考える時間というものがある。 それは唐突に訪れるものなので 食事中だろうが、就職活動中だろうが 授業中だろうが、考える。 内容は他愛もないことなのだが。
唐突ではあるが、考える事が多い場合というものがある。
十数年前は布団の中だった。 十年くらい前は通学途中。 数年前は、電車通学しているときだった。 最近は風呂の最中に多い。
風呂というと、浴槽に浸かりながら――というのが一般的だが 私は、あまり湯船に浸からない。 多分月に2,3度あるかないかだろう。 ちなみに、家族は入っているので 浴槽には温かいお湯がほぼ毎日張ってある。
というわけで、体を洗ったりという短い時間でのこと。
例えば、言われた通りに仕事をする人、 自分から積極的に仕事を行う人。 と、2種類の人間に分けて言われることがある。 ちなみに私はどちらかというと前者であると認識している。
就職活動中などは苦労したもので なるべく後者に見せかけるために四苦八苦したものである。
しかし、必ずしも前者というわけではない。 というより、言われた事にはとりあえず反発する。 単なるガキと言われればそれまでなのだが……。 言われてムっとするというのが主な原因なのだから。
ところが、これはこれで今のところ成功している。 ……まぁ、これで失敗すると立ち直れないのだろうけれど。
さて、それはひとまず置いておいて…… 仕事云々ではなく、環境という言葉で置き換えてみる。 与えられた環境で生きる(仕事をする)人と 自分から環境を作っていく(仕事をする)人。
先ほどの流れで言えば私は前者になるのだが 今までの行動を振り返ってみると…… まず与えられた環境にとりあえずケチをつけてみる。 で、少しだけ環境に自由度を持たせてもらい 自分好みに変えてみる。 環境が少しは良いので、それなりに楽しく生きている、と。
幸い、正論、屁理屈が結構通りやすい環境だったので 天狗になりながら行動する事ができたのだろう。 まぁ、学生であったというのが大きいが。 自由度を持たせるだけ持たせて、 結局与えられたものとまったく同じ環境にすることも 多々あったわけなので。 そういうワガママがまだ通用する世界であった。
先ほどの、失敗すると立ち直れないというのは この環境の自由度を少しでも広げることを 認められなかった場合、 前者(与えられる立場)である私はこの上ない苦痛 (拘束感)を感じる事となり、多分耐え切れないだろう、と。
かといって、自分で環境を作っていくほどの 労力を楽しいと思えない、 あるいはそういうリスクを怖がるので 前者から後者にシフトする事は、多分ないと思われる。
さて、私のワガママはどこまで認めてもらえるのやら。 4月からの事を考えると少し楽しみ。
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