つらつらきまま


2004年03月15日(月)
ベタだけど“すんげ〜!”

相変わらず仕事はへこみのどん底。
 だけど、帰宅した私を待っていたものはそれはそれは素晴らしかった。

とある方から2丁目関連のものを頂いた。
 私も東京でやったイベントフライヤーなどちょこちょことお譲りしたが、それとは比べものにならないぐらい豪勢。

 何せ、ジャリズムが再結成前だ。つまり解散前のジャリズム。

 浅越浩志氏は、「ザ・プラン9の浅越ゴエ」でもなく、「しっくりこないニュース」を読んでピン芸人の頂点に立つわけでもなく、「デモしかしの浅越」として、単独ライブのネタ作りに勤しんでいた。

 千原Jr.は「ナイフ」だった。

 ハリガネロックは「スーパースペシャル」に、「攻め」て「攻め」ていた。
 2004年現在、単独ライブに「GIG」とつけて賞賛と苦笑を買っているユウキロックも、松口祐樹だった1998年は、大上さんの後ろに立つのをよしとしていた。

 何かもう、とにかくひっくり返るほどの豪華版。
 トータルテンボスの「吉本狂」ネタに

 「ハリガネをロックで」「死んじゃうわよ!」

 というセリフがあるが、そのものずばり

 「ヘイ!マスター ハリガネをロックで…」
 という単独を98年にやっているハリガネ。
 その時のフライヤーが折り目もつかずにこの度、私の手元に渡った。

 リアルタイムの98年当時、私はハリガネロックのことは知らない。
 98年の6月、私は偶然2丁目劇場の前を通りがかったが、立ち止まることも無く普通に通り過ぎた。
 当時の私が今の私を見たら、あまりの摩訶不思議な変わりように唖然としているだろう。
 
リアルタイムでは全然当時を知らないのに、今は凄く愛おしい。
 ハリガネとニチョケンが一緒に写っていることが多い2丁目関連のイベントフライヤーやフリーペーパーを見ると、ニチョケンが東京に行った後大変だったハリガネの状況がよりリアルに想像できる。
 
 本当の当時を知らないのだから、しょせんは疑似体験ですけどね。
 大勢の“誰か”に自分たちを知ってもらおうと、色々もがいてた頃の彼らの歴史の一部を形として見せてもらえるのは、凄くありがたい。


そういえば私も実家には、旧base勢のイベントフライヤーや2丁拳銃の切抜きが山ほどあることを思い出した…。
 あの頃はエネルギーが本当にあったなぁ。
 そして楽しかった。
 



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