なんというのか、道を歩いていて 自分の思考が危険だなぁって思う事が時々あります。
『私って考えるだけなら結構ヤバイ事かんがえているんですよ。 表には出してないし、実行はしないけどね』 って人は結構いるでしょうが…… (いると信じてますが) それと実行する事と考えるだけの境界線って どこにあるのかな、と。
そういう思考が占める割合が増えれば キケンが徐々に増えていく、という事なんでしょうかね。
で、そんなこと考えながら散歩(昼食買いに) 行っていたんですが……。
なんか、中学校だがで卒業式っぽいことやってました。
とりとめもない事なんですが 私も中学校卒業して ○○中学校っていう学校卒業してるわけです。 で、今日卒業していた彼らは 私が少し見たことのある中学校を母校として そこでの3年間を記憶として持ちながら生きるわけですよね。
同じような通過点を通過しているのに 決定的に違う。 そんなこと考えてたらなんか変な気持ちになりました。 当事者でない寂しさっていうのかなぁ……。
んで、過去とか思考とかの事に思いをめぐらせていて また、ふと思いつくわけです。 人間の脳がもっと解析されて 過去を自由に書き換えることのできる技術ができたら それはすばらしい事だといえるのか、と。
結局記憶である以上、 偽物だろうと本物だろうと結局認識の違いであって 本物だと信じていればそれは本物になってしまうんですよね。
自分好みの過去を得ることができるならば きっとその人の人生はいろいろとすばらしい物になるでしょう。 死にそうになる直前に 幸せな人生だったと認知する事ができれば 誰もが幸せな死に顔で逝けるわけですから。
でも、なんか怖いんですよね。 作り物を本物だと認識してしまう事って。
ま、今でも珍しい話じゃないですけどね、これは。 記憶とか脳はともかくとして。
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