非日記
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2004年01月17日(土) 堪忍袋の緒がキレる日まで。

映画指輪王「旅の仲間」>
解釈は我が道をいくが、ガツンとネタバレだ。
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映画「旅の仲間」で、ガンダルフが落ちた後、アラゴルンがロスロリアンでギムリを小突く気持ちは以前からよくわかるきがしていたが、最近、もンのすンごくッ!よく解るようになった。まるで我が事のようにビリビリわかるきがする。
「私ぐらいおまえのその気持ちが解る奴はいないであろう!」とまで思うようになった(勘違い)
何故アラゴルンはギムリを小突いたのか、ここの解釈は幾つかあるようで、
(1)下手な詩を読むサムにムカついた
(2)皆が悲しんでいるのに寝ているギムリにムカついた
等が二大解釈のようだ。
が、真実は似て非なりだと思う。私は人に聞くまで(1)は思いもしなかった。

私が思うには、アラゴルンはギムリのように寝たいのよ。
が、自分もガンダルフの死を寝ないで悼まねばならんような気がし、しかも自分はガンダルフを好きだったので悼みたいのは山々なので、寝ようにも気持ち良く寝れないから、しかたなく起きている。
しかし生理的欲求があり、ものすごく寝たい。しかも葬式のような静寂と、言うなれば読経のように猛烈に眠気を誘うエルフの鎮魂歌付きだ。
誰かが寝ようと言ってくれれば即座に「そうだそうだ」と寝れるのに、しかし皆、はやく寝ようとは誰も言わん。何故!?精神的にも肉体的にも疲れ果てているはずだのに何故皆すぐに寝ないのか!?
そこで
「皆に付き合って私は起きているのに、なんでてめえは寝てるんだよ!?私だってエルフや皆のように睡眠も忘れて死を悼むか、死を悼む事なんかチャンチャラ忘れて爆睡したいんだよ!良いよな、おまえは!ガンダルフとはちょっとしか知りあいじゃないから!」
という世界への苛立ちで、「ちょっとぐらい殴ったってわかりゃしねえよ」とギムリに思わず八つ当りしたんだ。きっとそうだ。
私には続きもわかる。
奴は居たたまれずに天幕を出たのだ。
誰にも邪魔されずに一人でガンダルフの事を考えることができる場所か、ウツラウツラできる誰の事も気にしないで良い、他人の感情が最小の場所を捜して。
いや、それよりは、「ものすごく眠たいのに我慢して必死で起きているだろう、常識を気にする良心的な奴」、そう!ボロミアを捜して!
「奴はきっと眠たいに違いない!同じ人間だから!しかも、ボロミアはガンダルフとはちょっとしか知り合いでないから、そんな全く眠くないほどは悲しんではないだろう。おまえが寝てくれれば、俺も寝れるんだ!ガンダルフと皆には悪いが俺は眠いんだと正直に言ってくれ、ボロミア!俺は許す!」
と、心に救いを求めたに違いないのだ。

ア「休んだ方が良い。ここは守られている」
(心の声:本当は眠いんだろう?皆には黙ってるから正直に言え)
ボ「俺は休めない」
ア(心の声:なんでだよッ!?おまえもかブルータス!)
ボ「奥方の声が〜云々」
ア(心の声:おまえはそっちかよ?!神よー!)

言うなれば、
電話がかかれば
「何にもする気が起きなくて…」
で、それも道理だろうよとグスグス泣くのに一時間付き合い、電話を切って一息つこうと思ったら今度は老人の襲撃を受け
「私は一体何の為に生きてきたんでしょうか?」
と泣きながら言うのに、「知るかよ!俺に言うなよ!」と思いながら、忍の一字で延々と付き合うようなものだ。
ああんもおおおうんンッ!
もうううううううううううううううううん!
…でも落ち着いた(18日)


それはともかく、しかし、原作ではガンダルフは自分が一度死んだとハッキリ言ってはいないのよな、確か。ものすごくヒドイメにあって思い出したくもない頼むから思い出させるなとは言ってるが。
映画ではヒドイメって感じじゃないのよな。ハッキリバッチリ死んで生きかえったなら、もう一回二回三回死んだってまた生き返るかもしれないので、私が慮ってみたアラゴルンの思考はありえない事になるだよ。
ヘルムの丘上に現れるのをみると、旅の仲間の冒頭で
「魔法使いは遅すぎも早すぎもしない」
と言ってたのは伏線だったのか?と思われるが、じゃあファンゴルンの森まで出てこなかったのには、そこまで全部そこでは戻ってるわけにはいかない理由があったんだろうな?と思ってしまい、また面倒なことに。
面倒なことにしてるのは、いつも私か(苦笑)


やぐちまさき |MAIL