンドールの民のゴンドールへの思いを見せた。そしてアラゴルンはボロミアを「旅の仲間」として、知性ではなく感情で理解した。
「ゴメン、ゴメンね!許してなんて…言えないよね」と言う絶望的なナウシカ調に、「もう良いのよ、何も言わないで!アタシ達は友達だった。今もそうよ!ずっとそうよ!」って感じじゃろ?(笑)

彼はもうゴンドールに固執し執着するゴンドールの民を、ちょっと苛々しても袈裟切り調に「アホじゃなかろうか」とは思わないだろう。それは切実で必死で命をかけ、裏切りであることを理解し謝罪しながら、悶絶しまくり苦悩の果てになお選ぶ、選ばざるをえないようなものなのだ。そして自分は、エルフではなく、そのような悲しく憐れで愛しい人間なんだ。それは物心ついた時からエルフの中で育ったアラゴルンの、エルフに対する劣等感を凌駕しただろう。エルフは美しく賢く素晴らしい、だが人間であることは惨めなことではない。そしてボロミアのような人間が生まれ育ち暮らすゴンドールは「イマイチあほの国」でなく、美しい国だ。

と、思ったんじゃないかな?わからんけど。
たとえ絶対に勝たねばならないところで負けても弁当に下剤を仕込まない理由がわかったというか。仕込みたくない気持ちと意気込みがわかったというか。「そんなに勝ちたいなら弁当に下剤を仕込めよ。本当はそんなに勝ちたくもないんだろ?」等と思っていたが、「おまえが下剤を仕込めないというなら、俺が密かに下剤を仕込む。もしもそうしても、それはおまえの為ではなく、何としてもおまえを勝たせたい俺の為だ」という気持ちになったというか。
ま、そんな感じで。
だってアラゴルンはサウロンと似たような手を使うだろう。油断や安心を操り、恐怖や妬みや疑心を煽り、欺き翻弄し、自分にとって最も勝因が高くなるよう望ましいところへ、敵が自ら動くように誘導しそそのかす。これが真っ白の奴がすることか?


ソロンギル時代にそうならなかったのは、彼にとってその時には、アルウェンに手の届く位置に立つことにしか、アラゴルンにとってゴンドールに意味が無かったからかもしれない。だが、指輪戦争時、アルウェンとは既に婚約している。アラゴルンがゴンドールに行くのは、既に「アルウェンの心を射止める為」ではなくなっているのだ。

アラゴルンが映画で言う、
「(ゴンドールの)民は待ち続けるだろう、帰らぬ君を」
と、原作での
「守護の塔はとこしえに北の方を見つめるだろう、世の果てる日まで」
は、非常に意味深長なきもする。ちょうど、ゴンドールの王座が永く空席であり、帰らぬ王の帰還が待ち続けられた事を思うと、それと呼応し、重なるのだろうきもする。ゴンドールにとってボロミアに代わる存在は空白のままになるだろうということだ。「たとえミナス・ティリスを守ることはできても、自分はゴンドールにとってのボロミアの代りにはなれない」と白状しているようなものだ。

ボロミアが若い時だか幼少期に、デネソールに「一体いつになれば執政家は王座につけるのか」と聞いたとファラミアだがか言った時、やっと「あら?」と思ったのよ。
私は映画版よりも原作の方が、かえって、ボロミアの死は重いきがし、ものすごく大切にされているきがしないでもない。映画の方が派手だが。
ミナス・ティリスに近づく程に、後からじわじわじわじわ来るのが。

ボロミアが死の間際に微笑むのも、アラゴルンが「ミナスティリスを陥落させない」と約束して、単純に「ならそうできるだろう」と信じたからではなく、そう口にするほどの内的な動機が生じた事を見てとったからだと思ったんだが。

ところで、ここで、アラゴルンがボロミアに言う
「違う。あなたは打ち勝ったのだ。このような勝利を収めたものは殆どおらぬ」
の意味を、ずーっと、ずうーッと、ずううううっと!延々と考えていたんだが(シツコイ)、いまだにイマイチよくわからないのよ。それでスルーしてしまったんだが。

何に打ち勝って、どのような勝利なんだ?
単純に、前をうけて「償いをした」という事に対してではない、きがして。気のせいだろうか?
しかし、過ちを犯すものも沢山いれば、その償いをしようとするものも捜せば結構どころか山程居るきがするんだが。それならば、アラゴルンは、ボロミアをゴンドールの帰還せぬ王と比して同等ともとれるまでの弔辞を述べはしないきがする。
もっと、普通に考えたら困難極まりなく、すんごい事!なんじゃないんか?と思ってしまい。
私が考えすぎなんか。

それでも、そうして色々考えたんだが、
原作のボロミアが映画のボロミアと決定的に違うのは、その最期まで、「指輪は絶対に使ってはならない」とは考えていない点のようなきがする。映画では、使うべきなんじゃないかと迷いつつ、最後は、「やはり使うべきものではなかった」と納得し、指輪に翻弄された自分と最初から最後まで指輪を無視したアラゴルンを比べて、彼を王と認めた感じになっている。

が、原作では最後の最期まで、自分では「それで守れるならば、黙って滅びるぐらいなら使ってみるべきだ」と考えているきがし、アラゴルンもそれを認めているきがする。「フロドから指輪をとろうとした」と聞いても全く驚いておらず、カスも責めてないからな。まあ、今さらやっちまった事を責めたって、覆水盆に帰らずショガナイってのもあるが。

ボロミアは皆が「駄目だ嫌だナラン」と言うので「そうかい」と我慢していたのであって常識的で良心的だ。アラゴルンは端から、言うなれば自分の「恐怖心と我侭」で使いたくなかったし、指輪を使いたいと思いつめるほどゴンドールや中つ国の現状を(少なくてもボロミアほどは)憂いていたとはイマイチ思えないので、あれは立派とか言うほどの事じゃない。
現に、ボロミアの死後、ミナスティリスを守ると明言した後は、指輪に近づこうとすらしていないしな。
アラゴルンがボロミア死後、フロドを追わないとウンウン唸って決断したのには、その辺があるきがする。指輪を棄却するフロドについていくと誓約した時点では、アラゴルンの指輪へ求心の動機は薄かった。一つの指輪をもっても、アルウェンはそれで自分を恐れて従わせることができるかもしれないが、愛しはしないだろうしな。アラゴルンの根源的な動機とは直接結びついていない。
だが、今となっては、そうではない。フロドへの誓約を守りたいという気持ちは「あの指輪さえあれば」という気持ちが姿を偽ったものでは絶対に無い、とは、自分でも言い切れなくなったのではないかって気がして、自分が危険になったからやめたんじゃないかと思ったんだが。

そのへんも、ボロミアの告白を聞き、最期を看取った後で。「ボロミアと同程度ほどもできるかどうかすらわからん」と自分を全然信用しなかったんじゃないかってきがする。
あれの稀なところは、普通よりよほど臆病なほど慎重でありながら、ひたすらそうかと思えば、何を思ったか時々、突如普通ならせんだろう思い切った事をイキナリするイマイチ読めないところなんだろうな。

そして、ボロミアはアラゴルンを「自分より優れている」ので「ゴンドールの世継ぎ」として認めた等というより、アラゴルンの中にアルウェンを介さない独立したゴンドールへの執着?が発現したことで、自分の「志を継ぐ者」として認めたというきがする。そこが原作と映画のものスゴク違う点のようなきがして、原作の方が好きなところなんだが。
優れている点でだけならば、ソロンギルも王になれたかもしれないんだ。だがソロンギルでは駄目だった。

だってあんた、大体、そんなポっと出を簡単に認めて椅子を譲ったら、今迄の執政家は一体なんだったんだーとか思わんか?常識で考えれば、思うだろ?
子供の頃に「いつになれば執政は王になれるのか?」と聞いたようなボロミアが成長した気持ちは、間違いなくこう↓だったと思うね。
「千年も二千年も自国をほったらかしの王族なんぞ知ったことか!とっくにどっかで野たれ死んどるわい!てゆうか、野たれ死ね!たとえ頭上に王冠が無くとも、それがどうした!?心は王じゃ!」

アラゴルンとボロミアが道中割りと仲良くやれてるのは、ボロミアの常識的な判断のおかげもあるが、それもあるきがする。会議の時から。
だが、だからこそ、ゴンドールへの思いはボロミアが「一人で」背負うことになった。
「陥落寸前まで来ているミナスティリスをなんとしても救いたい」という気持ちは、指輪とは無関係だ。権力とも。だが「指輪を使えば、それができるかもしれない」という思考は理論的で筋も通っている。たとえ危険であったとしても、意志が強ければ乱用を抑えることは可能ではないか?と思うだろう。事実、確かデネソールは使ってはならないとされていたパランティアを使っていたきがする。そして彼は遂にその最期まで、少なくともサウロンには屈しなかった。
そこには希望がある。使ってもみないうちから「駄目。無理」なんて臆病者の考えじゃないか?
だが皆が「使用してはならない」と言い、従うと言った以上、指輪を奪うことは、裏切り行為だ。

アラゴルンが「打ち勝った」と言い、「このような勝利」と言ってるのは、ボロミアが、「ミナス・ティリスを見捨ててでも、ボロミアという個人の誇りと信頼を守りたい。卑劣な裏切り者になるのは嫌だ」という私欲に打ち勝ち、自分の株を上げる事だけを考えはしなかった事と、しかも、だのにそれが、自分の中に初めからあった「ミナスティリスを守りたい」という思いと全く同じ形をしていながら「違う」と気がついた点。「たとえ皆を裏切り、自分が汚名をかぶっても」とそこまでやりながら、なお「だがそれは間違いだった」と認めた事についてではないだろうか?とも思うんだが。
「どんな事をしてでもミナス・ティリスを守りたいという気持ちは確かに自分のものだった。だが、指輪を奪おうとした時の激しい感情と動機は自分のものとは言えなかった」と区別できた。だからこそボロミアは直ぐに償いをしようと行動できたんじゃなかろうか。償いは、指輪を使いたいと思い手に入れようとした事に対してではなく(それならば彼は最初からそう明言していて、最後まで指輪は使うべきではないとは言わない)、指輪の力の「誘惑」に翻弄され、フロドを裏切り恐怖させた事に対してだ。
中国の格言に曰く、王は過ちを認めれば直ぐに正すが、凡人はそうではないそうだし。
どうだろうね。

いまだに、「打ち勝った」と「このような勝利」が疑問に包まれている。
わからん。何に打ち勝って、どのような勝利だ。


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