非日記
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風邪ひいたのが悔しい。 「楽しんでくれ」と言われたが、とても楽しくない。
あれこれ> 「私、あんまり痩せてる人は、なんだか恐いんです。もちょっと食べた方がよくないですか?」 と余計なお世話的に言ったところが、とても痩せてる同僚は 「こー…、夏なんかにTシャツなんか着ると…(我ながら)とても貧相なんですよね」 とおっしゃった。グッジョブ!良い表現だ。なるほど、その単語があったわ。さすがは文系だ。「漢字の書き取りは得意」と言うだけある。 現代はネフェルティティの胸像に影響されたか知らんが、バリバリの痩身美時代なので、「恰幅が良い」「福々しい」や「貧弱」「貧相」などという言い回しや単語は、めっきり聞かなくなった。
「サイズがなくて、女物のズボンをはいてみたりするんですが、すると丈が足りなくて困ります。形が微妙に違うし、弱いし。」 「ハッハ!お尻が膨らんでるんでしょう。数年から一年ぐらいで当然買い替えるように想定されてるので、ジーンズでも生地も弱いんですよね。サイズ無いと困りますよね。最近はこんな感じで皆細いのに、私なんか由緒ある土偶スタイルなので、こういう体型だと、ここまで着て、この場所、ここで引っかかるワケです。それで困ります。」 「ハハハ!なるほど」 図説で解説。仕事もせず、私達は何をしているのか? いや、彼は遂に辞める決意を固めたので、私も覚悟を決め、最後の交流を温めているところだ。
買い物してきたお客さんとお話しをする。 客「ちょっと見てゴラン!こんな文庫本二冊で二千円もしたよ!信じられんね!」 同「僕も此間古本屋で買いましたが、元の値段を見たら一冊二百八十円でした」 私「私が若い頃は、文庫本なんか皆二三百円で並んでましたもの」 客「甘い。僕が若い頃は文庫本といえば八十円だった!」 同「おー!」 私「それは本当に良い時代でしたね」 客「歳を感じる」 まだ文化が書店にあり、娯楽が映画館や劇場にあった黄金時代だな。 今の本屋は実用と娯楽だから。
何故か同僚は「何故僕はこんなに映画を見ないのだろう」と憂いているのだが、見なくても生きていける。娯楽は映画だけではない。 同「でも友達皆が当然見てるものも見てないんですよ」 私「だけど、自分が見たくて読みたいものを見て読んでたら、しかも皆が見て読んでるものも見て読んでたら、スッゲー大変ですよ?時間が幾らあっても足りないでしょう。」 同「そりゃタイヘンでしょう」 私「それで私、ハリポッタなんかはスゲ頑張りました。面白いと思い始めるまでが苦闘の歴史でした。」 同「ハハハ」
実は私は、小説の方が読むの苦手なのだ。 人「沢山読んでるよね」 と人に言われる事もあるが、大間違いです。子供の頃はいざ知らず、私は本など殆ど読んでない。 人「普通読んでないのを読んでるよね」 うんまあ、それは言えるかも。それで語れないねん。 読みたい本だけ読んでいたら、とんでもない方向に行くのだ。 おそらく、「人の心がわからんちん」度に関わりがあるのではないかと思われる。小説でも推理小説と恋愛小説は早い方だ。普通の小説は、なんと恐ろしい事に、何故そんな行動をとるのかが不明な事があり、すると苦しみ悶えるのだ。
ちなみにハリポッタで一番わからないのは、ハリーだ。最初の20ページで既にわからなくなった。よって私はハリーについて殆ど語ってないはずだ。 読むのが大変辛かったのは、ハリが何考えてるのかわからないのに、物語はハリ視点ですすむ所為で、ハリが私の読書の邪魔をしたからだ。 三巻はシリウスがいてわかりやすかった。 視点で言うなら、「俺様」視点の方が読みやすいに違いない。よって四巻は入りやすかった。出だしでウキウキした。 何考えてるのか全然わからないので、「ハリはこんな感じなんだろうか?」すら書けない。ハリが虐待?されて育ったせいで、物凄く悲観的で自己否定的で嫉妬深く疑い深く排他的で人間関係に山程問題を撒き散らしながら、ホグワーツに入学したことによって、変なのは自分ではなくダーズリー一家であるという視点の変換を得て、ゆるゆる改善されていく。その自己肯定感が成長し成熟すると共に(その途中で今度は慢心してみたりとか)、魔法使いとしての能力が開花していく…とかだったら、もっとずっとわかりやすくて入りやすいんだが。 そんで、ヴォルデモートは、そんなハリーに対しての、ハリーのようにならなかったハリーとして、対抗馬として登場するわけよ。 そうすると、最終的に、ハリーはヴォルデモートに共感しながらも、ヴォルデモートの原理や行動を否定するという形で、精神的に彼に勝つんではないかという気にもなれるんだが。 これで最後、気絶してる間に勝ってたら笑うだよ。 もしも、ハリーがヴォルデモートに勝つ根源的な理由が「ハリーは母親に愛され、ヴォルデモートは愛されなかったからだ」とかになっちまったら…、あんたそんな事になったらどうする?ヴォルデモートがあまりに可哀想すぎる。 もしも「もう一人のハリー」としてヴォルデモートが位置づけられるのだったら、ヴォルデモートは自分が選ばなかった道の先としてハリーに対抗し(ヴォルデモートが現在の自分を肯定する為には、ハリーを見過ごすことはできないので、しつように狙い続ける理由もより重層的になり堅固になる。)、そのハリーが自分に勝つ事によって「そのように生きる事もできた」と報われるところもあるんだが。 それはただ、見る事のできなかった夢、辿る事のできなかった道であり、個人としての先天的な能力や本質にはかかわりのなかった事として。 自己責任のないところで、悪として生まれ、敗者として死ぬべき者がいて、その事実が肯定されるなんて、そんなあなた、児童書で良いのか?ヤバイんじゃねえの?
これはもうピーターにでも「ヴォル様に栄光と勝利をぉおおお!」等と自らの意志で庇ってもらうしかない。 「全てを裏切った僕でも、彼は受け入れてくれた。皆、出来の良い中で、一人駄目っ子の僕の気持ちなんかわかってくれなかった。何を言われてもされても従うのが当然という態度で、彼等といっしょにいればいるほど、僕は劣等感と屈辱で気が狂いそうでした。離れようとしても、友達だから等と言って離そうとしない。彼等と僕は本当の友達などではなかった。彼等は僕をお情けと憐れみで友達にしてくれていただけだ!まるで自分達の度量が広い事を誇るかのように!自分達が危なくなった途端、僕を手ごまにしようとした。餌で釣り、恐怖で縛るやり方でも、ヴォル様だけがいつも僕に居場所をくれた。駄目さ加減をも肯定してくれた。ヴォル様はいつも悪で、酷くて、冷酷で、家庭内暴力イッパイで、ビシビシ容赦がなくて、僕の腕もなくなったけど、でも戻してくれた。ヴォル様が嬉しそうだと、恐かったけど僕も嬉しかった。ヴォル様のどこまでもとんでもなく前向きで、たとえ死にかけても諦めない硬度一級ダイヤモンドのように強硬な自己肯定の姿勢に、この人はスゴイ人だと、どんなに憧れた事か!ヴォル様は、ヴォル様は僕の、シャイニング・スターでした…ガク」とか。 ピーター、シッカリ!目を開けろ! たとえハゲチャビンでも微笑んで!
うわ、ヤバイ 感動して泣けてくる(笑)
しかし、誰もそんなわかりやすいのは読まないかもしれないな。 苦しみのあまり、ハリドラに走ってアサルシに走ってシリスネに走ったぐらいだ。 逃亡三段落ちって感じ。
今年のクリスマスにはハリポッタの映画が無いのだな。なんだか変な感じ。 ここ二年のフィーバー風潮で、「ハリポッタはクリスマス映画。クリスマスにはハリポッタが上映される」という感じがモロにしてたのに。
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