2004年03月16日(火)
ミカンとスピッツ
会社帰りに本屋に寄る。
「BREaTH」をいつの間にか置かなくなった本屋へ。
代わりに「BEAT」という厚みもロゴも似たような本は置いてある。
ところが今月は2冊も「BREaTH」を入荷していた。
手に取った途端、思い出した。
今日はSpitzのNewアルバム「色色衣」のフラゲ日であることを。
信号を渡り、角を2つ曲がるともうそこは我が家。
CDを買うとなるとちょっと戻らなければならない。
しばし考えたが、「BREaTH」の2丁拳銃連載を読んだ後、CDを買いに行くことにした。
新しい音を聴きたいし。
今回、修士さんのイラストに笑ってしまった。
色んなことが微笑ましかったから。
修士さんの実家はミカンを送ってあげてるんだなぁ、とか。
そして修士さんは実家に「ありがとう。美味しかったで」とお礼の電話をいれる人なんだなぁとか。
修士さんにミカンを送ってあげた人が、お父様なのかお姉さまなのかお兄様なのかは分からないけど、お母様と同じように修士さんを思ってくれてるんだなぁ、ということを想像すると、それだけで何だか嬉しい。
多分、それはウチも同じだからだろう。
ウチの母が亡くなる前の最後の4年間は、私が大学生となって一人暮らしを始めた時期とか重なる。
折に触れ、様々なものを送ってくれた。
本当に必要なもののと一緒に、私が好きなお菓子やらおかずやらインスタントラーメンやらを織り交ぜながら。
そして今。
偶然なのか、実は似たもの夫婦だったのかは分からないけど、父も母と同じように頼んだもの以外も入れて荷物を送ってくれる。
長崎ちゃんぽんの素だったり、梅の香巻だったり。
タオルにわざわざ包み、ぱっと見それが入ってるとは思わせないようにしているところは中々芸が細かい。
あれこれ子どもが好きなものを想像しながら荷物を詰めるのは、母親がやることだと思っていた。
でも、それは母親とか父親とかそういうことは関係なく、家族だからやることなんだ、と最近は思う。
今まで与えてもらった愛情の数々を、何とか恩返していきたい。
「色色衣」購入。
Spitzって事務所変わったの?
ロードアンドスカイを辞めてグラスホッパーというのを作ったの?
高校生の時にSpitzのファンになって早9年。
「日なたの窓に憧れて」という曲が引っかかり、「スパイダー」が気になり、「ロビンソン」で弾けた。
「インディゴ地平線」までのアルバムは高校の時に買ったので、それらを聴くと高校生の時の自分が浮かぶ。
「ハヤテ」という曲に自分をだぶらせたりしていた。
国公立の2次試験が終わるまで「スカーレット」は買うけど聴かない、と封印してたなぁ。
シングル「夢じゃない」以降は、暇も余裕も出来、ライブにもたやすくいける環境にあった大学生の思い出が強い。
「夢じゃない」は、私が大学生協で初めて買ったCDだった。
アルバム「Crispy!」の中では、「夢〜」と「君だけを」が好きで、だけど地味な曲だっただけに、この2つがシングルカットされた時は、自分はセンスが良いのでは、とかなり勘違いしたもの。
そういえば大学3年まではSpitzのFCに入ってたけど、入った途端に活動停滞期に突入し、ライブも行われず、全く以って会員の恩恵に預かれなかった(^^;。
それもまた今となっては良き思い出。
「ホタル」以降は、シングルを買わなくなった。
アルバム「ハヤブサ」は買ったけど、「三日月ロック」は買う予定ではなかった。
だが、2丁拳銃が渋谷でRRSをやってた頃、時間つぶしに偶々入ったタワレコでSpitzトリビュートアルバム「一期一会」を視聴したら衝撃を受け、一緒に「三日月ロック」も買ってしまった。
そして、今に至る。
Spitzの曲を聴くと、切なさや懐かしさを覚え胸がうずく。
だけど、Spitz自身はそういったものを覚えさせることに対してはしたたかだと思う。
案外したたかで、あまのじゃくで、頑固。
そんな彼らが好き。
長くなりついでに「百式」の写真問題について。
舞台を見ていてフラッシュが突然光ったり、カメラ付き携帯の間抜けなシャッター音が聞こえると、腹が立つと同時に敗北感もどことなく覚える。
自分が楽しみながら見ている舞台は、全員を集中させるには力が足りない、ということを誰かから思い知らされた感じがして。
昔、ライブでハリガネが漫才をしてハケた時、近くにいた子が
「あっ!ネタに集中して写真撮れんかった!
…でもいいや。面白かったけん満足したし」
と友達に言っていた。
すげぇ、と思った。
「本当に凄い舞台が目の前で繰り広げられてる時は、<写真を撮る>なんていうことに気持ちは動かない」
そう断言できる。
私も、ネタ中は自粛したけどゲームコーナーの写真は撮っていた頃があるから(もちろん撮影許可の劇場で)。
“写真撮影が許されてる劇場でも、自分たちの単独ライブは写真撮影禁止”
というお達しに少なからず不満を持ったけど、自分の目で舞台を見て初めて、その意味が分かった、という経験もしたから。
特に、最近は、色々と舞台を見るときの規制が敷かれているご時世だ。
舞台をみながら、フト
(舞台中の写真を撮りたいなぁ)
と思い、規則破りと知りつつ
(1枚だけなら…!)とか(記念なんです!)とか、心の中で理由付けをしながら写真を撮影してしまったなら。
自分にとっては
“写真に収めたいと思うほど好きな芸人”
は、自分以外の他人には、
“客にそんな隙を与えてしまうような舞台をしている芸人”
と、いうことになる。
何かそれって勿体無いよなぁ、と思う。
一生好きでいるわけではないとはいえ。