つらつらきまま


2005年01月14日(金)
思い出オンガク


金曜の夜ぐらいは、ぼへら〜っと過ごす。
 何となくMステを見ていたら、86年〜04年のヒット曲の紹介をしていた。
 97年ぐらいまでは、自分が好きな歌手じゃなくてもほぼ歌詞を覚えていたけど、それ以降はひどいものだった。
 浜崎あゆみは、曲は聴いたことがあっても曲名が全然分からなかった。
 だって、全部英語なんだもん。
 今はどうか知らないけど、かつてspitzの草野マサムネさんが、あゆを好きな作詞家にあげており、その理由が「サビが全部日本語の詞を書いているから」だった。
 サビは日本語を置くなら、題名も日本語を使って欲しいなぁ。
 ローマ字ではなく、漢字orひらがな。

 2000年以降流行った曲は、その当時見たライブや芸人とセットで覚えていた。
 「波乗りジョニー」なら大上さんとか。
 ちなみに、私が“歌唄いのニチョケン”で一番印象に残ってるのが、実は「夜もヒッパレ」だったりする。
 というのも、テレビで唄ってるのを初めて聞いたのがこれだったから。
 その時、ライセンスも一緒に出てた気がするけど、正直ライセンスのことはてんで覚えておらず…。
 DA PUMPの「Purple The Orion」を修士さんが唄っていて、その後のトークコーナーも割合良い感じに扱ってもらってような。

 昔の日記を見たら、やっぱり書いていた。
 しかしまぁ。
 その日の日記タイトルが
 「動いて喋って唄ってるやん…」
 って、素直といえば素直だが、のっけから失礼だなぁ。

 本文に至っては

 >修士さんの歌は変わらず上手く(声、好き)
 >小堀さんも何だか(ってのも失礼だが)カッコ良く見え

 と、失礼さモードが加速していた。
 そういえばこの頃の私は、修士さんに対する思い入れが高かった…。

そんな風に過去を振り返りつつも、現在はといえば、今年上半期にも総ヒット数が10万に届く見込み。
 ありがたいですねぇ。
 まさか3年半もこのサイトを開き続けるとは、開設した当初は考えもしなかった。
 サイトを続けていても、取り扱う対象が「お笑い」じゃなくて全く違うものになってるとかいうことを思っていた。

 もっとも、サイトを開いた頃に比べたら、お笑いから徐々に手を引きつつはあるけど。
 お笑い番組をあまり見なくなった。
 続々創刊されてるお笑い雑誌も、2丁拳銃やハリガネが結構載っていても買わなくなった。
 ライブ鑑賞に関するテンションはまだ高いが、「モノ」に対する必死さは、だんだん薄れてきて、手に入らなくても、(じゃぁ別にいいや)と思うようになった。
 つい最近までは、どんなものでも手に入れなければ気が済まないところがあったのになぁ。
  
このサイトを開いていて良かったなぁと思うのは、


 サイトを開いていなければ絶対に知り合える訳がない方たちと色々知り合えたこと。

 そして、その方達を通じて新しい“好き”を見つけることが出来たこと。

 何より、その方達のおかげで、従来の“好き”を“もっと好き”と思うようになったこと。

 この3点につきる。



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