つらつらきまま


2003年11月03日(月)
器は大きくありたいねぇ

東海大学代々木校舎の学園祭に行った。
 坂を上った住宅街、という予想とは全然違った立地条件だった。
 12時から整理券を配る、と書いてあったのでそれより前になんとなくいってみたら、ちょうど配布を開始するところだった。
 どう見ても15〜20人ぐらいしかいないのに、整理券は50番以降だったので
 (ハテ?)という感じ。
 学内の関係者とかに50枚ぐらい配ってるんだろうな。

去年の福大や九産大に比べたら模擬店の数や客足も少ないので、素敵さんに
 「先着500名、と書いてありますが100名も来るのか〜?と言った感じです」
 なんてなメールを送ったが、いざ整列させたら2桁台なんて余裕で早い方であることが分かった。

 整列の間、色んな芸人の噂話が耳に入った。
 (Jr.主宰の『キレキレコンツェルン』の入会条件をこなしてるのか?)
 と思うぐらい、色んな芸人が色んなところでキレているよう。
 よくもまぁ、皆様そんな場面に出くわすものだなぁとも思った。
 出待ちやってたら、そりゃ見るか。
 「出待ちの態度で芸人の素って分からなくねぇ?」
 と、笑ってしまうようなことを言っていた。
 そこまでして素を知りたいかね。
 
ぼけーっと待ってる時間は別に苦じゃないので、開場待ちの整列の際も、それほどいらいらしなかった。
 なるべく前で、真ん中で…というポジション探しも無縁。
 適当に空いてる所を見つけてちょこんと座った。
 こういうところは、本当に私は枯れていると思う。

ライブ自体は面白かったけど、2度ほど(えっ?)と思うことがあった。
 芸人でも実行委員でもなく、客の態度で。

1回目は、ダイノジがハケる時。
 お客さんが2名、プレゼントを渡していた。
 大谷氏には花、おおち氏にはバナナ(笑)。

 私はこれを
 (あ〜、ダイノジに渡したかったからそこの席に座ってたんだー)
 と、微笑ましく思いながらそれを見ていたんだけど、後ろの方から

 「ずるくな〜い?」「抜け駆け〜」
 というひそひそ声が聞こえた。

 “ずるい”、“抜け駆け”ねぇ。
 そう思える思考回路が凄い、と思った。

2回目はコーナーの時。
 じゃんけんで勝ちぬいたら、今日のメンバー5組が書いたサインを1セット5名にプレゼント、という企画があった。
 ところが、絞られたのは6名。
 1名は涙を呑んでもらおうか?ということになりかけだった時、あと1セット用意できた。

 芸人は「良かったなぁ」といった。
 しかし、一部の客は「えぇ〜」「な〜んだ」と不満を漏らした。
 「負けて欲しかった、みたいな呟きが聞こえた」と、芸人の誰かが冗談っぽくいっていた。

 じゃんけんに負けた人間が何をうだうだゴネるのだ、と思った。  
 己は運が無かったくせに。
 他人の幸運を喜べない度量だから負けんねん、なんてなことも思った。

 人間の醜い部分を見たなぁ…と思った。
 あぁはなりたくありません、ホント。

ニチョケン公式はどの方向に進むでしょうか。

 自分の人生の最終評価者は、そりゃ自分だろう。
 だけど、そこに行きつく過程には、他人が決める「成功」や「失敗」もある。
 ライブの動員数や販売ソフトの売り上げ数や視聴率など、取り組んだ成果が分かりやすく数で示されるものは特に。
 客観的な面での評価の存在も頭の片隅に入れておきたい。

 他人は分かり易いものでしか評価をしない。
 そこから下(ライブの内容や演技力など、数量化出来無いもの)の部分まで見ようとするのは、その人達に興味を持っている人か、興味を持たざるを得ない人達(取材の下調べなど)ぐらいだろう。
 
 自分達について特に何の興味も持っていない人をネガな感情にしろポジな感情にしろ、とにかく引きつけるのが2丁拳銃の仕事だと思う。
 知ってもらわないと始まらないから。

もっとも、他人の人生の選択を「失敗」だ「成功」だと、たやすく評価出来ると思うことほど怖いものは無い、とも思う。
 「数」という分かりやすいものはまだしも。 
 



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