非日記
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2003年06月26日(木) ひさしぶりに晴れた。

久しぶりに晴れた、きがする。もろめちゃ清々しい。良い匂いがする〜♪
庭にはキキョウ、私の好きな花だ。もう一種変な形の奴、私の好きな花だ。
変な形の奴は、白くて青みがかった紫色だ。房のような花が沢山、先を結んだようなラッパを束ねたようについていて、全体に丸みがかって見える。すっと背が高い。葉と茎は無論鮮やかに緑。風船のように重そうに丸く、ふわふわと軽そうだ。
関係ないが、トランペットって形が百合の花に似てるよな。

芝が朝露で濡れ(注:寒くて目が覚める)
これ、裸足で歩くとタイソウ気持ち良いのよ。子供の頃は神経過敏で(今もか?)芝がチクチクするのが嫌いだったのだが、年取ると「ベルベットのよう。フカフカ」とうっとりするようになった(笑)

近場の公園。暫く前からずっと、一面シロツメクサで覆われてる。花や草を、意味もなくブチブチ千切ってポイ捨てしていたような子供だった私は
(人は思春期を経てひねくれるらしいが、私は生まれた時から既にグレていたので、幼少期から花を見たら興味津々「なんだこれは」と摘まんでいた)、目的地まで楽しく「死ね☆」「死ね☆」と踏んで歩く。
童心にかえるよ。「妾のお通りじゃ」と女王さん気分だ。
振り返ると足跡がついていて。思わず笑ってしまう。楽しいね。

先日、初めて「佐賀県」を聞いた(笑)
こういうの好きだ。楽しい。佐賀駅って、どこにあるかわからんのよな。
学生の時、電車に乗ってて居眠りしてしまったり、テストがあるからこのまま逃げようかしらんと考えてると、そのうち佐賀県に入ってしまうだろう、何故か
「このままどこへ行ってしまうんだろう…?」
たいそうドキドキさせられるだろう不安に脅え、つい、「私はそんなに活動的じゃない!流されて、その日暮らしに生きるんじゃ!零点で行こう」と諦めがついたものだ。

いや、その前に、海にサンライズしたりサンセットするのをボンヤリ眺め、薄明るい無人駅(近隣に民家すら見えず)にガッタンと止まるのに揺られながら、遥か夕闇の向こう、対岸に基地が大都会のように光輝いているのを見ると、何故か
「…美しいな。大丈夫だ」
って気分になったものだが。

「フフ。だがうちの田舎も負けてないぞ!」と密かに対抗意識を燃やした
(アホだ)
バスは一日二往復で、親父が子供の頃はバスなど一本も無く、病気になったら片道四時間往復八時間、歩いて町まで薬を買いに行ったらしいからな。「それって死んじゃう?」と思っただよ。
「隣の家の嫁さんは、その隣の家の嫁さんの姉ちゃん」というような限界までの狭苦しさだった。「えーん、もう許して」って感じだ。四代前の駆け落ちが今だに「あの上(カミ)の家とは本当は親戚のはずだったのだが、駆け落ちした際に勘当され親子の縁を切られたのだそうだ。身分違いだったらしい」と語り種だぞ。それが僅か四代前てのも、よく考えたら凄いきがする。
田舎ってスゴイな!全くな!

でもそんなスゴイ田舎でも天皇が昔、行幸したらしい。道の端にボロボロの木の柱がポツネンと立ってて微かな文字を判読すると「ここを後醍醐天皇(だったと思う。違ったら醍醐天皇だ)が行幸した」と書いてあった。他に特別華々しい異常事態が何一つ無かったんだろうな、それ以来(笑)「通過しただけだろ?しかもいつの話だよ?そんな事、今だに誇らしげに書いておくなー!」と思っただよ。なんと歴史学者に親切な地か。
あんまり面白いので、帰るたびに暇つぶしに「まだ立ってるかな?」と見に行っている。ちょうど、その先は道が山に入り込んで獣道になってしまうので散歩の終点にしてたのだ。

もう何年も帰ってないが、今頃はもっとバスの本数も増えてるだろうかな。便利な世の中になったし。…でもあそこだからなーと思ってしまう。


平井堅の「Life is…another story」を聞いた。
なんか良いわね。


やぐちまさき |MAIL