日刊オバちゃん白書 --婆ウォッチングのミラーサイトでござる--
* いんふぉめ〜しょん *
2001.3.18〜 四半世紀も続くなんて、誰が予想したでしょう

突然のできごとに絶句! 2003年12月12日(金)



ナマおば忘年会から帰ってまいりました。
いつもはメモ帳開いてある程度書いてから
一気にアップするのですが
今日は・・・ちょっとショッキングなことがありましたので
うまく整理して書けたら続きを書きますが・・・

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某信用金庫にこの春めでたく就職し、バンドにも参加していた
高卒のサックス奏者H山くんが急逝しました。

おりしも忘年会は思いっきり盛り上がり、
お互い愚痴の吐き出し合いをしていたときのことです。
ワタシの奥に座った方がお手洗いに立つというので
通路を開けるためにワタシも立ち、
ついでに携帯の着信を確認したのです。
すると・・・
「大至急! 指揮の先生の電話番号を教えてください! A美」

大至急ってナンだろう・・・と、急いで手帳を取りだして調べ
「遅くなりました。***-****です」

すると、ほどなく長いメールが届きました。
「急なことでびっくりされるかもしれません。
 先生も信金のバンドでご一緒だったと聞いています。
 今日の11時ごろ、H山くんが亡くなりました。
 明日がお通夜なので、私とS木くん、T村くんとで行ってきます。
 このことで、指揮の先生にご連絡しました・・・」
というような内容でした。

え・・・?

このメールのやりとりと同時進行で、先ほどお手洗いに立ったオバさんが
具合を悪くして動けなくなってしまいました。
そちらのほうの手当てと、A美ちゃんとのメールのやりとり。
もう、忘年会気分なんかすっかり飛んでしまいました・・・

死因を尋ねたところ、仕事でバイクに乗っていて、
雪で滑って転んだところにバスが・・・ということでした。
A美ちゃんは面倒見のいい先輩で、
H山くんを始めS木くんT村くんとは一緒に行動することも多かったのです。
ワタシもびっくり・・・言葉を失いましたが
彼女はもっとだったろうと思います。

こんな状態の中でも、明日は爺バンドの練習があるし
明後日はYMCAのコンサートです。
なにしろ爺バンドのメンバーの約半分がかぶっていますから
非常に複雑な思いを持ったままステージに上がることになります。

そしてブッ倒れたオバさんは、会場となったホテルの人達が
非常に手馴れた感じでいろいろケアしてくださいました。
氷水とタオル、ピッチャーとコップ、使い捨てのお絞りを多数。
そして、ロビーの椅子に横になった彼女に
頭を少し高くした方が、と簡単な枕も用意してくれて
「この部分を冷やすと回復が早いのです」と教えてくれる。
・・・かなり、慣れていますな。

しばらくして大学の研究室にいたという息子ちゃんと連絡がとれ、
もう1人のオバが付き添った上で、なんとか帰って行きました。

過度のストレスだということは、同席した誰もが思いました。
定年退職したダンナが(再就職の話も断って)1日中家にいる・・・
「縦のものを横にもしなかった人が、ずいぶん変わった」
と彼女は言っていましたが、現実はなかなか・・・
お話が達者な方で、よく「こーだった、あーだった」と
貯め込まずに何でも話す人だったんだけど
話せたからそれで軽減されるようなハンパなストレスではなかったのね。







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