2005年11月04日(金)
「人を誉めるなら 生きてるうちに」
今更ケンコバがブログをやっていることを知ったので見てみたが、ここまで有益な情報が何一つ書かれてないブログも無いわな〜、とある意味感心して唸ってしまった。
あれだけ嘘を連ねておきながら生年月日は本当だったので驚いた。
頂いたHIGH-LOWSの「バームクーヘン」を聴く。
元々「バームクーヘン」を聴きたくて頼んだのだが、「死人」という曲が好きだった。
特に
>人を誉めるなら 生きてるうちに
>恋をするのなら 生きてるうちに
の部分が凄くグッと来た。
私は、死んでからその人を褒めてもそれは自己満足か罪悪感の解消にしかならないと思っている。
どうしても合わない人や受け容れることが出来ない人に対しては、必要な場合を除いて無理に近寄らなくても良いと思うが、ずっと付き合いたい人については、ポジなことを思ったらその場でその感情をなるべく表現し続けたい。
最近、寝ながらtvkの「saku saku」を見るのが好き。
昨日はケイタクがキャナルシティでやったイベントの模様や白井ヴィンセントが作った歌のバックで随分福岡市内の映像が流れたので、かなりキャッキャキャッキャしながら見た。
折りしも4年前の11月3日は2丁拳銃がキャナルシティでイベントをやった日。
4年前は今以上にキャッキャキャッキャしたテンションで見に行ったことを思い出した。
フツーに2丁拳銃がうろついているのにお客さんが全然気づかないことに何となくドキドキしてしまったり、
1枚だけ撮れた修士さんの写真が私にしては珍しくカメラ目線だったのでこれまたドキドキしたり(これ以降2丁拳銃の写真は撮ってない)、
(こ、小堀さんに“結婚おめでとうございます”をい、言わなきゃ〜)と握手会を前にかなり緊張しまくったり…
と、日記を見なくてもある程度のことは今でもクリアーに思い出すことが出来る。
“大阪や東京じゃなく福岡で”
“大好きな2丁拳銃を”
“生で見ることが出来る”
という事態がたまらなく嬉しくて、始まる前も始まってからも終わってからも思い出す度ににこにこしていた。
滅多に生で見れなかっただけに、生を見に行ける時はなるべく逃さずに行っていた。
(あの頃は本当に“必死ちゃん”やったなぁ)
と苦笑することもあるが、見に行けたライブの1つひとつはあの頃の私にとって本当に大切な時間だったし、今の私にとっても大切なものの1つだ。
4年後の2丁拳銃は学祭で福岡だったとか。
どんな中学だ、芸人を呼べるなんて。
羨まし過ぎだ。
私の学校なんざ、“ラスベガスでもNo.1〜2のエンターティナー”とかいう人とか、やたら話に“オチ”をつけたがる予備校の校長ぐらいしか呼べなかったというのに。
色んなブログやサイトで「最後の〜」の感想を見る度に、もう私はハリガネの良さや味を感じ取ることが出来なくなったのかもと思う。
「失われた週末」は私が当時見たサイトの中では否定的な感想が多かったが、それでも私は満足出来た。
「復活マンザイマニア」は、(えっ、これ?今のハリガネロックの漫才はこれなの?)と戸惑いと少々の落胆を覚えた。
まるっきり期待していなかった「white」は、ハリガネロックの笑いで自分の中の屈折やもやもやを完膚なきまでにねじ伏せてもらえて、凄く嬉しかった。
でも、「最後の漫才ライブ」にはそういう感想が無い。
ポジにもネガにもいけない。
“思うところが無い”という訳ではないが、
「あのイベント行ってたんですか!?私も行きました!凄く感動しましたよね!凄く面白かったですよね!」
というテンションで話し掛けられたら
「ハァ…。まぁ…そうです…かねぇ」
と非常に歯切れが悪くでしか返せない。
やってることや雰囲気は昔と変わっていない筈なのに、それでも何かが違うように思ってしまう。
ハリガネバブルだった2001〜2002年頃も(何か違うなぁ)という違和感は覚えたが、あの頃とはまた違う何か。
半年に1回ぐらいのライブ鑑賞ペースではもうついていけないのかも。
今思ったが“復活”と銘打っておきながらあれからやってないのね、「マンザイマニア」。
役割逆転したことだし、心機一転してこれから打っていくのかしら。
タイムカード導入以来一度もタイムカードを押していなかったナガセくんがとうとうガラに呼び出しを食らう。
“反感の表明”として<タイムカードを押さない>ことを“反抗の手段”に使うナガセくんもどうかと思うが、半年近くもこのことに気づかないガラもガラだと思った。
それにしてもしょーもない。
つくづくしょーもない。
「経費削減」「節約」と他人の顔を見ると同じ事を連呼するくせに、会社では誰も読まない朝毎読日経を朝刊・夕刊購読したり、Yahoo!の路線検索があるのに高価な路線検索ソフトの購入を指示したり。
あぁ〜、しょーもなー。
やっぱり跡形も無く消えうせてくれ〜。