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2009年07月11日(土) 青切符 / 野次馬の目で見た…トラブル

ハァ…先週のことだったでしょうか、一時停止が中途半端だったと止められたのですが、注意のみで切符は切られなかったのは…助かったぁと思っていたのですが、またやっちゃいました。今度は許してもらえなかった。

今、野次馬の目で見ている新築中の家はちょっとしたトラブルの渦中にあり工事が中断しています。そのトラブル解決のための話し合いに同席することを求められ、ついでに仮住まいに住んでいる向こうの家族が、折角来たのだからと、東京都議選の投票を事前に終わらせたいと区役所に向かったんです。

その区役所、私は何度も見てはますが、行くのは当然ながら初めて。どこに駐車場があるんだろうとキョロキョロしながら走っていました。交差点で、左折レーンに入り考え事をして、隣の直進レーンの自動車が動き始めたので、ごく自然に自分も動き始め、左折しました。そして区役所を回り込むように次の角を再度左折しようとしていたら、窓をコンコンたたく音が聞こえたので見てみると、またあの忌まわしい白バイの制服男が居るじゃありませんか…

最近はやっているらしい、直進と左折が別のタイミングで青になる信号だったそうで、確かに私は信号をよく見ていなかった。それは事実ですから、捕まっても文句は言えません。信号無視で2点減点、9000円の反則金を払えと言われたら、まぁ諦めるしかないです。

でも、自分の非は認めた上でやはり理不尽だなぁと思う事を言わせてもらうと、私たちは、信号は赤、青、黄色と歌でも歌って教育されてきました。それが「信号は赤だけど、青矢印の方向だけ進んで良いよ」というのが右折だけじゃなく直進や左折にも採用されるというのは如何なものでしょう。歩行者保護の観点からは効果はあるかも知れませんが、ただでさえ、渋滞を巻き起こす方向に制御されている信号を更に複雑、停止時間の長時間化では、運転者のストレスは更に増すことになって、全体として良いことなのか、私にはちょっと疑問です。

良くあるのが補助標識という奴。初めての道路を走っていて、自分は右側に行きたい。でも普通の速度で走っていて見える標識には直進と左折のみで右折は出来ないと書いてある。諦めて別の交差点で曲がろうと腹を決めて交差点にさしかかると、豆粒のような補助標識に「大型車のみ」とか「土、日を除く7:00〜9:00」とか書いてある訳ですよ。道路交通標識の存在意義って言うのは運転者に規則を知らしめるところにあるはずですが、これは典型的なお役所仕事ですよね。「書いてあるんだから、後は運転義務のある運転者が解明すべき事だ」と放り投げ、言い訳の材料にしているのです。本来なら、そこで許されている制限速度で走っていて、ストレスなく判別できる標識を設置するべきなのです。例えば、大型車と小型車、平日と休日は色や形を変えて目で見て判断しやすい工夫をするなどをして初めて取り締まる地盤が出来るのだと思うのですが、そこも「管轄の役所が違う」という逃げ道を作っています。国民、市民(Citizenという意味での)が円滑かつ快適に道路を使用するための規制標識であるなら、役所の管轄がどうであれ、それを使いやすくすることが役所の努めではないかと声を大きくして言いたいのです。

補助標識のような小さな文字を走っている最中に一瞬で判断しろというのも無理がありますし、道路標識が気に隠れていたり、道路の右側や、遙か上に設置されているような物も無理があると思います。

かなり昔、初めての道で一方通行を逆走したと捕まったのですが、その道の進入禁止の標識は、道路の右側に取付けられていました。「道路の左側には十分注意していた。しかし、本来対向車が通るであろう右側に漬けているのは如何なものか?」という質問に対し、警察の人は「全部を見るのが当然。そしてここは一方通行の出口で対向車は通らないから」と訳の分からない話をしていました。いや、全体を見るべきだと言う話に納得はします。しかし「そこが一方通行出口だと分からない人」のために設置している標識が、そこが一方通行出口だと理解している事を前提に設置されていることはおかしいでしょと言う事です。規制をする標識なら、運転者が見やすい場所に設置されるべきで、常識外れの場所に単に「設置してある」では間違っていると思うのです。

いつもなら多くの車が高速道路か!と見紛うスピードで暴走する道路で、なぜかみんながおとなしく走っていると思ったら、その先頭に回転灯を赤く光らせたパトカーが居た。そしてパトカーが居なくなったら、いつもの如く暴走が始まった…車に乗る人なら殆どの人がこんな光景を見たことがあるでしょう。先日も書きましたが、違反しやすい場所に立って違反しないよう誘導するか、違反した車を捕まえて反則切符を切るか…警察としてのモラルを問われるところですが、隠れて違反切符を取るより、単に回転灯を光らせてその辺を流している方が違反の抑止効果は遙かに高いのは誰の目にも明らかなんじゃないかと思われます。

…如何なものでしょうね。


野次馬の目で見た…トラブル

久しぶりの野次馬…既に家は地鎮祭を終え、9月の引き渡しに向け工事に入っているのですが、基礎を作っているところでトラブル発生…そう書くと、ちょっと建設に詳しい人は「地盤が弱かったか」とか先走りするかも知れませんが、幸いなことにそんな事はありませんでした。しかし、トラブルはそれより厄介かも知れません。

簡単に言ってしまえば、隣家との境界トラブルです。それも、建設会社の手違いで発生した人災です。

野次馬先の土地について、図面は建設会社に最初に渡しています。野次馬先の土地は、土地を購入後、隣家から土地の譲渡をされた部分があり、そこは地面にコンクリート製の境界標識があるのですが、それは古い方の境界で、新しい境界は塀の上にポイントされていたのです。

その話しも含め伝えてあったのですが、なぜかそれが忘れ去られて塀を撤去してしまいました。タイミングの悪いことに、その直前に売家となっていた隣家に買い手がつき、引き渡そうとしたタイミングで境界が無くなっていたため、不動産が客に土地を引き渡せないというトラブルになったという事のようです。

境界を勝手に撤去したことは、厳密に言えば法律違反となります。こちらはそれを修復しなければならないのですが、その時の手際があまりにも悪かったため、隣家に大いなる不安と不信感を植え付けたようで、更に、こちらがここが復元ポイントだと言った場所では、あちらの家の間口が狭くなるからおかしいというクレームもありました。

ある意味私や野次馬先家族も被害者です。元々塀を壊す前に隣家と連絡を取り、ポイントをしっかり確認しておけば、こんなトラブルはなかったんです。また、連絡を密に対応を的確にやっていればこじれることもなかった。

ま、トラブルの原因は建設会社にのみあるのですから、私や野次馬家族は静観するしかないですね。そう静観していたのですが、境界の確定は当事者同士の合意が必要と言う事で無関係では居られなくなりました。今日はその最初の話し合いだった訳ですが、まあ、その辺りは今までコンサルティングなどを経験してきたこともあり、相手の言い分、こちらの言い分、問題点の明確化、解決に向けてのスタンスなどを話し合えたと思います。

さて、これからどうなるでしょうねぇ…無事に入居できるんでしょうか…


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