非日記
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2002年11月23日(土) だれかおしえて

八年前?、初めてそれを見つけて以来、毎年不審に思っている。
今年もまた、「結界」が張られる季節がやってきたようだ。

地上2mほどの高さに、細い縄のような、細い綱のような紐が、町内に延々と張られるのだ。大体は電柱などを使って、延々と張られる。勿論「どこまでも」というワケではないが、地図上では隣町あたりまでにも、それが侵入しているのを見た事がある。
その細縄には、何か濃い緑の艶々した葉っぱや(神事と疑われるので、きっと榊とかそのへん)、細長く切って二つに折った紙だとか、細長く切って少し捻じって折った紙だとかが、およそ2m間隔ぐらいでくっついていて、それが風にピラピラしている。
毎年毎年だ。

ざっと八年前、この町へ来て最初の年、まず、ある日、朝起きて外へ出て、それを発見した。
「なんだ、この結界は?」
と思ったのを覚えている。それっきり、私にとって、これは何かの「結界」だ。

その頃私が住んでいたところと、そしてその時分は大学生だった事もあって、少ない知人友人にたずねても誰も知らなかった。
私の通った大学は他県出身者が半数以上を占める大学で、生家から通ってる学生なんて探してもそう沢山、犬も歩けば棒にあたるほどは居ない。その中から町内の人間を探すことなど、私は最初から諦めていた。
およそ、ここは行きずりのものが集う学生の町だ。初めから、先祖代代に近くここに住んできた家なんて、そう多くはないだろうというのが私見だ。
だけどこの風習(?)には、淡々として古めかしく、特別な、一種異様な、雰囲気にイニシエの気配と香を感じる。「淡々と古めかしい」というのは、つまり簡素にすぎて意味不明なのに、「するのが当然」「せねばならぬ」という神聖さを感じるって事だ。
今となっては葬式仏教になってしまったような仏事ではなく、太古の神事の気配を感じる。軽く戦前からじゃなかろうか。

今でも家を建てるときに、土地の邪気を払い、土地神に「今からここに家を建てるよ?後で聞いてねえぞと文句言うな」とお伺いをたてる、工事の無事故と、これから建てる家の栄を願うような神事を行うだろう
(傍目勝手に「たぶんそういうモンなんだろう」と思ってる。正確なところや詳しくは知らない。)
そして暫く、土地の中心には榊かなんかが立てられて、まわりを綱で囲って結界を張ってある。
あるいは、
他所の地方や家は知らないが、うちでは埋葬用の穴を掘ってから埋葬までの暫くの間(つまり遺骨を家に安置して、実際に葬儀のあれこれを執り行っている期間中)、穴を放置している隙に何か悪いモノがそこへ入りこまないよう、穴のケガレなしを護る為に結界を張っておく。

初めて見たときに、ここらへんを思い出した。
しかし、私がここへ来て最初に住んでいた場所の裏には加持祈祷所があった。
俗な私には、加持祈祷と言われても、実際にどんな時に行き、どんな事をしているのかイマイチわからないが、その語感に似たような気配を感じるので、「この関係で何かやってるのか」とあっさり流したのだ。
それでも、どうやら毎年のようで、しかも隣町にまで侵食していってるところを見ると、これはそうそう、一回二回で終るような、ただ一人の人間の生涯が幕を引くとともに、或いは一つの家系が閉じるとともに、此世側の処理が全て終るような(つまり社会の側で、それにかかずらう必要がなくなるような)、そんな「個人的」な事ではないかもしれないと思い始めた(苦笑)

よって
「何故こんな俗なところに結界が…?このあたりでは、この時期に何か(アッチから)来る(事になっている)のか?」
と思ったわけだ。私には、人の道にそって延々と張り巡らされているそれが、例の「アッチ専用道路」を突貫工事で急遽引いているように見えたのだ。


あれは本当になんだろう?
大家さんは知ってはるんやろか。
今度、家賃を払いに行くときにでも聞いてみようか。


やぐちまさき |MAIL