つらつらきまま


2003年07月23日(水)
東京のせいか年齢のせいか

だいぶ、仕事に慣れてきた…と思う。
 調子に乗るとあとで必ず落とし穴が待ってる気がするので、調子乗りにはならないように気をつけているけれど。
 上司は出来ない仕事はやらせない。
 <やれる>という仕事を選んでくれる。
 これは私にも出来ることなんだ、と思ったら仕事にびびらなくなった。
 直に接する人へはもちろん、目の前にいない大勢の人に対しても責任を持たなければいけない、ということを肝に銘じながら仕事をする。
 「やったら出来る子やねーん!!」なんてどこかで聞いたようなセリフをちらりと思い浮かべながら(^^;。
 それにしても東京、寒いんですが。

東京にも慣れてきた。
 思ったよりはすんなりと馴染めた。
 私の周りに生粋の関東人がいないからというのもあるだろうけど。
 標準語を喋ってるけど実は北海道や長崎や福岡出身、という人が多い。
 地方から出て来てる人の方が23区内は多いだろうな。
 それまで無愛想だった人も私が<地方出身>と知ると親近感が湧くのか、途端にみんな優しくしてくれる。
 子供たちが標準語を喋ってるのにも違和感を感じなくなった。
 私が住んでる街をけなしていた通行人に対してムッとするようになった。
 ダイエーホークス情報がてんで入って来ないことには寂しさを覚えてるけど。

小中高生は夏休みらしい。
 私が住んでるところはラジオ体操が10日間で終わる。
 「規則正しい生活はラジオ体操で!」
 なんて元気な言葉が書いてる傍から
 「期間:7/22〜31」となってるのを見つけた時はわが目を疑った。
 そのくせ、盆踊りはご丁寧に前夜祭や後夜祭まで行われる。
 そんな街だ。
 私は買ったことないが、お総菜屋ではミートボールを5個・20円で売っている。

東京に来たからか、25歳になったからか、原因は定かではないが、急に髪にクセが出て来た。
 今は切ったから落ちついたけど、切る前は久しぶりに会った人から
 「あれ?パーマかけたん?」と言われたほど。
 7/19生まれは天然パーマになってしまうのか。
 多分私の容貌は妖怪ではないと思うけど。

とあるところでユウキロックのかきこみを読んだ(“見た”というのは合わないほどの長さだった)。
 なるほど、と思った。
 読みながらにやっとした。
 そして、(温かいな)と思った。
 あぁいうふうに自分が思われたら幸せだと思った。 

 今は大分落ちついたけれど、「ハリガネロック」に妙なカリスマ性が与えられた時期があった。
 とても嫌だった。
 過剰に神格化することは、とても危ないことだと思うから。
 私自身も褒め言葉として使っていた
 「彼らはロックでカッコイイ」
 という言葉は、一番使いたくない言葉になっていた。
 ハリガネロックに対して悪いことだと思うけど、私は「ロックでカッコイイ」の意味が分からなくなっていた。
 分からない言葉は使いたくないし、使えない。
 過剰なまでのカリスマ化が進めば進むほど、私はハリガネロックを冷静な目で見たかった。
 流れにのまれるのはごめんだった。
 いつも意識的に一〜ニ歩離れた調子で見るようになった。

 ハリガネロックに飽きることは無かったけれども、そんなに追い求めもしなくなった。
 「ハリガネロックを好きですか?」
 と聞かれれば
 「好きです」と答えられる。

 だけど
 「他の何よりもハリガネロックのことが好きですか?」
 と聞かれたら
 「…そういう感覚は持てません」
 としか言えない。
 
 時々、あまりに冷静すぎて、このまま冷めて普通の温度になってしまうだろうかと思うこともある。
 そうなったら、それはそれでしょうがないと思う反面、寂しい気持ちになる。
 でもそう思う時に限って、偶然にせよ、
 (なんだかんだいってハリガネロックを私は好きなんだな)
 と思う事態が発生する。
 そうやって、引き戻されてはまた徐々に離れ、そしてまた…という揺り戻しの繰り返し。
 それがハリガネロックを見る上での私のスタンスなんだと思う。

とまぁ、好き勝手なことをえらそーに書いてますが、自分が一番辛かった時に見たハリガネロックのライブは今でも忘れられません。
 あれに行かなかったら私は2000年の12月は辛い出来事ばかりでした。
 思い出に引きずられるのは好きじゃありませんが、思い出に残るような舞台を見せてくれたというのは、凄いことだと思う。




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