1日雑記

2005年09月04日(日)


寝ぼけた頭で考え事してたら
あることに気づいた。
錬金術はとっくの昔に成功していたんじゃなかろうか。

……といっても化学的な話じゃなくて。

錬金術が何かといえば、金を作ろうという試み。
金はずっと昔から、貴重な金属として扱われてきた。
それゆえに、硬貨として用いられた歴史がある。

人間が生きるための一つの手段は物々交換だと思っている。
自らの得意とする分野で物を獲得し
自分の必要とするものと交換する。
個人か集団か等の違いはあっただろうが
基本的にその原則は変わらないだろう。

さて、時代が進むとお金という概念が出てくる。
金貨や銀貨はどの程度普及したかはともかくとして
それ自体に価値のあるものとして取引されていた。
金というものを仲介してはいたが
仲介させた物質そのものにも価値があったのだ。

その後、現代の紙幣についてふと考えてみた。
紙切れである。
(明治頃は紙幣が普及してきた頃になっても
 銀行が金と交換してくれたようであるが)
が、社会に目を移せばお金目的
(紙切れ目的)のために生臭い話は後を絶たない。

ただの紙であるにもかかわらず、その価値が認められているわけだ。

もう一度、錬金術について考えてみる。
価値のあるから『金』を作り出そうと、奮闘した話だろう。
はじめの話に戻るが、価値があるゆえ硬貨として利用された。

と、それだけ考えたら
人はお金というものを作り出したそのときから
ある意味錬金術は成立していたのではないか、と。

価値を決めるのは人間だ。
例えば
江戸時代(だったと思うが)にはトロは猫またぎと呼ばれ
捨てられていた。
例えば
ほんの、何十年か前はソフトウェアは
その価値を認められていなかった。
ハードウェアのように形のあるものの付随であって
それそのものの価値を認められるようになったのは近年である。

錬金術の内容を見れば
金を作り出そうという試みである。
だが、その目的を考えれば
貴重な(価値のある)ものを作り出そうという試みになる。
そして、後者においてはずっと昔から行われている事なのである。

そして、お金という形の金の代替は
流通量がふえ、金と等価でなくなったときから
人の作り出せるものとして認められるようになったのである。


……まぁ、実は陶芸品とか手芸品とか
人の作る創造品との境界があいまいになるので
微妙といったら微妙なんだけどね。
木を削ったコップにだって価値は生まれるわけなので。


 < 過去  INDEX  未来 >


PITZ [MAIL]

My追加