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そうだ、写真を撮るのを忘れたんだった。 せっかくいい天気の庭に出ていたのに。 あれこれ、花も咲きはじめまして、 特に嬉しいのは、ウスバサイシンが毎年元気なことですね。 ウチに来たのは震災の年の5月でした。 まる4年になるんだなあ。
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やっと、やーっと、草取りを始めました。 ほんとに、畝を作る部分しか抜きませんよ。 明日、土を起こして石灰を撒いて、 ポットに何種類かのタネを蒔くところまでできたらいいな。
アスパラはもう食べ始めました。 やわらかくて甘くておいしくて、 コイツを植えてよかったぜーっと思います。 今年は春が早いので、ウコギもそろそろですしね。
どこに何を育てるかの、おおざっぱな計画を立てないと 去年みたいに、中途半端に土を遊ばせちゃったりするなあ。 翌年のためなんだから、今年こそ、と思いつつ、 菜園ノートは作らないまま何年もやってます。
さしあたり、キヌサヤとスナップエンドウは直播。 あとはゆっくり考えるとしましょう。
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計数脅迫症ってのがあるのかどうかわかりませんが、 (ないとおもいます〜) 私は何でも数えるのが好きです。 数え切るってことはほとんどなくて、 途中でやんたぐなって、どうでもよくなって、 ほとんど数える意味は失われてしまうのだけれども。
雑草なんか、抜くときは数えますね、必ず。 テントウムシダマシをペットボトルに集めるときも、数える。 500円玉貯金を、3か月に1回ぐらい、ざらざらっとあけて数える。 イラストロジックのマス目をちまちまと数える。
そもそも、数えるという行為は、 その対象となるものが「たくさん」存在しないと成り立たず、 たくさんあるっていうのは富んでいるということなので、 《豊富にある⇒数える⇒シアワセ》 という一連の流れが、脳内に湧き起こるのではないかと思う。
数えることはシアワセなことなのです!
ついでに、草取りいっぱいしたら、足が筋肉痛で、汗もかいた。 これは(続ければ)ダイエットになるかもしれませぬな。 続けないので、なりませんけどね。
晴耕雨弾、晴れてヒマなら外に出る。 家計のために稼がなくてはならんので、 それが最優先だ、残念ながら。 次がレッスンを含めたピアノで、 文章を書くことは併走しているイメージ。 投げたり編んだり縫ったりすることが、 今のところ、一歩後ろにある感じです。 で、その合間の晴れたところで、菜園。 最初にある程度手をかけておくと、 あとは収穫収穫、隙間時間にできますもの。
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数えることについていうと、 たとえばピアノの練習において、 できない部分を何回やる、みたいな 回数による練習は、まずやりません。 (子どもにはやらせます、終わりがはっきりするから) (それと、効果がはっきりしているから)
たとえば、さっぱりできないから10回弾こうと決めたとして、 10回で弾けるようになる保証がどこにありましょう? 弾けなかったらがっかりするべ?
んじゃ100回って決めるのはナンセンスだべ? (やる気しないでしょ)
だから、ピアノの練習は、回数によらない。 何回弾いたなあ、って数えない。 結果として、3回だったな、ってことはあるけど。
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基本、ボヤいても始まらないことはボヤきませんが、 周囲の反応を知りたいためにボヤくことはあります。 ひとがボヤいたり愚痴ったりしていることに対して、 私がぼんやりと感じる「キモチ」を、 他の人はどのように感じて、言葉にするのかなあ、と。
結局のところ、よくわかりませんでしたが、 すんごく親身に考えてくれる人がいるってことに救われた。
でも、やっぱり、自分のことは自分で解決するしかなく、 ベートーヴェンの例のフレーズ問題は、 今日、ひとつ試したことが「まあまあ」っぽかったので、 しばらくその手でいくことにしました。
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ときどき、ぼぁ〜っと頭の中にあることを ぼぁ〜〜のまんま、書いてしまいたくなります。 ほんとうに、そのことをぴたりと言い表せる言葉に出会うまでは、 半端なことを書かないでおくほうがいいかな、とも思うけれど、 なにしろ、何かすんごく書きたいことがあったはずなのに、、、 なんだっけ、なんだっけ、なんだっけ〜〜〜ってなるから、 思うときに書いておかないと、二度と書かない気もするからさ。
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