非日記
DiaryINDEXpastwill


2003年12月20日(土) またひとり。

社員が消えた……。
呪われてるッポイ。

ところで、
大家さんがナゼに、数日の一度という私の血管をブツ切りにしかける頻度でやってきて、しかも昨日までに至っては四日も連続で私を叩き起こしたのかという謎について、人様に熱くお話ししたいのだが、こういうところでお話ししちゃ駄目なのよな、やっぱり(苦笑)

内々、他人の事情(及び我が近接地帯に関しても)は

1)誰の事かまるで解からない全くの他人への場合、「昔、あるところにある人が居た…」調で話せる場合は話して良し。
1’)要するに、話した相手に誰の話かわかって、聞いてしまったが為に感情的問題が生じる可能性がある場合で、特に先んじて好感を抱いている場合は駄目。聞いたら敵意が和らぐかもしれない場合で、「好きになれば良いのににゃ」等と常々思ってる場合は独断と偏見で自己責任に於いて「呪われろ」とGOサインを出す。

2)本人が相手を選ばず話しまくっている場合は、了解を得ず話して良し。
3)「生涯、誰にも言うな」と止められてない場合、もしくは撤回された場合、特に「別に良いよ」と言われてたら話して良し。
4)「話そうとすると、歯を食いしばってしまったり目つきがギラギラに変わっていくのが自分でわかったり」しないなら話して良し。

…などなど、色々細則があって、照合の結果「これは話して良いだろう」と思われたら、一応責任をとるつもりで話すのだ。

大家さんの話だが、
するとこれは最近の事であり、しかもかなり個人情報に深く関わり溢れた話になり、何かこういうところで誰も彼もにベラベラ喋らない方が良いような気がするのだ。
ただ、

「ふざけんなボケ!死に晒せアホ!」的に応対しなくて良かった…
苛々を気合で限界まで堪えたのは良い判断だった
「優しいわね」と言われても、「そんなんじゃないやい」と信じて我慢した私は間違っていなかった…
ありがとう、ありがとう、私☆

と思ったのは確か(笑)
「知らなかった」では済まないのが人生なのだと、推理小説などで犯人が「そんな!」と愕然として号泣するEDを読むとわかり、「全く気づきませんでした」では済まないのが人の心なのだと、自死遺族の手記などを読むとわかるのだ。
フー、やれやれだよ。


親には「まあ話し相手にでもなってやれ」と言われるものの…、

話し相手ッ!?

…それは、私の最も苦手とするところ。私は人の話を聞くダケと、自分の方が話すダケなら比較的得意なのだが、井戸端的世間話とかはちょっと難しいのよ。
つーか、私は今、貴方がたの話相手をするだけで生気を吸い取られてるよ(苦笑)

話し相手といわれても。
私「しかし私も気が短いからねえ」
親「あんた、家を出てから自由を謳歌して気が短くなってるだろう」
私「そうみたいよ」
親「僕は我慢強くなったろう?」
私「はっきり言って、なってるね」
親「二人っきりだから、誰も止めてくれないので自分で止めるしかないんだ」
私「昔は私が止めてたけどね、今はもう私の方が先にキレるかもしれんよ。安らぎを謳歌しすぎた弊害だ」

という具合だし。

ところで映画「二つの塔」の業火版をやっと購入して、本編をざっと流した。言いたい事があったのを色々思い出したが、とりあえずもう寝なきゃ。
ひとまず、
ガンダルフにはストレートよりウェービーの方が断然似合ってた。


やぐちまさき |MAIL