非日記
DiaryINDEX|past|will
寒かったり暑かったりで、お脳は疲れ果てているもよう。 仕事場では真冬の服装をしている私。だって寒い。冷房が寒い! 体の方は体内時計で夏仕様になってきてるのに、冷されては溜まらん。心の準備…もとい、体の準備ができてないわよ。 夏場に台風で葉を全部落とされ、「ワテの葉っぱがなくなった!何!?冬!?冬なのかッ!?」と勘違いして「じゃ、そろそろ春?」と真秋に花咲いてしまった某桜のような事になったらどうする(昔目撃した。奴等暦をもってないからショウガナイのだ) 某桜は、おかげさまで、本番の春には体力?が足りず、超ショボイ、お情け程度の満開加減だった(一応、「え?また春?」と気づいたらしい)私は「脳の無いものでも騙されたり間違えたり勘違いするんだなー」とおかしくてたまらず、通りがかる度に噎び笑い(失礼な)、指差して「ほらコイツ勘違いしてるの!」と人に教えて回りつつ(余計な事するな)、「気にするな。誰でも間違いはある。生えてさえいれば、来年があるさ!」と親しみを感じた覚えがある。
何故か突然ハリーポッターを読みたくなったので頑張って読んでいる。 しかし読みたい気持ちが先走って進まない。 いや、もうじき五巻の発売だから、それまでに四巻までとは思ってるんだが。
それに、古本屋で私の大好きだった児童文学を95円で発見したのだ。読んだ事はないが大好きだ。よってハリポタを読んでから、それを読もうと気持ちが急いている。急いているので進まない。 何故読んだ事が無いのに大好きかといえば、大好きなエピソードがあるのだ。それは私が小学生の時の、確か五年だ、国語の教科書に載っていたのだ。 購入して一読バカウケし、「今年の教科書最高!」と大喜びし、何度も読み返し、その授業を楽しみにしてたのに、授業では物凄くサラっと終って、テストにも出ず、「こんな面白いのに!」と私は密かにふてくされた。 授業中も、真面目に授業を聞いているフリをしながら、授業がなされているのとは全然別の、そこを読んで楽しく過ごした覚えがある。いつも授業中に隠れて本を読んでいて叱られていたが、こればかりは同じ教科書だったので誤魔化せた。 私と国語の先生達は、どうも趣味が合わなかった。
私は図書館でその元の本を見つけられず、勝手に「エミール」と同じ作者かと思ってたのだが、どうも違った。 ノーソフの「ヴィーチャと学校友だち」だ。 これの、「ひとりで解いた問題(岩波少年文庫版 福井研介訳)」という章が教科書に載っていたわけだが、当時の私にはこれが最高に面白かった。バカウケ。 十五頁ぐらいなのだが、バカウケ。
算数の苦手なヴィーチャ少年なのだ。妹に「宿題を手伝って」と言われ、とうにやったのだから解けるに決まってると思って問題をチラっと見たところが「マズイ…わからんかもしれん」と青くなり、「わからない」となれば、妹に激烈馬鹿にされ「いつも威張ってるのに兄の沽券に関わる」と自身の想像で恐れ戦き追いつめられ、「兄ちゃんは今忙しいから後で教えてやらんでもない」等と偉そうに言訳をして妹を追い出した後、ひとり必死にたった一つの問題に延々取り組むのだ。 で、 「そうか、なんだ簡単じゃん!こうだろ?」と答えを出し、答えあわせをしたところが、…間違い。「何故だ!?僕の何が間違っている!?」と七転八倒四苦八苦する苦闘の物語だ。
彼の赤裸々な心の動きがシリアスだのにコミカルで、問題の意味を理解し順を追って解いていく様子が推理小説みたいなノリで物凄く面白かったのだ。何しろ、当時私は特に探偵小説と推理小説に特に夢中で(しかしこの頃読んだ「黄色い部屋」なんかの古典のトリックは殆ど忘れた)、愛読書は落語であり(「目黒のサンマ」が特に好きだった気がする)、そろそろ「あしながおじさん」やらの淡々とした面白さに目覚め始めていた頃だった(小学一年生の頃は面白くなかった)ので、ポンポイント・ヒットだったのだ。
ちなみに、この頃以前から大好きで、この好みに影響していて、今も大好きで、しかし今本屋で見つけられないのは、今江祥智の、ノートルダムという名前の猫が出てくる「どしゃぶり猫」という話だ。 目がノートルダム寺院のステンドグラスのように美しいので、そんな名前をつけられた…のだったと思う。そんな優美な名前にもかかわらず、拾われた時に雨だった事を覚えているのか、他所の猫と違い、雨が降り出すと浮かれ出し、外へ飛び出して泥だらけになって跳ね回る…そんなノートルダムのおかしな癖を飼い主の視線から見た短編なのだが、 これがめちゃめちゃオカシイの!私、泣くほど笑ってヒーヒー言わされたわ。 言いまわしとか、文の運びとか、物凄くおかしかった覚えがある。 ノートルダムが外に出してくれと騒ぎ出す時の窓ガラスを叩く音は「タムタムタム…」なのだったよ、たぶん。そんで窓を開けてやった途端「バーン!飛び出す弾丸」等と書いてあったように思うよ、確か。そういう比喩の使い方だとか、おかしくてたまらなかった。
「どしゃぶり猫」は猫好きには特にたまらん一作。同じ本に、自分を人間だと思ってる(らしい)猫の、やはり飼い主視点からの短編もあった。これは、これも可笑しいんだけど、ちょっと最後が切ないのよな。 最近書店の本屋見ても、今江祥智の短編童話、あんま無い。残念だ。あんなに楽しいのがあるのに。
「どしゃぶりになると奇怪にも狂ったように外へ飛び出し泥だらけになる飼い猫の様子」と、まとめてしまえば簡単至極なんだが、「なんでこんなに可笑しく書けるんだろう?これをこんな風に書ける人はいない」と文章というものに夢中になった。起伏があり色々な事件がある、ストーリーという「物語」の魅力とは別に、文章というものが、それ自身にもつ能力というか。 落語みたいなのもそうなんだが、人を笑わせるってのは凄い事だと今でも思う。 それも文字で! 白い紙に淡々と同じ大きさで並んでるだけの文字で! その組み合わせが、なんで人を噎ぶほど笑わせるのか。わからん。 私は呼吸困難になるほど笑ったんだ。しかも気持ち良く。それで、泣くほど笑ってゼイゼイいいながら、「文章には、こんな事ができるのか」とえらく感動した。
それまでは、もちょっとこう、色々な事件があってそれが面白かったり、人を泣かせるようなのとか、途中途中に面白味のある滑稽なエピソードはあっても、疲れ果てるほど笑うようなのは読んだ事が無かったから。 私はただでさえ殆ど笑わなかったしな。だから余計に、そんな顔面硬直してる自分を悶えるほど笑わせたものに驚嘆して感嘆して感心して感動した覚えがある。
|