非日記
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日記に書く事が無い。
「好きな人が、できマシタ☆」
と、耳すま調のまま(苦笑) 気がつけば、フランスの本がジリジリ増えてたりとか。 いや、違う。違うんだ。私が欲しいのは、フランスの地図だ。
「またあったな、饗庭」状態で、皮肉な笑みに。 密かに欧州ファンだった小中時に、饗庭孝男の「フランス四季暦」を町立図書館から借りて来て、内容もろくに読まず、「アハン、ステキねえ」と写真ばかり眺めていた事がある。その時には、「カフェのこと」ぐらいしか読まなかったはずだ。 件の図書館には「秋から冬へ」編しかなかったのだが、我が家には十数年を経て、とうとう「春から夏へ」編と揃って蔵書になってしまった。 「ロワール古城〜」は前からあるし。「何よあんた、随分良いモン持ってんじゃねえの?出しな、おら」と思っただよ。 結局好きなんだろう。石と光のヨーロッパが。雰囲気が。
思えば、J子はフランスが好きだった。いまだに覚えてるフランス語は「ボンジュール」だけだが、それも彼女には彼女の言い分があった。フランス語の先生がパリ帰りで、いつもあまりにオシャレで素敵で、その服ばかりを眺めていた為に、講義の内容は見事に耳を素通りしていたそうだ。
しかし、私の場合、大学のフランス文学の先生は「パリ帰り」どころか「墓帰り」みたいだった。深夜密かに、狼の遠吠えをBGMに、トネリコの木の下に穴を掘っていても私は驚かなかっただろう。だが仮にそうしても、埋めるつもりのものは、タイムカプセルや宝箱ではあっても、けして死体や犯罪の証拠などではないのだ…という事が、受講すると判明するのだ。
そこはかとなくフランケンシュタインを彷彿とさせる雰囲気で、メチャメチャ陰気な調子で、だのに喋る内容と言えば「このロマンティックな…」だのなんだので、面白くて仕方なかった。 この人は、しかし頭の中はロマンティックが数多の論文になって溢れんばかりに渦巻いているのだと、「詩や文学は顔やスタイルじゃない」と実感をもってよくわかったのが良い経験かもしれない。「この頭の中に今このような言葉が沸いてるのか」と、いつもその不思議な様子を観察に真面目に講義に通い、その不思議な感覚の中で真面目にノートをとったもの。 皆、鼻を啜る音さえ耳につくようなあまりの静けさと永遠の眠りを誘う陰気さに寝こけていたが、私は案外面白かった。人文の講義は敬遠してギリギリしか取らなかったのだが、あれをとって良かった。 教授は「自分の講義が全く面白くないなどと言う事は、俺は言われずとも分かりきってるのだ」という様子だったが、割りと面白かっただよ。それは私が小学生の時に「おまえにはわからんだろう」と言われた所為で、元から「本当に私にはわからんのだろうか、永遠に」とランボーに根深い好奇心があった所為かもしれないが。 少なくても、フランス詩はフランス語で読んだ方が良い事はわかったきがする。音の美しさが違う。 「フランス語はジュビジュビ言うから好かん、ゴホゴホ言ってる方が良い」とフランス語を端から倦厭していたが、たとえフランケンシュタインの口から出ようとも音楽的だ、と思った。 あれは演説向きの言葉でないね。囁くべきだ。
人が一生懸命ノートを取っていると言うのに、最前列にいなければ殆ど聞き取れないレベルの声で、ボソボソしか喋らない教授が、朗読する時だけ僅かに元気になり、ちょっぴり活き活きするのも見てて面白かった。たとえ自分の講義には自信が無くても、自分が講義している対象が素晴らしい事には漏れんばかりの自信があるようだった。「…好きなんだな」と思って、お気に入りだった。
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