2006年11月13日(月)
夜の渋谷で思ったこと
清水兄急逝の衝撃も覚めない中、今度は村田渚さんの訃報に接するとは。
私はボキャ天を見ていないボキャ天世代だが、「フォークダンスDE成子坂」の名前はもちろん知っているし、鼻エンジンも知っている。
シェイクダウン解散後ピンとなった後藤さんの初ライブのゲストが渚さんだったことも覚えている。
清水さんにしろ渚さんにしろ、世間一般ではまだまだ働き盛りといわれる年齢の方がお亡くなりになると、衝撃も悲しみも一段と大きい。
ご冥福をお祈りいたします。
連日、いじめによる自殺が後を絶たない。
自殺者を出した学校の責任者も自殺、といういたましい連鎖も起きている。
2年前の春、私は会社の人間関係が原因で非常に追い詰められていた。
きっかけが何だったのかも思い当たらないまま事態は急速に悪化し、私はあっという間に孤立した。
何かをしてもしなくても詰られ、罵られる日々が続き、夜、家で一人会社のことを考えるとそれだけで胃が痛くなり胸が詰まり、涙が止まらなかった。
“自殺”は考えなかったが、(もし何らかの事件や事故に巻き込まれて命を落とすことになっても、それはそれでもう構わないや…)と思うところまで来ていた。
どん底の時はルミネでネタを見ながらも会社のことがいつも頭から離れないので、面白いと思う余裕がなく、笑うことも出来なかった。
しかし、つまづくきっかけが“人間”だったら、そこから抜け出せる救いの手を差し伸べてくれたのもまた“人間”で、上役の配慮や先輩のフォロー等のお蔭で私は今もこうして生きている。
面白いから笑う、という当たり前のことが出来ることに安心する。
土曜日、私は念願の「鶴瓶落語会」に行って来た。
聞いてみたかった「たちぎれ線香」を初めて行った落語会で、それも鶴瓶さんがやる「たちぎれ線香」を聞くことが出来た。
「たちぎれ線香」は私が想像していた倍、数倍、数十倍も素敵で切ない噺で、すっかり噺に引き込まれた私は、気づけばぽろぽろっと涙を零していた。
2丁拳銃のコントライブで何回か泣いたことはあるが、落語でもそういう経験をするとは思わなかった。
余韻に浸りながら劇場を出て最寄り駅の渋谷駅に向かう途中
(…あぁ、生きていて良かった。生きていて本当に良かった)
という思いが身体の中から猛烈に湧き起こった。
大げさだと自分でも思うが、本当に心の底からそう思った。
あの時、命を落とすことが無くて良かった、命を失うようなことに巻き込まれなくて本当に良かった、こんなに衝撃を受けることがあるのを知らないまま死なないで本当に良かった、と。
2年前の春以降、これ程までにこころを揺さぶられたのは初めてだった。
同時に
(まだまだ知らないことが沢山ある。見たことが無いものが沢山ある。だから、もっともっと生きていたい。出来るだけ長く生きてやる)
とも思った。
死んでしまいたいほど辛いことというのは確かにある。
だけど、生きていれば、“生きていて良かった”と痛烈に思う何かを知ることが出来る。
せめて、それを体験するまでは生きていて欲しい。
++++
12月の「花形演芸会」に東京ダイナマイトが出るのでチケットを取ったが、昼にはもう完売。
3年前にハリガネを見に行った時は結構ぎりぎりまで残ってた覚えがあるんだけどなぁ。
ちなみに今回のプラン本公演はスルー。
変更前の本公演名がどうも引っ掛かるものであったことと、ここ最近、あまり本公演にハマらないため。
「曲者」のゲスト第一弾発表。
物凄い小出し小出し。