非日記
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北国の寒さの比ではないだろうが、私は昔は西国といわれた南方面から北上して来た身なので、ちょっと冷えても寒いのだ。 相変わらず、寒暖の差が激しく。 庭にはチューリップやパンジーや椿など咲いている。 梅は昨年末には一つ二つ咲き始め、先月にはほぼ全て終ってしまったが、今時分はサクラが開いてる。先週ぐらいから爛漫と咲き始めたというのに、何故か雨が重なる。まだ花が若いので、それほど、一雨二雨で一息には散らないが、楽しむ間が無いのではと、どうも気が気じゃないよ。
庭が無いので、ヤル気も無いが、土いじりは割りと好きだ。 というよりも、人が、アレを咲かそう、コレを咲かそう、アレをつくろう、コレをつくろうと土いじりをするのを手伝うのが好きだったのかもしれない。土に触ると童心にかえる。 今とあんま変わらんか(笑)
机の上に、白い椿がある。コーヒーカップをのっとられた(「のっとらせた」の間違い)
「この花は?どうしたの?」と問われて、 「この花はねえ…、私がトイレに行こうと思って外に出たら、そこに大家さんが居らして、『これを、貴方に』と来たので『まあ☆私に!?』と貰ったのよ…」 「アンタら、何やってんの?」
何やってんでしょうね(苦笑)
「(略)…そしたらそれで、ドアを十センチぐらい開いて目だけ覗かせながら『…怒って、ません?』てやられたわけよ。どこであんな高等技術を身につけたんだろうな。やっぱ若い時?」 「ブハハハー!」 「私はあの時、『大家さんって昔は女だったんだなあ…』とシミジミ思ったわよ」 「それってさあ、昔付き合ってた男で今友達みたいだよ。『こんな事相談できる筋合いじゃないんだけど…私には貴方しか居ないの』みたいな」 「二人はラブラブなのよ。プラトニックラバーだからネ(自棄)」 「プラトニックじゃなくなった時が怖いわよ。すごい年の差カップル!」
やめんか。 確かに年の差はすごいが(年の差、六十)、その前に注目すべき事があるだろうがよ。
嗚呼、でもそうなんだ。大家さん変なんだ。自分でも「最近ボケてきちゃって…」って恥じらってたもの!それはもう、「最近ちょっと太ってきちゃって…」ってぐらいの恥じらいだったわ。
ちょっと前に「ボケ対策」の本を読んでいたら、「二十代の女が読む本じゃねえ」と言われたが私は超真剣だ。自分の名前をド忘れるありさまでは切実なんだ。 「ボケには単なる老化とは別に原因があるものもあり、手を打つのが早ければ回復するものもある。老化によるボケと周囲が放置していた為により悪化し、手後れになる事も」等と言う部分を読んで 「…いいな…、ボケって回復する事もあるんだ…」 等と切ない笑顔を浮かべているようでは重傷なのだ。 私は「本人や周囲が苦しんでいて、それが「治る」もので、治せるものならば、治せば良いだろう。ありのまま生きるというのは、ありのまま惨めである事ではない」と思う科学の申し子なのだ。 そんな私としては、
「ちょっとぐらい物忘れが激しくなってきたからって、それぐらい何だ!そんなもの、メモをとったり反復の回数と頻度を増やせば補える事だ!普通の記憶力があった為に記憶力の補い方を知らんのなら私が教えてやる!ちょっとぐらい算数が困難になってきたからって何だ!暗算などできなくても、高等学府までは上がれるんだ!できた事ができなくなったからって結晶知性を捨てるなんて勿体無い!」
…という気持ちだ。ケチだからね。
「スチュアート・リトル」なんか見てる。何をしてるんだ。 だってCMが可愛かった。個人的には、「トムとジェリー」を見ていて、「ジェリー、なんという嫌な奴だ!」と思ってた人間だが、別にネズミが嫌いなわけじゃない。単に猫が贔屓で、耳が丸くて目がでかい、キャラクター的なネズミが好かないのだ。 よってミッキーマウスも好みじゃない。 一説によると、ミッキーマウスというのは人間が「可愛い」と思う基準を満たしているらしいが(頭がでかい・目がでかい・丸っこい)、それは赤ちゃんを可愛いと思う系列なのだそうだ。本能的に可愛いと思う基準があるらしい。 だが私は赤ちゃんをその姿形でカワイイと思った事が無いので、「フン?」て感じなわけだ。でも心は割りと通じるよ(笑)何も考えてないところが私と似てるからな。それに人間の赤ちゃんは、笑うと笑ったり、こっちが何かすると反応して面白いのだ。 「なるほど。これが人間になるんだな…。既にプチ人間だ」と思う。
既に辞めてマトモな職についてしまったが、同僚が、ある日こっそり告白するように 「あの…子供って好きですか?」 等と聞いてきた事がある。私はウッカリな正直者なので 「好かんですよ?(それがどうしたの調)」 と答えたら「そうなんですか」と安心したらしく、おやおやと「あなたは?」と問い返したら 「実は僕もなんです」 だろうと思ったよ。もとから生真面目で道徳的で常識的な青年だったし。が、まるで教会で懺悔しているようだったね。きっと彼女が子供好きで、良心の呵責か罪悪感でもあったのであろう。それが証拠に 「でもきっと自分の子供が産まれたら、自分の子供は可愛く思えるんですよね」 等と自分を納得させるように言っていたが(孕ませたのか?)、私は正直「甘いな」と思った(苦笑)よって 「さあどうでしょう?そうとも限らないでしょう」 と意地悪く言うたが、 「いえ、きっとそうなんですよ!」 と希望に満ちた遠い目をしていた(笑)
しかし「ウソから出たマコト」ってのもある。私はこれが好きだからな。 私にだってエゴイストの種類に好き嫌いがあるのだ。
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