1日雑記

2006年03月21日(火)


たびたびの事ではあるのだけれど。
夜は怖い。

漠然と、寿命がは誰にでもあって、
人はいつかは死ぬ。
で、その死ぬ人間は自分である。
今考えている、考え事をしている自分も
いつか死ぬことは不可避であると認識したとき
たまらなく怖くなる。

昼間は目から入ってくる情報が多いからか、
あるいは明るいからか
こういう風に考えてもあまり堪えない。
が、布団に入ってから考え出すと、
どうにもならないくらい辛くなる。

叫びたいし、泣きたいし、誰かに救いを求めたい。
まぁ、何をしても結果は変わらないんだけど。
気持ちにストレスがかかるのか
昨夜などは胃から上、体の中身が全部
無くなったかのような錯覚に陥り結構つらかった。

こういう感覚、死ぬという恐怖から逃げるために
死ぬというのはありなのかな、とも漠然と思う。
死ぬのが怖くて、死のうというのだから滑稽な話であるが。
理屈の上では恐怖心から逃げるということになるが
やっぱりどこかずれているような気がする。

あいにく、自殺するような趣味は持ち合わせていないので
嫌がられても長生きしてやるつもりだが……。


と、そういう暗い話はともかくとして
ふと、気になった事が。

物語の主人公というものを考える。
主人公というのは、往々にして
受け手(本なら読者)の分身となる。

つまり、その人物に共感できる事が
話を読み始める前提となる。

これが一人称で書かれるものであるなら
その傾向は顕著になるだろう。
三人称で書かれた場合、
まったく別の客観的な視点に読者を置く事もできるため
もう少し違ったとらえ方も可能かもしれない。

ただし、やはり主人公は感情移入しやすい必要がある。
自分の思考と180度食い違った、
まったく理解できない行動をとり続ける物語を
延々と読み続けるのはただの苦痛である。

よって、主人公の内面というのは
書かれるべきであると私は思う。

例えば、主人公の過去に何かがあるような場合。
まぁ、〜が苦手といった生理的な
簡単(?)な感情であるなら分かりやすいが
登場人物の誰かと反目してたりする場合
その原因が分からないといまいち話についていけない。
最後の方でその原因が判明しても
途中で主人公についていけなかったら
純粋に楽しめないと思うわけだ。

簡単に言えば、主人公は理解できる人間である方が望ましい。

と、そんなことを考えてた風呂場での時間。


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