1日雑記

2005年09月05日(月)


ちょっと本が欲しくて久しぶりに古本屋へ。

さて、先日中世ヨーロッパを舞台にした話を考えた。
すると疑問が湧く。
服装や通貨がどのようなものであるのか?
結局インターネットで調べたりしたのだけど
自宅に資料となる書籍の類が全然ないのも寂しいと思い
ついでに資料を探してみる事にした。

大雑把に歩いてみただけなので
それらしい資料は見つからなかったのだけど
なんとなく思想哲学、宗教といった書籍のコーナーで立ち止まる。

時代を考えるなら
当然思想や宗教といったものが重要になる。
現代までのこる思想の多くは
沢山の人が共感したものであると考えるからだ。
そうでなければ恐らく記録が残っていないだろう。
それに残っていてもそれは取り上げられないだろう。

古代ローマの頃と頭が微妙に混同している気がしなくもないが
少なくとも人の思想を知ることは重要である。


さて一方、宗教。
幸か不幸か、宗教という色の薄い日本に生まれた。
おかげさまで宗教は好きじゃない。
神様なんていないと思ってる。

だが、日本は例外として
(もしかしたら日本も例外じゃないかもしれないけど)
現代において、宗教を信じない人の方が少ない気がする。

中学生の頃だったか、無神論者なんて言葉を覚える。
少し響きがいいので、
「俺は無心論者だから〜」
なんて言葉を使った記憶がある。

さて、事実はというと単純に食わず嫌いなだけである。

なんとなく宗教の書籍の並んでいるコーナーを見ているとき
恐怖感を感じた。
これらの書籍のどれかを読んだとき
私はまだ神を信じないでいられるか、と。

宗教なんて――と、バカにする日本人は多い(と思う)。
実際路上を歩いているときに声をかけられる宗教は
いかがわしいものが多いだろう。
そういうものを見たとき、話のネタになったりする。

私だけでなく、宗教を持たない人の多くは
宗教をちゃんと学んだ事がないのではないだろうか?
もちろん歴史の授業などの中で
知識としてはついているだろうが。

神様を否定するのは結構簡単なのだが
知らずに否定することと知りながら否定する事ではその重みが違う。

例えるならば――
先ほど食わず嫌いという言葉を使ったが
一口、生のニンジンを食べて
美味しくなかったからニンジン嫌いというのはたやすい。
その後、ニンジンは美味しくないものだからと言い、食べずに
結構支持をもらえそうな「ニンジンは美味しくない説」を
力説する事は簡単にできるのではないだろうか。
だが、ニンジンを使ったあらゆる料理を実際に食べ、
あらゆる栽培方法を知り
さらにニンジンの栄養価を十分に知った後で
本当にニンジンを嫌いだと言えるか、と言う話である。
それだけやってニンジンは美味しくない、というなら説得力あるが
一口食べただけでニンジンが美味しくないと言うのは浅く感じるのだ。

そんな感じで
もしも宗教をちゃんと学んだとしたら
私は宗教に食われるのではないかと思い、恐怖感を感じたわけだ。

別にちゃんと宗教を知って
その上でのめりこむのはあるいはありなのかもしれないが
現在のところ、
宗教にのめりこむ=危険
という方程式が頭の中で成り立っているので
出来ればご遠慮したいと考えている。

もしも宗教を持たない日本人が
ちゃんと宗教を学んだとき
いったいどれくらいの人数の人が宗教を持つようになるのか。
そんな事に少し興味を覚えた日。


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