2006年11月11日(土)
第二の衝撃
昨日までの秋晴れが嘘のように消え去り、時には雷まで轟く中青山円形劇場へ。
今月に入ってからは今日、明日のためにひたすら頑張っていたようなもので、昨日はちょっと気を緩めたらすぐ口元がにやけてほころんでしまい、後輩から「僕、鶴瓶をこんなに楽しみにしている人を見るのは初めてです」と呆れ気味に言われる始末だった。
「第五回青山寄席 笑福亭鶴瓶落語会」1日目。
明日もあるので詳しいことは明日以降日記なり感想レポートなりに書こうと思うが、本当に行って良かったと思った。
私は落語に慣れていないこともあり、落語を聞きながら他のことをつい考えたらあっという間に取り残されてしまうので、他のことは一切頭に入れない、考え出さない、思い出さない、という心構えで落語会に臨んだ。
そうしたら、中入り後に行われた鶴瓶さんの古典落語が終盤に近づくにつれ、目が潤み出した。
(えっ!?)と思い、堪えようとしたが間に合わず、ぽろぽろっと涙が零れてしまった。
(ま、マズイ!お笑いに来て泣くなんてイタさの極みやん!)と慌ててハンドタオルを取り出してそっと拭ったが、周りを見ると私以外にも泣いてる客がぼろぼろいたので驚いた。
それも男女関係なく、だ。
私の右斜め前に座っていた男性は、メガネを掛けていたので涙がこみ上げるたびにメガネをひょいと除けながら涙を拭っていたが、涙が止まらなくなったらしく、かなりの頻度でメガネをパカパカと着脱していた。
そうなると、ちょっとくすぐりを入れるのが鶴瓶さんらしく、泣きながら笑うという妙な事態に陥った。
サゲを言って鶴瓶さんがハケた時は「オォ〜!」のうなり声と共に拍手が鳴り止まなかった。
もちろん私も。
この感動を表現するにはこれしか無いので、身を乗り出して拍手をした。
会場を出た後、ほうぼうにメールを送りまくった。
「凄いものを見ました。今日この場所でこの演目を見たことを私は一生忘れないと思います」と。
生きてて良かった、生まれてよかった、とさえ思った。
この気持ちを表すにはぴったりであるフラカンの「深夜高速」をずっとリピートで聞きまくりながら家路に着いた。
こんなにも衝撃を受けたライブは今回が2度目。
1度目は「ピストルモンキーフィーバーマン」。
受けた衝撃をどうにか言葉にしたいのにそれを言い表せる言葉が見つからず、帰って来ても(あぁ〜、何なん、この衝撃!)と一晩中悶々として殆ど寝付けなかった。
(凄い、凄い。この凄さ、他の人にも知ってもらいたい。あぁ〜でもどうやったら分かって貰えるんだろう)
と、まとまらない頭でごちゃごちゃと考えた。
それと今回は同じ。
落語を生で本格的に見たのは今回が初めてだし、その演目も他の人がやっていたのはどういうものなのかは知らない。
だから、落語をよく見ている人からしたら今日の内容は私と違う感想かもしれない。
だけど、10代になったり中年になったり女になったり男になったり、笑顔になったり、凄みを利かせたり、かなわぬ恋に泣いたり、と一人で何人もの人間になる鶴瓶さんに私はすっかり引き込まれた。
鶴瓶さんを通して見える落語の世界に泣いた。
落語会に行くまで、私は落語を面白いと思えるのか非常に不安だった。
落語会に行くまでの間、なるべくテレビやラジオで落語番組をチェックして聞いてみた。
その中には面白いと思うものはいくつかあったが、“ハマる”という感覚には至らなかったからだ。
どうせファンになるなら“落語家・笑福亭鶴瓶”のファンに私はなりたいので、(万が一鶴瓶さんの落語もそない…だったらどうしよう)とか思っていた。
それが杞憂だったことがたまらなく嬉しいし、ホッとした。
最後の挨拶で、もっと向上する、と鶴瓶さんが言っていたことにも感動。
今日の感動を忘れない限り、私は鶴瓶さんの落語をなるべく見に行くだろうと思う。
鶴瓶さん以外の上方落語家の噺も聞きたい。
江戸落語も聞きたい。
“欲”がふつふつと湧き出ている。
***
帰りの電車の中で小堀ブログを見て、「BGM〜昆虫ロック」にぐぐーっと目が行った。
私は明日も青山に行くので吉祥寺でRISKの皮ジャンを着て音楽やっている小堀さんを見に行けないのは残念だが、「昆虫ロック」を聴いてにやにやっとしよう。
「昆虫ロック」は「今まで聴いた中で五本の指に入るほど好きな音楽は?」と尋ねられたら絶対に入れる。
あまり前向きな歌詞ではないが、無理矢理励ましたり夢を見せようともしない淡々さが何ともいえず好き。