2004年09月18日(土)
「頭が疲れてますねー」
久しぶりにマッサージに行ったところ、タイトルに上げたセリフを言われてしまった。
なんかパンパンに頭が張ってるらしい。
レギュラーの西川君よろしく、道端でもし、私の頭がいきなりパーンと弾けたら、その時は周囲の皆様、色んなものをかき集めるのを手伝ってくださいませ。
西川君は弾けるんじゃなくてネジが飛ぶのか。
マッサージさんによれば、頭や神経を使いすぎるとパンパンに張ってくるらしい。
そないに神経を使ってるような生活にはここ最近無縁なのに。
私なのに?ハテ?
そんな風な疲れた頭ながら「ハリガネロックin復活マンザイマニア」に行って来た。
とうとうまったく事前にワクワクすることが無いままの参加。
始まる5分前に着いたけど、席の埋まり具合は贔屓目に見積もっても8割弱。
それが今のハリガネロック。
私の横は「可愛い〜☆」と「まじカッコイイんだけど!」しかボキャブラリーが無いお子たちだったので、途中からは
(…誰かこの子らを「世界ふしぎ発見」みたいにボッシュートしてくれんかな)
ということを舞台見ながら真剣に願ってしまった。
疲れてる頭が余計に疲れてしまった。
どうしてくれよう。
同じ人を見てるのに、どの角度から見たらそう思えるのかがかなり不思議。
そして、お笑いを見てるのに「超面白〜い」まではいかなくても「面白くねぇ?」すら出て来ないのもかなりの謎。
「ハリガネロックin復活マンザイマニア」を見て改めて思ったけど、正直、私は今のハリガネロックの漫才に乗れない。
トップとラストがハリガネのネタ枠だったけど、「漫才を見た」という気になれなかった。
かといって、「コントを見た」という気にももちろんなれない。
“漫才”とも“コント”ともつかない、なんとも居心地が悪いものを2本見たという感じだった。
ハリガネロックの漫才で好きだったのは、「言葉だけで世界をいくらでも拡げていくところ」だった。
動きは最小限に抑えて、言葉をひたすら連射する。
2人の掛け合いを聞いてるだけで、実際には無い筈の世界がどんどん形作られていくのが見える気がして、とても楽しかった。
今のハリガネの漫才はそんな形式からは少しずつ離れ、新しいことに色々挑戦している。
それによって枠が広がったり武器が増えたりすることは喜ばしいと思うし、変わることが悪いこととも思っていない。
だけど、私は、言葉以外のものを色々取り込む形式の漫才は合わない。
言葉の可能性が広がる漫才が好きだ。言葉にこだわる漫才が好きだ。
じっくり腰を据えて見ることが出来るネタが肌に合う。
そういうネタをするからハリガネロックが好きだったのか。
そういうネタをするハリガネロックが好きだったのか。
よくは分からない。
11月27日にハリガネはルミネで単独をする。
それもコントライブ。
タイトルは「white」。
帰ろうとしたときにその告知Vが流れた時は思わず「えっ!」と言ってしまったし、フライヤーも反射的に取った。
だけど、現時点ではこのライブをFandango!先行やぴあ等で前売を買う予定は無い。
ハリガネがコントライブをするなんて画期的だけど、わくわくする気持ちが湧き上がってこない。
そういう心境で見に行っても、心の底から楽しめないことが分かりきっている。
(やっぱりハリガネロックの舞台を見に行きたい。ハリガネロックじゃなきゃいやだ)
という気持ちが戻ってくることを今は待つしかない。
戻ってくるのかどうかは分からないけど。
戻ってきたら嬉しいし、戻ってこなかったら、それはしょうがない。
その時は「長い間楽しませてくれてありがとうございました」としか言えないわなぁ。
話は変わり昨日のしり取り王。
ドラえもんスーツの小堀さんは、「笑金」と同じ髪型だった。
多分「曲者」でもそうだったけど。
小堀さんのあの髪形を見るたびに、私の頭の中では「超合金等」でお馴染みの
「狂ったように鳴き叫ぶニワトリのモノマネをする小堀さん」
がぽわ〜んと浮かんできてしょうがないが、ネット上でそういう風に思うと書き込んでいる人は皆無なので、“疲れた頭”の私ぐらいしか思わないことなんだろうか。
仮に思ってても自粛するものなのかも。
“頭が疲れて”無い限りは。
深夜なのにこんなしょーもないことを考えるから、頭が疲れるんだわ。
とっとと寝ます。