2004年11月08日(月)
集中
仕事の締め切りスケジュールも集中。
ライブの予定も集中。
我が家のヘビロテは集中的にアジカン。
色んなことがきっちり詰まってる11月。
いろんな方から譲っていただいたDVDをここ数日見ている。
「フジケン」...。
4人とも30代に突入したのに、20代の時と全く同じテンションと人間関係を保ってるのがすごいなー、なんて思いつつ見た。
12月の帰省の飛行機代だけで5万円以上飛ぶので泣きそうだが、早いことDVD+VTRレコーダー欲しいなぁ。
手元にある「超合金」ビデオが劣化しないうちにDVDに保存したい。
毎週、あのメンバーでやってたんだよなぁ。
ナンバで鬼ごっこしたり、戎橋でキム兄に投げ飛ばされたり、香港で青い鳥を探したり。
はぁ、今となっては夢のようだこと。
M-1通信も見る。
ここ1年で2人とも随分顔つきが変わったんだなぁと思った。
約1名に関しては顔つきよりも髪型か。
友達と「やっと実年齢が顔年齢を追い越したよねー」と失礼なことを言い合う。
袖でストップウォッチ持ってネタ合わせしている写真や、修士さんがうつむいて座り込んだ状態で出番を待ってる写真を見ると、胸の辺りをガーッとかきむしりたくなるような、なんともいえない気持ちになる。
2丁拳銃とM-1の関連で忘れられないのは、2002年度予選終了後の大爆発。
あれを知った直後は、驚いて珍しく動揺した。
そしてだんだん悲しくなった。
(何で?)と思った。
その年に見た「銃歌〜チャカ〜」や「百式」が、とても堪能した舞台だっただけに、この一件は余計に悲しかった。
(あんまり過剰に入れ込んだり理想化してもなぁ)
とも思うので、ある種突き放した目で見ることも忘れないようにしている。
だけど、この一件があったから、2003年のM-1は結果を知っていたとはいえ、留守録のDVDを再生して見ている間、ずっと心の中では何かを祈ってた。
(どうか、どうか、お願いです、お願いです)と。
その先はうまく形にならなかったけど、そればかりリピートしていた。
何をお願いしたかったんだろう。
「優勝させて下さい、お願いします」
では無かったのは確か。
まぁ結果知ってたし(^^ゞ。
(もしかしてこういうことかなぁ)
と思うのは、
(彼らの10年が一瞬で無になるようなことだけは起きないで下さい)
ということ。
始まる前、ネタ飛びとか、最大級にだだ滑りとか、マイクハプニングとか、何かもう考えうる最悪のシチュエーションを色々想像していた。
当日は、優勝しなくても最下位になってもいいから、とにかく後味悪い思いを残して終わることが無いようにと、久しぶりにオカンのような心持ちで見てた。
結果は4位だったけど、最後の枠獲得までしぶとく絡む2丁拳銃を見ることがとても嬉しくて楽しかった。
(あぁー、去年離れなくて本当に良かったー)
と思ったものだ。
2003年のM-1以降、2丁拳銃をオカンのようにハラハラドキドキ心配しながら見たり、オトメのようにわくわくきゃっきゃきゃきゃっした心持ちで見ることは、とんと無くなった。
楽に見れるって本当にいいな〜。
ハリガネは2年連続出たけど、2丁拳銃の時みたいに本番の様子について色々思いを張り巡らした覚えが無いなぁ。
M-1が終わった後は思いを巡らしたけど。
忘れちゃったのかな。
審査員にウケるだろうかという危惧はあったけど、客や視聴者はハリガネの漫才を受け容れてくれる筈、みたいなことは思ってたかもなぁ。
当時は、ハリガネが私の漫才の中心だったから。
「white」、ぴあでは現在1名様だとG列。2名様だとI列。
少し売れたみたいですね。
というか、名古屋が若干枚数とはいえ指定も立見も残ってることにびっくり。
baseのゲスト出演ライブも。
「ジャリズム☆ナイト」は1日で完売。
さーて、今回のゲストは誰だろう。
FUJIWARAご推薦のバッファロー吾郎がやってきたら嬉しくてしょうがないわ。