非日記
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| 2003年02月05日(水) |
LOTRのビデオを借りてみました2 |
続き>畜生こんな事になるとは。 いい加減にせよという事か。
その素敵ロスロリアン追加シーン後の、川岸でサムとフロド、アラゴルンとボロミアが言い争うシーンは目を覆わんばかりに恥ずかしかったデス。誰か、あそこをなんとかしてくれたまえよ(特に後者二人)
そんな風に水増し版を堪能したのに、レンタルビデオを借りてみたのは、なんか、同じセリフ、同じシーンで、使ってあるカットが違うシーンがあるような気が…気が…したのです。 確かにシーンの追加で音楽の入れ方は変わっててオカシクナイが、それとはまた別に使用した映像が違う気がするところが…あったような気が…。私の気の所為かしら。 一回だけ見直した。やっぱりなんか違うところがある気がする。しかし長いので無理。私まだ全部のコメンタリーすら見てないし。 なげーよ!先生!
こうやって映画版を見た後で、原作を頑張って読んでると(注:一行も飛ばさず読み進めてる程度は、まだファラミアと云々してるあたり)原作フロドがごっつイイ男に見えます。私は基本的に主人公を好きにはならないタイプなんだが、原作フロドは、映画見た後ではなんか大層カッコイイ気がしてきた(苦笑)
誰達のコメンタリーでだったか、裂け谷でフロドとエルロンドが二人で話をし、エルロンドが「フロド、なんてかっこいいんだ!」と思うシーンがあり、撮ったけど入れなかったという話があって…。うわーん、見たかったよ、それ!すんっごく! 河岸のダブル痴話喧嘩なんかよりね…。 いや、あれはあれで、ある意味物凄く面白いけど。
もう一つ、レンタルビデオには付録で二つの塔の予告編が入ってたのだが。 …あの(おそらく)セオデン王にしなだれかかるベロベロに艶っぽい人は誰? …………………………蛇の舌殿!? うわあ(笑)楽しみだ。 原作では、私は、もっと冴えないオヤジっぽいのんが幼さの残る姫君に懸想した、言うなればもっとイカガワシイ状態を連想していたのだ。
DVDの良いところは英語字幕が見れるところだ。昔から、ちょっとでも聞き取れて、字幕と原語の違いを感じた時の、ニュアンスの広がりが好きだ。
メリピピが囮になってフロドを逃がすところとか。 「Run,Frodo!Go.」って言ってるのかと思ったら、英語字幕では「Go on.」になってた。へえって感じだ。「前に進む」って意味も確かにあるが、「続ける」ってニュアンスがある事が気になるよな。 そうだとして、ひょっとして「指輪を捨てるという使命を続けろ」って事かもしれないが、「一人で発つという事をやり遂げろ」って意味の方が良いな。その方が、その直前から直後まで良い感じになる。 ピピがフロドを止めようとして飛び出すまで、メリはなんか考えてるのよな。ピピンが止めようと飛び出すのは、ピピンらしい単純な精神構造の為だが、メリーはどうするべきか迷ってる感じがする。 ピピンを止めるのは、「行かせてやろうぜ、なあピピン」等と言う熱い断固とした気持ちよりも「ちょっと待て。またオマエは早まるなピピン、俺の方はまだ考え中だ」って感じだよ。 その直後に、友情の何たるかについて悩んでるどころじゃなくなって、メリーは一瞬で「こりゃ駄目だ。このまま行かせるしかない」という判断になってるが、これ、猶予が長かったらかえって非常に難しい決断だと思うが。どっちを選んでも一長一短なのよな。ピピンはぼさっとしてるが、メリーはそのまま行かせるか無理にでも一緒に行くかの二択になってたから決するのが早かったんだと思われる。
ここに関わらず繰り返し見てると、無闇にメリピピが(と、レゴギムが)好きになってくるわけよ。 (だって映画の旅の仲間では、ボロミアが一人でスポットライトを浴びてるんだもの。原作ではあんなに目立たないのに/原作はその目立たなさが良いんだよ) その後、オークに追われながら逃げるメリピピの
P:It's working! M:I know it's working!Run!
ってところがごっつ好き。私の勝手な印象訳ではね、 P:「僕ら役に立ってる!」 M:「そうさ、大活躍だとも!(だから)逃げるんだよ!」 になってるんだ…(苦笑)良くない?駄目かな。 何か言い回しがあるのかもしれないが(辞書を調べても、わからなかった)、私の英語に馴れない耳にはWORKINGがそのまま「働いている」「役に立つ」「労働する」のニュアンスで入ってくるんだ。 単にオーク兵士をフロドから遠ざけたという意味より、成り行きと勢いで飛び込んだようなメリピピが初めて役に立つ実感をもったというか、自分等にもできる事があるという誇りを持ったというか、自分等がフロドの友人である事に実感を伴う喜びをもったっていうか、なんていうか上手く言えないけど、まあ色々。モリアでのサムの「俺って強い?」みたいな。 自分等が「何もできない役立たずの、どうしようもない駄目な人間(じゃない。ホビットだけど)ではないんだ」という、なんつーか、誇らしさ?みたいなもの?生きている事の意味を感じるような喜びっていうか。上手く言えないんだが。 なんかそんな感じで、友情がどうのでなくて、それでここが凄く好きなのよ。
もういっちょあるんだけどね。 ピピンがわらわらと群がってくるオークを見て、 P:「なんか凄いことになった!」 M:「ああ、ろくでもない事をしちまったんだよ!(そんな解りきってる事を確認してないで、わき目もふらずに)逃げろ!」 こっちの場合は、「気がついたら思わず、つい囮になっていた。なんてこったい」って感じで、これも自分の中でかなりイイ感じ。イカス訳となっている。 workingをそのまま丸呑みで下手に訳すと「こりゃあ仕事になってるよ!」になるだろ?すると、「こんな一大事だとは始める前は欠片も思ってなかった」って感じじゃないか。 メリが咄嗟に敵の注意を引く、それを見てピピンが一緒になって煽る。ピピンの共感力と同調力は感受性が無垢に強いだけあって流石に相当のもんだね。なんていうか、子供が親に対してもっている共感力と同調力をもってる感じがするね。「よくわからんうちにメリーにつられた」って感じがするじゃないか。ピピンはフロドに対してもそうだが、メリーが何故そうするのかの理由と意味はわからなくても、どうしたいのかは感情的に直裁に分かるんじゃないかと思われる。二極に分けるなら、ピピンは感じて、メリーは考える派だと思うね。結局良いコンビなのよ。
え?サムとフロド? あそこはもう違う世界に片足入ってるのだと、船の上でガシっと抱き合ったところでよくわかります。 「あっしをお供させてください。親分はこのハチ公を主人を捨てて逃げた卑怯者にする気でげすか?!そりゃあんまりってもんでげす!つれていってくだせえ!さもなくば主人に逆らったかどで打ち首にしてくだせえ!」 「うぬぬ、よしわかった。もう何も言わん!来い、ポチ!死して屍拾う者無し!地獄へ向ってレッツらゴー!」 「忍びの道でげすね?ヘイ、親分!ああ親分なら、きっとあっしの気持ちをわかってくれると思ってやした!」 (最後まで真面目に話しましょう)
メリピピの行動をテーマらしい自己犠牲的友情路線で解釈するなら、先のより、こっちの感じを押すね。
私的には、ここのメリピピに比べると、アラゴルンとサムはあんまイカンね。イマイッチングなのよ。 DVD版では、裂け谷を出るところでエルロンドが別れの挨拶と見送りを述べるんだが。それが好きなんだ。だってエルロンド、こう言っちゃなんだが、誰もが遠方からわざわざ意見を聞きに来ていたほどに何がそんなに賢いのか、劇場版でも原作でもそれほどとは見えないだろう。目立たんのです。 だけどここの台詞で、エルロンド流石に賢いねえ、そして彼は不死のエルフだねえって感じがする。 「On you who travel with him, no oath, no bond is laid to go futher than you will.」 ってところ。好き。永遠を生きるって事がどういう事が、世界が、例えば人間が彼等にはどう見えるのかが彷彿とさせられるセリフに仕上がっていると思われる。
そういえば、「エルフの石」の意味がさっぱりわからんくて、 「エルフにとっては、てめえなんかそのへんの石じゃあ、って意味?それともこう、ホビットにとっての石みたいに咄嗟に拾って敵に投げるものとか」等と聞いて「かもね」と笑われたが、もしかすると、永遠を生きるがゆえに、あらゆる全てが寸時に移り変わってゆくように見えるエルフにとっての「石」って意味なのか? ムズカシイな。 しかしアラゴルンて名前は、最初から思ってるんだが、どうもカッコが悪いね。 意味あるんだろうか?なんていうか、レゴラスは「裕史(ゆうじ)」とか「智司(さとし)」とか、ギムリは「操(みさお/ちょっと珍しい感じ)」とか、フロドは「透(とおる/なんとなく綺麗)」とかそんな感じだが、アラゴルンとか言われると「権兵衛(ごんべえ)」とかそんな語感のきがするよ。ちなみに父アラソルンと言うなれば「権左衛門(ごんざえもん)」とかだ。 エレッサールとなると語感はちょっと綺麗になるんだが、アラゴルンがもとにあるんだと思うと、何某権兵衛綱吉(ナニガシのゴンベエ、ツナヨシ)とかそんな感じのイメージよな。 ちなみにエルロンドとかグロールフィンデルとかは、昔の、勘解由(かげゆ)とか四紋(しもん)とか、なんかそこはかとなく古風できれいな奴だろう。
ともかく、エルロンドには、ちゃんとそう言われて旅立っているというのに、その達観に比べて、 アラゴルンは「I swore to protect you」だの、サムは「I made a promis.And I don't mean to」だの、しょうもない事をしきりに言う。人はあそこのサムで感動するらしいが、私はあそこのサムは殴りたいよ。この、サムを好きな私が。おかげでメリピピの株が上がりまくり。 それでも、それがサムのyou willなんだろうと思うから、上辺の言葉は我慢ならんでもないが。
個人的に、ボロミアが死ぬところは原作の方が淡々として好きだ。 「あ、死んだ」とか「え、死んだ?」みたいなポックリ感がリアルだなあと思う。淡々としてアッサリで、余韻すらない、から愕然と悲しいんだと思うね。 ボロミアは映画の方が人間が掘り下げてあって、良い人五割り増しで好きだけど。良い役者を使ったと思う。単に笑ってるだけで「ああ良い人だ〜」って雰囲気がするもの。彼を見るからに良い人にすることで、指輪の力の強さに関する描写の困難さを補うところもある。 いや、原作が淡々としてるってのは目の前の目的をなくして暇になった途端オイオイ泣き出し、自責の念を軽くする為に反省と後悔を堪能しまくり、レゴギムに呆れられて放っておかれてるドッカの誰かのところじゃなくて。その直前の、ボロミアとアラゴルンの末期の会話で、二人、心が思いっきりすれ違ってるところが、リアリティがある。
DVDの英語字幕を見ると、吹き替えや字幕から受ける印象と違い、実際二人の会話は擦れ違っているようにしか聞こえず、擦れ違っているそこだけ原作に忠実な感じだ。 アラゴルンってば人の話をゼンゼン聞いてませんよ?私の気の所為か? 「Leave it」 と言われて、やっと腰を落ち着けて聞く気になってるように見えるわよ。 肩を掴んで、 「おい、人の話を聞けよ!」って感じがするぞなもし。映画のボロミアは原作と違い、アラゴルンの注意を引く事に成功してるようだよ。 原作ではボロミアが息を引き取る最後まで、一応話は聞いて応対してるが、どうもメリピピとフロドの行方に対する懸念が頭から全然離れてないよ。ボロミアを内省からはやくそっちへ意識を向けさせたい為に、慌てて適当に慰めているかのようにも見えるんだよ。見えんのか人には。 映画の方でいえば今度は、ボロミアは助からんとなった途端に、「メリピピが危機に陥っていて一刻を争うのではないかしらん??」等という懸念はサクッとうち捨て…、って感じだし。「もう死ぬ事が明らかになった人間はそこらにうっちゃって、まだどうにかできる可能性が残っている方に迷わずダッシュで向いたくない?」等という非人間的冷徹さは無いのだな。いや、私は原作のにはコレがあるんじゃないか?と思うんだが。 ホビットを守る事が最優先なのだから、グダグダ言うボロミアには「うるさい。黙れ」で行方と状況を先に聞き出すべきだったかもしれない。要らん話に耳を傾け、要らん慰めをしていたがばかりに、ボロミアはこれからの判断に必要な重要な事を話す時間を失ったかもしれん。それは、指輪の誘惑によろめいてみちゃった★のどうのなんて事より、名誉を守ろうとしたボロミアにとって死の直前に我が事にかまけて情報の伝達をおろそかにしたなんてのは、よほど沽券に関わる事ではないんか。だが、奴はそうはしなかった。阿呆は残り少ない時間を、つい自分を寛大で良い人ぶってみせる事に使い果たしたのだった。 しかも、心半分に「コレが死んだらどうする?ホビットの行方は彼だけが知っている可能性がある。死ぬ前にどうにかして聞き出したい」等と先の事を考えつつで、心のそこからボロミアの事を誠実に考えていた、この時に死を傷んでいたとは全く思えんのだが。 だからその後のオイオイになるんじゃないかと。。。休憩時間が来たのでゼンブまとめて反省中、「反省終了!ああ良い反省だった。さあ次」って感じがするのは私の気の所為なのか。
だが私はその方が共感できる。 いいの。アタイの目が歪んでるねんよ。映画でなんか妙にエロい美人を見て、脳を仕切り直す。よって気にせんでくれ。 それが為に日記としては、二つの塔が始まる前にいい加減上げておかんとと焦ったんだ。
それはともかく、私は二部以降でパランティアの扱いがどうなるのかが大層気になってる。あの、ガンダルフとサルマンの塔の上と下でのやり取りのところ好きなんだが。 ガンダルフが「サルマンはハッキリ言ってめっちゃ美声で超美人だから、心して架かり、けしてメロメロにならないように」と我が身の経験からか、いやにしつこく念を押しておいたのに、皆見事にメロメロになってるところとか。私は大喜びだったんだけど。蛇の舌にパランティアを投げ捨てられて、サルマンが「キャア!」って言うところとか。笑いが止らんって感じだ。 後はギムリが燐光洞について熱く熱く夢中で語るところとか、すっげー可愛いんだけど。できればやって欲しいんだが無理かも知れない。
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