非日記
DiaryINDEXpastwill


2002年11月21日(木) めずらしく

人の役に立った…かもしれない。
すこし?(笑)
珍しい事もある。
嗚呼、私には「一生涯、人の役など立つものか!」という自らと交わした固い誓いがあったのに…。

何をしたかと言えば、子供と大人の通訳をしたのだ。
中立者ならではだ。それが役に立つ(←?)事もあるんだな。
手が滑ったのだ。余計なことだった。
なんてゆうか、はがゆく。それで苛ついて手が滑ったんだ。自業自得だ。

今この年齢になっても、私だって、人に自分が何をどうしたいのか、どうして欲しいのかを、いつも上手く言えるわけじゃないが。
もしもそれをキチンと言えて、そしてその前にまず自分自身で自分が何を望んでいるのか明確に感じることができたなら、相手が「それは駄目だ」と拒否する時にも、諦めるか戦うか、決めることはできなくても判じることができるだろうにと思う。

自分より早い人の速度に追いついたり、同じ速さで長いこと並んで「走る」ことはできない。そりゃ、私に言わせれば、運動の苦手な人間にオリンピックの陸上選手と同じ速さで走れと要求するようなものだ。
が、自分より遅いものを待つことは、できなくもない。

・・・と、思うんだが、人に言わせれば嘘かもしれないな。早い時もあるし、遅い時もあると言われる。
けれど、大体は喋ることも動くことも遅いと言われて、人を苛立たせるんだ。
自分が鈍いだけならいざ知らず、挙げ句には、人に「もうちょっとゆっくり喋って」だの、「もう一回、最初から言って」だの、「それってつまりこういう事?」だの、鈍いなんてもんじゃないね。何回も巻き戻されてるよ。
早いときはね、早い事もあるんだよ。


だけど、その子は、とても感動的なことを言った。
「店内でお待ちください」
「店内ってどこですか?」
それは、なかなか難しい質問だ。
君は本当は自由に歩き回れる。だが理由が何であれ、前提がある限り、自由は初めから決まっているんだ。君は自由が何かを私にたずねるのか。それは一晩かかっても、個人的な定義すら説明できないな。


やぐちまさき |MAIL